昨年末から読書熱が再燃しておりまして、予定の無い休日は、日がな一日読書にふけっております。
欲すると出合いも多くなるもので、年始から良い本に出合うことができました。
また、先日はついに、ずっと気になっていたある作家の全集を、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入してしまいました。
この全集については、いつになったら読破できるのかわかりませんが、少しずつ読み進めながら、時間をかけてじっくり楽しみたいと思います。
さて、最近読んだ作品の中で強く感銘を受けたのは、鈴木結生著『ゲーテはすべてを言った』です。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、先日発表された第172回芥川賞受賞作です。
――ゲーテの専門家である主人公の大学教授が、レストランでたまたま目にしたゲーテのものとされる言葉。しかし彼は、それがゲーテの言葉であるかどうか、すぐにはわからない。自分の知らないゲーテの言葉。ゲーテ研究の第一人者であるとの自負のもと、彼は膨大な原典を紐解き、これまでの研究生活の記憶を総動員して、その言葉の出典を追究していく――
「言葉」とは何か。件のゲーテの言葉を探る過程で思索が深められていきます。
さらには同僚が起こしたある事件を通じて、創作や学問とは何かについても問題提起がなされます。はたして創造とねつ造、引用と盗用の境目はどこにあるのでしょう。
タイトルに「ゲーテ」なんて入っているし、難しいのかなと敬遠してしまいがちですが(私もちょっと身構えた)、読んでみるとミステリのような種明かしや伏線回収があったり、エンタメ小説としても楽しむことができます。
この辺りは作者がファンだという伊坂幸太郎さんの影響かな。
一方で、古今東西のさまざまな言葉が引用され、場合によっては衒学的とのそしりを免れない危うさもありますが、前述のようにエンタメ性とのバランスが絶妙であり、作品中に横溢する過剰なまでの知識でさえ、逆にこの作品のエンタメ性を増すためのしかけのようにも思えます。
引用によって物語を構築していくさまは、これも作者がファンだという大江健三郎さんの影響かな。
なお、タイトルの「ゲーテはすべてを言った」とは、例えば誰の言葉か分からない名言や、自分が思いついた格言めいた言葉に「ゲーテ曰く」と付け加えることで、その言葉の信ぴょう性や説得力が増すというドイツのジョークからとられたものだそう。
鈴木結生さんは大学院在学中の23歳。久しぶりに大型新人の登場という風格があります。
芥川賞にしても直木賞にしても、受賞作はたいてい読むようにしていますが、「これは凄い」と思える作品に出合えるのは数年に1冊くらいのものです(上から目線ですみません。好みの問題もありますので悪しからず)。
本作は三部作の2作目で、近いうちに完結編が発表されるとのこと。
その前に前作「人にはどれほど本がいるのか」を読まなくては。
でもまだ書籍化されていないんですよねえ(文芸誌『小説トリッパー』2024年春号に収録)。
早く書籍化されないかなあ。
今朝のお供、
Maroon 5(アメリカのバンド)の『Songs About Jane』。
(司法書士 佐々木 大輔)
読書週間(10月27日から11月9日まで)ということで、先日、久しぶりに大型書店に行きました。
陳列の妙によって思わぬ本を手に取ってみたり、「これは誰が読むんだろう?買う人いるのかな」と思うような本のページをパラパラとめくってみたり。目移りするほど読みたい本がたくさんあって、時間を忘れて書架から書架へと行ったり来たり、あっという間の1時間。
改めて私は本屋さんという空間が好きなんだなあと思いました。
報道によると、ネット通販や電子書籍の普及によって街の書店の数が減少しています。
この10年で全国から4600件を超える書店が消え、書店数は10年前の約3分の2になったとのこと。特に小規模書店(1坪から49坪)の減少が顕著のようです。
さらに、全国1741自治体のうち482、全体の25%以上の自治体で「書店がない」というのです。
対して書籍のネット販売額は、この10年で2倍に増加。
私もネットで購入する方が楽で、かつ在庫も膨大なため、ついついポチっとしてしまいますが、ネットではどうしても自分の趣味嗜好にあった本ばかりを選んでしまい、世界が広がらないというデメリットがあります。
一方、街の書店では、実物を目にし、装丁が素敵で思わず手にした本から新たな作家さんとの出会いが生まれたり、ネット購入にはない魅力があります。
聞くところによると、フランスでは、ネットの書籍販売について送料無料を規制する「反アマゾン法」なるものが導入されているそうです。
日本でも、今年3月、経済産業省が書店を支援するプロジェクトチームを発足しました。
経産省が具体的にどのような支援策を打ち出すのか期待されますが、書店側も時代に合わせた変化を求められていることも事実。旧態依然とした経営では立ち行かなくなるのは必至であり、書店側の工夫も必要でしょう。
と、偉そうなことを書いた私ですが、今年の読書量は昨年の半分にも及ばず。
一番幸せな時間は寝る前の読書時間のはずなのに、本を開くとたちまち夢の中へ。
晩酌の量を少し(←ここ重要)減らして読書時間を確保することで、心身ともに健康に、というのが、私の残り2か月の目標です。
今朝のお供、
HELLOWEEN(ドイツのバンド)の『KEEPER OF THE SEVEN KEYS Part1』。
今宵はたかちよ(高千代酒造)のハロウィン限定酒HALLOWEEN LABELで乾杯。
(司法書士 佐々木 大輔)
一年の計は元旦にあり。
私も元旦に今年の目標を立てました。その中からひとつ挙げると「読書100冊」。
近年は多くて50冊程度という年が続いておりましたので、今年は倍増です。
1か月あたり8~9冊、3~4日に1冊ペースとなるでしょうか。
今月は9冊読めましたのでまずは順調なスタートを切ったと言えるでしょう。
もちろん、冊数だけをこなすつもりはなく、内容も充実した読書を心掛けるつもりです。
今年は海外現代文学と(国内の)話題の新刊も積極的に読んでいこうと思っています。
先日、久しぶりに海外の現代文学を読みましたが、当然のことながら日本文学とは違う趣がありました。
人間を描くに当たり普遍的なものはあるのですが、捉え方には違いがあらわれます。
その違いの根底にあるものについて思索することも含め、海外文学に接することは異文化への理解の端緒となるものと考えます。
話題の新刊については言わずもがな。
世間の流行を把握するためという理由もありますが、文学(純文学も大衆文学も)は「時代を映す鏡」です。
以前も当ブログで取り上げた言葉ですが、大江健三郎氏は、「優れた芸術家・小説家とは、新しい表現のかたちを持っていて、私たちは彼に与えられたかたちを見て、自分の生きている世界とはこういうものかと、あらためて理解することがある」と言っています。
それから今年は久しぶりにミステリ(特に、いわゆる「新本格派(※)」以降の作品)を集中的に読みたいと思っています。
新本格派ミステリの名作についての指南書も購入しましたので、指南書を参考にリストアップされた作品をひとつずつ読んでいく予定です。
ところで、皆さんがイメージするミステリ小説のお供に合う飲み物とは何でしょうか。
私の場合はコーヒーかワインかウイスキーかというところですが、どれも大好きなので迷ってしまいます。
ワインは犯行の道具になったりとミステリには欠かせないものですが、個人的には探偵役が(チャンドラーのフィリップ・マーロウのように)ハードボイルドな雰囲気の人物であればウイスキーかな。
しかし、お昼からウイスキーをお供に読書は贅沢?すぎるので、日の高いうちはコーヒーとともに、夜はウイスキーとともに。
って、自分で言い出しておきながら何ですが、別に決めつけなくてもいいじゃないですかね。
そのときの気分と作品との相性で楽しむことにします。
今年100冊読めたのかどうか。結果は年末、当ブログで正直に報告いたします。
今年もたくさんの良作に出会えるといいな。
※新本格派(新本格派ミステリ)
綾辻行人が1987年に『十角館の殺人』でデビューしたことをきっかけに、1980年代後半から1990年代前半にかけて、京都大学推理研究会出身者を中心とした20代の新人ミステリ作家が相次いでデビューし、一大ムーブメントが起こった。後続世代は第二世代、第三世代(新新本格派)などと呼ばれている。新本格派ミステリとは、これらの作家による作品を指す。
今朝のお供、
GUNS N’ ROSES(アメリカのバンド)の『USE YOUR ILLUSION Ⅰ&Ⅱ』(スーパーデラックスボックス)。
1991年N.Y.RITZでのライブ音源が完全版で聴ける喜び。誰が何と言おうと私の青春。
(司法書士 佐々木 大輔)