藤田嗣治

去る9月28日、秋田県立美術館(新県立美術館)が本オープンしました。
一番の注目は、5枚の絵から成る藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』。
8月31日の早朝、平野政吉美術館からの搬出入が細心の注意をもって行われ、移設は無事に完了しました。
私は『秋田の行事』が大好きで、県外に住んでいた頃も、帰省すると平野政吉美術館へ観に行きました。平野政吉美術館は建築としても味わいがあり、絵を観るだけではなく、訪れることにも楽しみがありましたので、この度の移設には一抹の寂しさを覚えます。
しかし、新県立美術館を設計した安藤忠雄氏は、平野政吉美術館の特徴ある屋根と丸窓が、館内のカフェから見えるように設計しており、平野政吉美術館も秋田が誇る芸術作品として尊重されています。

「世界一巨大な絵を、誰にもできないような速さで仕上げて見せましょう」。
平野政吉から依頼を受けた藤田はこのように答え、『秋田の行事』の製作に着手しました。普段は絵を描く姿を他人に見せない藤田が、この時ばかりは押しかける見物人を一向に気にすることなく、ときには見物人に竿灯を上げるポーズをとらせるなど、むしろ注目されることを楽しんでいたようだとの証言も残されています。
米蔵を改造したアトリエで、秋田民謡を絶え間なく流しながら、下書きもせず一気呵成に描き上げ、最後に「一九三七 昭和十二年自二月二十一日 至三月七日 百七十四時間完成」と記して絵筆を擱きました。藤田も壁画の完成に興奮したのでしょう、飲めないお酒をおちょこで2杯飲んだとの記録もあります。

しかし、『秋田の行事』は、大戦の影響を受け、完成後30年もの間平野家の米蔵で眠ったままとなり、ようやく公開されたのは、平野政吉美術館が完成した1967年(昭和42年)、藤田の亡くなる前年のことでした。

もちろん、私は『秋田の行事』だけではなく、他の藤田作品も大好きです。2006年に生誕120年を記念して、東京国立近代美術館で開かれた世界最大規模の藤田嗣治展を、雨の中2時間待ちで鑑賞したことも思い出です。
藤田の描く女性は、表情の乏しさがかえって陶器のような美しさを印象付けますが、晩年の代表作『カフェ』に描かれた頬杖をつく女性は、珍しく憂いを湛えた表情を持ち、蠱惑的な色気に満ちていて、絵の前から動けなくなるほどでした。

日本画壇との軋轢により、大戦が終わるとフランスに戻り(のちに帰化)、再び日本の地を踏むことはなかった藤田ですが、彼の作品が秋田に多数残されていることは、我が故郷の誇りです。

今朝のお供、
My Bloody Balentine(アイルランドのバンド)の『Loveless』。

(佐々木 大輔)