カテゴリー「本・文芸」の記事

決まりだな

決まりだな、今年の本屋大賞。
正しくは“私の”本屋大賞。
朝井リョウ著『イン・ザ・メガチャーチ』。

正直に言えばその他のノミネート作品は読んでいないのですが、それでも、本作が今年の大賞最有力であると断言できるだけの作品でした。

朝井リョウさんは、『何者』で第148回直木賞を受賞。
直木賞史上初の平成生まれの作家として注目されました。
近年も『正欲』、『生殖記』など意欲的な作品を立て続けに発表。
「時代を切り取る」ことにかけて現役隋一の作家です。

――神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ――

主な登場人物は、デビューを間近に控えたアイドルグループの運営に協力を求められたレコード会社勤務の中年男性久保田慶彦、大学サークルでの活動に悩みアイドルグループにはまっていく慶彦の娘(今は慶彦の元妻と暮らす)武藤澄香、ある舞台俳優を応援していたところ衝撃的なニュースによって陰謀論へと傾いていく契約社員隅川絢子。
ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側。
この3人の視点から、「ファンダム経済」をテーマに、熱狂が生む危うさを解像度高く描いたのがこの『イン・ザ・メガチャーチ』です。

ファンダムとは、特定の対象を熱心に応援するファンたちのコミュニティや集団のことであり、本来、純粋な信仰(好きを共有する連帯意識)であるはずなのに、そこに資本主義が入り込むことによって、ファンダム経済が形成され、信仰に値段がつきます。
やれCDやグッズをどれだけ買ったか、やれ推しの動画の再生回数を増やすためにどれだけ繰り返し再生したかとか。
数字が信仰の深さの基準となり、純粋だったはずの信仰は資本主義に還元されていきます。
辛い現実社会を生きる中で夢中になれるものを見つけ、資本主義から距離を置いた桃源郷に遊ぶはずが、その桃源郷すらも誰かが描いた「物語」に飲み込まれていくのです。

人は自分の信じる「物語」を通して社会や世界を見る。
いや、むしろ人は自分の信じる「物語」を通してしか社会や世界を見ない。
だからこそ人は「物語」によって操られてしまう。

私は知らぬ間にどんな物語に操られているのだろう。

ラストシーンについても、朝井さんは決して悲劇的なものではないと言います。
しかしこの大作を読み終え、本を閉じた後に残ったのは、私自身のアイデンティティにまで踏み込まれた恐怖でした。


今朝のお供、

NINE INCH NAILS(アメリカのバンド)の『GhostsⅠ‐Ⅳ』。

                              (司法書士 佐々木 大輔) 

シャチの詩

私が好きな手塚治虫著『ブラック・ジャック』に「シャチの(うた)」という話があります。

――開業したての頃のブラック・ジャック(BJ)、診療に訪れる患者はなく、いつも近くの入り江で海を眺めていた。
その入り江に傷ついたシャチが迷い込む。
「お前が最初の患者だ」と言いながら傷を治してやると、シャチは診療代がわりに一粒の真珠をくわえて差し出す。
その後もシャチは頻繁に入り江を訪れ、友誼を結んだBJはそのシャチにトリトンと名付ける。
ひとつ気がかりなのは、時々トリトンがひどい傷を負ってくること。
そのたびにBJは傷を治し、トリトンはその時々で真珠やサンゴや古い金貨などを持ってくる。
ある日、BJは町で「シャチが漁場を荒らしている」という話を聞く。
しかもそのシャチは傷を負わせてもいつの間にか治っており、包帯を巻いていることもあるとか。
思い当たったBJはトリトンに「悪いことはいわん、大海原へ出て行け。もう二度と漁場やここへは戻ってくるな。そうしないといずれ殺されるぞ」と諭す。
ところがトリトンは漁場荒らしをやめない。
そしてついに船が襲われ、子供が犠牲になったと町は大騒ぎに。
町民総出のシャチ狩りによって、シャチは半死半生の重傷を負ったという。
トリトンであってくれるなと願いながらBJが入り江に行くと、果たして瀕死状態のトリトンがいた。
トリトンはBJを見ると嬉しそうに口にくわえた真珠を差し出す。
しかしBJは「今度ばかりはいくら真珠を出しても治せない!」と拒絶する。
それでもトリトンはあきらめることなく、毎日傷だらけの体で、新しい真珠をくわえては入り江に来る。
日に日に弱っていくトリトン。
見て見ぬふりを続けるBJだったが、耐えきれなくなり岩陰からトリトンに向かって叫ぶ。
「もう、やめてくれトリトン!おれはなにも、たくさん真珠がほしいんじゃない!治せないといってるのだ・・・もう治せないんだ!」
トリトンはやっと拾った最後の一粒をくわえながら、輝くたくさんの真珠に囲まれて息絶える――

現在も秋田県では熊による人身被害が多発しています。
県が5月に発令した「クマ出没警報」も12月末までさらに延長されることになりました。
市街地でも住宅地でも関係なく熊は出没し、時に店舗や住宅に侵入しては長時間にわたり居座る事例も増えています。
店舗等の自動ドアを手動に切り替えたり、徒歩で通勤通学をする方々は鈴をつけて歩くなど、県民は自らの身を守ることに腐心しています。
私は車通勤ですが、我が家でも車庫のシャッターを開けた途端、熊が目の前にいるかもしれないという恐怖はぬぐえません。
熊におびえる毎日。
自衛隊による後方支援活動も開始されました。
秋田県民、熊が憎くて駆除しているわけではないのです。
自分たちの生活を守るため、駆除せざるを得ないのです。

翻って「シャチの詩」における町民の怒りと、ブラック・ジャックとトリトンとのかけがえのない友情。
しかし事情を知ったブラック・ジャックは最後にトリトンを突き放します。
全話を通じてブラック・ジャックは人間と動物の命に優劣をつけるような人物ではありません。
場合によっては動物の命を優先することもあります。
その若き日のブラック・ジャックが、唯一心を開いたトリトンを突き放さざるを得なかった辛さはどれほどのものだったのか。

自分たちの生活を脅かす存在との「共存」を考える時、私はいつも「シャチの詩」が頭に浮かびます。


今朝のお供、

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(日本のバンド)の『CASANOVA SNAKE』。

三回忌。彼は今日も愛を歌っているだろう。

                              (司法書士 佐々木 大輔)

なによんでるの?

「おばあちゃん、何読んでるの?」
学生時代、祖父母の家に行った時、祖母がなにやら年季の入った本を読んでいるなあと思って聞いたところ、井上靖の『氷壁』とのこと。「ちょっといい?」と言って本を受け取り、(状態があまりきれいとは思えなかったので)指先で軽くつまむようにしてページをめくり奥付を見たら、なんと初版本。
祖母曰く、「若い頃から家にあった本なのよ。何度読んでも素晴らしい本」。

祖父母の家には本がたくさんありました。
田舎の家ですのでスペースだけは十分だったため、祖父母が読んだ本ばかりではなく、親戚中から各家で収納できなくなった本が集まっていたのです。
だからベストセラーものなどは同じ本が何冊もあったりして。
祖父の書斎だけは少し毛色が違い、郷土史の本や詩集などがたくさんありました。

どの部屋にも本棚があり、本がぎっしり詰まっていたのですが(2階の廊下は本棚の重みで傾いでいました。危なかった)、夏休みなどに私の家族が泊まる部屋には、大江健三郎著『万延元年のフットボール』、阿部公房著『砂の女』、三島由紀夫著『豊饒の海』など名作の初版本がずらり。
そしてこれらは、後に古本屋さんなどで買い集めた初版本コレクションではなく、発売当時純粋に読みたくて、親戚のみんなが銘々新刊で購入したものでした。
幼い頃から「なんだか古いけど箱に入った立派な本が並んでいるなあ」と思い眺めていた本棚、少し大人になって改めて見ると垂涎のお宝でした。

「おばあちゃん、何読んでるの?」
またある時、祖母が読んでいたのは俵万智著『サラダ記念日』でした。
祖母は生涯にわたり短歌を詠んでいましたので、歌集を開いていても不思議はないのですが、祖母にとってのサラダ記念日って、美空ひばりを聴いている世代が安室奈美恵や宇多田ヒカル(※)の歌を聴くようなものじゃないの?なんて少し意地悪に思いながら、「どうなの、『サラダ記念日』って」と、どこかで祖母の批判的な答えを期待して聞いてみたのですが、意外にも返ってきた答えは「日常をこんなにもみずみずしく切り取ることができる感性が素敵。おばあちゃんにはとても詠めないわ」でした。
むしろ祖母の感性の若さに感心したものです。
そしてその『サラダ記念日』も、発売当時、新刊でいち早く購入したものだったそう。

――「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日――

7月6日が近づくと、この歌とともに祖父母の家の本棚を思い出します。
祖父母も亡くなり、今はその多くが処分され、だいぶすっきりした祖父母の家ですが、心に残る読書体験は、親戚一同の豊かな感性を育んだと思いたい。

今、2歳8か月の姪が夢中で絵本を読んでいます。

姪っ子よ、そのつぶらなおめめで「なによんでるの?」


※ 新しい世代のたとえが古くてすみません。でも、祖母にこの質問をしたのが25年くらい前ですので当時は彼女たちの歌が最先端だったんです。


今朝のお供、

GAMMA RAY(ドイツのバンド)の『INSANITY AND GENIUS』。

                              (司法書士 佐々木 大輔)