カテゴリー「音楽」の記事

ポリーニさんのこと

世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニさんが亡くなられました。享年82。

先月の小澤征爾さんに続いての訃報。

2か月続けて同じようなブログを書くことに躊躇はありますが、触れずにやり過ごすには私にとってあまりにも大きな存在ですので、すみません、書きます。

私が最も敬愛するピアニストであるマウリツィオ・ポリーニ。

ポリーニの演奏を聴くきっかけはちょっと天邪鬼なものでした。

当時私が指南役としていた某評論家が、ポリーニの演奏、録音を、口を極めて罵っていたのです。その影響でしばらくポリーニの演奏を避けていました(聴かず嫌いというものです)。

しかし、その評論家が否定すればするほど、逆にポリーニに対する興味は高まるもので、「そこまで悪く言われるポリーニの演奏とはいかなるものか聴いてみたい」と思うようになり、ついに手に取ったのがショパンのピアノ・ソナタ第2番と第3番が収録されたCDでした。

一聴、それまで私が抱いていたショパンのイメージ(そしてそのようなイメージのショパンがあまり好きではなかった。)とは全く違う、たくましく、そして情に流されない硬派な演奏は、ショパンに対する苦手意識を覆すのに十分でした。

もっとポリーニのショパンを聴いてみたくなり、次に手に取ったのが天下の名盤『練習曲集op.10&op.25』(※)。

以降、新譜が出ると真っ先に購入し、過去の録音にもさかのぼりながら聴き続けてきた30年近い年月。

特に70年代に録音されたベートーヴェンやシューベルト、シューマンといったいわゆる“王道クラシック”レパートリーも、ポリーニが弾くと全く新しい音楽に聴こえました。

さらに、それまでの私には縁遠かったシェーンベルク、バルトーク、ウェーベルン、ノーノ、ブーレーズ、シュトックハウゼンなど近現代の音楽家の魅力も教えてくれました。

溢れんばかりの情熱をしっかりと形式の中に凝縮させる冷静さ、決して音楽の均衡を崩さなかった強靭な精神力とピアニズム、すべてが知的な興奮に満ちていました。

ポリーニの実演に触れられたのは1度だけ。2001年5月12日サントリーホールでのリサイタルです。

チケットを入手するのにも苦労しました。3時間以上電話をかけ続けてようやくつながったプレイガイド、売切れを覚悟していたら奇跡的に残席あり。嬉しかったなあ。

リサイタルのプログラムは、前半がシューマン作曲のアレグロとクライスレリアーナ、後半がリスト作曲の晩年の小品とピアノ・ソナタというヘビー級のものでした。

リストのソナタでは、ミスター・パーフェクトと呼ばれたポリーニにしては驚くようなミスが見られたりと、ライブならではのハプニングも。

実は前半もあまり調子が良くなく(そもそも楽器の鳴りが悪く、後半に向けて楽器を交換していた。)、ご本人、本編では不完全燃焼だったのかもしれません。

そのかわりアンコールを6曲も演奏してくれました。

その中にはリストの超絶技巧練習曲第10番や、ポリーニの代名詞であるショパンの練習曲(op.10-4)も含まれていて、いよいよ観客は熱狂、スタンディングオベーションにて熱烈な拍手を送ったのでした。

ところで、演奏会当日、私の席の数列後ろに同時期に来日していたソプラノ歌手ジェシー・ノーマンさんがいらしており、ブラヴォー、ブラヴォーと叫んでいました。

ノーマンさんの声は当然のことながらものすごくよく通るんです。

ポリーニもノーマンさんに気づいたのか、ステージ上から何度もこちらの方を見てお辞儀をします。

私は今でもポリーニと何回も目が合ったとポジティブに信じていますよ。

今も書きながら、いろいろな思い出が去来して(そしてそれらがあまりに鮮やかによみがえることに動揺もしています。)、しばしばキーボードを打つ手が止まります。

ポリーニのCD、レコードはほとんど持っているのですが、聴いて追悼するにはもう少し時間がかかりそう。

それくらい今は悲しい。

たくさんの思い出とともに。


※ 音楽評論家吉田秀和氏がつけたキャッチコピー「これ以上何をお望みですか」でも有名。


今朝のお供、

クラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団による演奏でヴェルディ作曲『レクイエム』。

同郷で盟友でもあったアバドの指揮で。

                              (司法書士 佐々木 大輔)

小澤征爾さんのこと

指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。享年88。

とうとうこの日がきてしまったか、というのが訃報に接した時の正直な気持ちでした。

X(旧ツイッター)などで小澤さんのことが話題に上るたび、「すわ、いよいよか」と思い、そうではないことにほっと胸をなでおろすということが続いていました。

そして一喜一憂のたびに、「きっとその時がきたら、まだ持っていないレコードやCDを買い集めたりするんだろうな」などと思っておりましたが、訃報に接した私がとった行動はまさしく、馴染みのレコード屋さんに連絡をし、在庫があった小澤さんのレコードの中から私が持っていないレコードを全て注文することでした。

小澤さんの演奏には、青春の香りときらめきがありました。

今回、真っ先に哀悼の意を込めて針を落としたレコードは、ボストン交響楽団と録音したマーラーの交響曲第1番です。

新芽が萌すような生命力の輝きの中を薫風が爽やかに吹き抜けるこの演奏は、小澤さんの魅力がいっぱいに詰まっている大変な名演だと思います。

さらに小澤さんの特長は、ディレクションに優れていることであると思います。

これは師匠カラヤンの教えだったそうです。

「カラヤン先生は技術について細かいことは言わない。その代わり大事にしていたのが音楽のディレクション、方向性だ。時間の流れの中でいかに音楽の方向を定め、そこへ向かうか。いかに自分の気持ちを高ぶらせていくか」(日本経済新聞「私の履歴書」より)。

また、作家村上春樹氏との対談でも、「ディレクションという言葉がありますよね。方向性です。つまり、音楽の方向性。(略)長いフレーズを作っていく能力」「要するに細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ」と語っています(小澤征爾・村上春樹著『小澤征爾さんと、音楽について話をする』より)。

このようにカラヤンの教えを守り、小澤さんは音楽の方向付けを大切にしました。

その結果、小澤さんの演奏は見通しが良いため私のような素人の耳にも大変わかりやすく、それまで難解だと思っていた曲でも「ああ、そういう曲だったのか」と理解が容易になるのです。メシアンのトゥランガリラ交響曲しかり、ベルクのヴァイオリン協奏曲(Vn.ソロはパールマン)しかり。小澤さんのおかげで大好きになった曲はたくさんあります。

一方でご本人は「細部を犠牲にしても」と言っていますが、大きな流れを作った上でしっかりと細部も詰めていく緻密さがあり、そのきめ細やかさは日本人の“ものづくり”の最たるものとも思います。

小澤さんは、ヨーロッパへ迎合するのではなく、むしろ、日本人としてのアイデンティティを隠すことも取り繕うこともなくそのまま音楽に反映させました。

「僕は実験台。西洋音楽の伝統を持たない東洋人が、海外で認められる存在となれるかどうか」というのが小澤さんの口癖でした。

結果は皆さんご存じのとおり、日本人や東洋人としてどころか、そのような注釈なしに「小澤征爾」として世界で認められたのです。月並みな言い方になりますが、音楽には国境も人種も関係がないことを証明してみせたのです。

ただ、大病してからの最後の10年間、思うような演奏活動ができなかったことはご本人も無念だったことでしょう。

私ももっと小澤さんの円熟の演奏が聴きたかった。

1度しか実演に触れられなかったことも悔やまれます(小澤さんの本領はライブにあり)。

ずっと身近な存在で、いつでも聴くことができると思っていましたから。

残された録音を丁寧に聴き継ぐことで、私なりの追悼ができればと思います。

多くの仲間に、そして何より音楽に愛された小澤征爾さん。

ご冥福をお祈りいたします。


今朝のお供、

小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによる演奏でブラームスの交響曲第1番(1990年録音)

これも私の青春。

                              (司法書士 佐々木 大輔)

ハーゲン弦楽四重奏団

先日、ハーゲン弦楽四重奏団(ハーゲンSQ)の演奏会を聴きに、久しぶりにアトリオン音楽ホールに行ってきました。

リニューアルされてからは初めてのアトリオン。

中高生時代はアマチュアオーケストラの団員として舞台にもよく乗ったアトリオンのステージですが、改めて客席から眺めると記憶よりもコンパクト。

自然とミルハス大ホールと比べてしまいますが(本来比べるべきは中ホールですが、まだ中ホールで演奏会を聴いたことがないものですから)、室内楽専用ホールとしてはちょうどよいサイズといえるでしょう。

室内楽の中でもとりわけ弦楽四重奏曲というのは、かなり地味でとっつきにくいと言われ、クラシックファンの中でも(歌曲と並んで)敬遠されがちなジャンルですが、私はわりと好きで聴いています。

今回の演奏者であるハーゲンSQは、世界最高峰の弦楽四重奏団のひとつに数えられ、私もファンで20代の頃からCDを通して親しんできました。

そのハーゲンSQを秋田で聴くことができるというのであれば、行かない理由はありません。

私が聴き始めた頃は、まだ若手の演奏家というイメージでしたが、今ではすっかりベテラン。

40年超のキャリアの中で、第2ヴァイオリン奏者のみ交代しているものの、他の3人はオリジナルメンバーのまま。

そもそもハーゲン家の兄弟姉妹で結成した四重奏団ですから息もぴったり。

さらにヴィオラのヴェロニカ、チェロのクレメンスは、ソリストとしても世界中で活躍しています。

演奏会のプログラムは、前半がベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」とモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番、後半はピアニストに藤田真央さんを迎えたシューマンのピアノ五重奏曲という私の好きな3曲がそろい踏み。

その名のとおり厳粛で緊張感に満ちたベートーヴェン。

それに続くモーツァルト、第1楽章冒頭から大胆なメリハリをつけた表情のなんとロマンティックなこと。

私は当のハーゲンSQが90年代を中心に録音した弦楽四重奏曲全集を愛聴しておりますが、演奏会での演奏は録音のそれとはまったく異なるもの。

後半のシューマンでは、藤田さんの素晴らしいピアノに呼応するようにハーゲンSQも熱を帯びていきますが、響きにはどこまでも品がありました。

親子以上の年齢差がある若きピアニストを見つめるハーゲンSQの眼差しも温かい。

生で聴く演奏は良いものです。

特にコロナ禍以降、音楽は専らCDやレコードで聴くばかりでしたので(聴く手段が配信ではなくフィジカルなところがなんともアナログな私)、演奏者の息遣い、ホールに響く柔らかい音色、どれもが耳への最高のご褒美。

耳が贅沢を覚えすぎて困っちゃうな。

ええい、こうなったらどこまでも肥えてしまえばいいのだ。

これでいいのだ。

これがいいのだ。


今朝のお供、

The Rolling Stonesの『Hackney Diamonds』。

ミック・ジャガーは80歳になっても踊ってる。名作!

                              (司法書士 佐々木 大輔)