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(真)夏の夜の夢

秋田市も梅雨が明け、いよいよ暑い夏がやってきます。

暑いのが苦手な私は、毎年、ひと夏をどう乗り切ろうかと梅干を食べながら思案するのですが、一服の清涼剤となるのがメンデルスゾーン作曲の劇付随音楽『真夏の夜の夢』(op.61)です。
あまりにもひねりのない選曲に自分でもあきれてしまうのですが、メンデルスゾーンらしい明るく爽やかな旋律にあふれた『真夏の夜の夢』を聴くと、蒸し暑い夜にも涼風を感じることができます。

ご存じのとおり『真夏の夜の夢』は、シェイクスピアの同名戯曲をもとに作曲された音楽です。細かいことをいうと、メンデルスゾーンは同名の『序曲』(op.21)を17歳の時に作曲しており、後年、『真夏の夜の夢』の上演に付随する音楽の依頼を受けて作曲したものが、有名な「結婚行進曲」を含む劇付随音楽版(op.61)です。
劇付随音楽として全曲演奏される際は、冒頭に『序曲』(op.21)が演奏されることがほとんどですので、通常は序曲(op.21)と劇付随音楽(op.61)とをあわせてひとつの『真夏の夜の夢』として聴かれています。

ところで、近年、『真夏の夜の夢』というタイトルは、『夏の夜の夢』と称されるようになりました。シェイクスピアの原題は『Midsummer ~』ですから「真夏」でいいのではとも思うのですが、劇の舞台が五月祭の前夜4月30日のことであるので、さすがに「真夏」の訳は適さないのではないかとの議論が起こり、舞台背景を考慮して『夏の夜の夢』と訳されるようになりました。一方、坪内逍遥以来使用されてきた『真夏の夜の夢』のタイトルについて、「(舞台背景は別として)真夏は恋の狂熱を示唆する名訳」との評価もあります。
専門外の私としては、『真夏の夜の夢』の方に馴染みがあり、「真夏」は「恋の狂熱」のメタファーとの解釈が成り立つのであれば、とりあえず「真夏」推しでいきたいと思います(そもそも五月祭なら「真夏」どころか「夏」ですらないんじゃないの?という疑問も)。

閑話休題。
『真夏の夜の夢』を題材にした音楽はほかにもたくさんありますが、私にとってメンデルスゾーンの同曲よりも思い入れがあるのは、ヘンリー・パーセル作曲の『妖精の女王』です。私が初めてオーケストラで演奏した楽曲で、その時は『真夏の夜の夢』というタイトルでプログラムに載りました。当時はまだインターネットも普及していない時代でしたので、パーセルの『真夏の夜の夢』のCDをなかなか発見できず、苦労したことを覚えています(パーセルの同曲はメンデルスゾーンに比べてはるかに知名度が低い)。十数年前、インターネットで検索し、パーセルの同曲は『妖精の女王』と呼ばれる方が一般的であることを知り、やっとのことで同曲のCDやレコードを入手することができました。
インターネットは本当に便利ですね。

また話がそれてしまいましたが、言いたかったのは、夏が苦手な私でも夏の音楽は大好きであるということ。
ポップス音楽やロック音楽にも夏の名曲はたくさんあり、それこそ紙幅に限りがなければ、大好きな夏歌を1曲ずつ、くどいくらいにアナリーゼ(楽曲分析)してみたいと思ったりもしますが・・・。
あれ?どうやら誰も望んでいないようなので自粛いたします。

今朝のお供、
KISS(アメリカのバンド)の『KISS』。
KISS最後の来日公演決定。「DEUCE」という曲が好き。夏歌とはまったく関係ありませんが。

                                   (佐々木 大輔)

オペラは優雅?

年が明けてバタバタとしているうち、あっという間に2月も下旬となってしまい、毎月下旬に更新するはずの当ブログも1月分はお休みしてしまいました。
当ブログを楽しみにしてくださっていた皆さん、申し訳ありませんでした。
遅くなりましたが今年もよろしくお願いいたします。

そんな慌ただしい毎日の締めくくりとして私が楽しみにしているのは、毎晩寝る前に聴くオペラです。
「オペラだなんて優雅ですねえ」と思われた方もいらっしゃると思いますが、最近聴いている作品は、ベルク作曲の『ヴォツェック』やバルトーク作曲の『青ひげ公の城』、R.シュトラウス作曲の『サロメ』など、ここで内容に触れるのは憚(はばか)られるような、優雅とは程遠いものなのです。寝る前に聴いて、よく悪夢にうなされないものだと自分に感心してしまうくらい。

では、なぜオペラばかり聴いているのか。
考えるに、どうやら先日アトリオンで上演されたプッチーニ作曲のオペラ『ラ・ボエーム』を聴きに行けなかったから(聴きに行かなかったから)その反動で、というのが原因のようです。秋田ではオペラの生演奏に触れられる機会はそうそうありませんから。その反動が勢い余って、ロマンティックな『ボエーム』とは対極にある凄惨な?内容のオペラに手が伸びているようです。

先日の『ボエーム』をパスした理由はいくつかあるのですが、ひとつには演奏会形式であったこと。演奏会形式とは、舞台装置などは一切なく、歌手、合唱団そしてオーケストラ――通常のオペラ上演では、オーケストラは、舞台と客席の間に設けられたオーケストラピットの中で演奏します――がステージ上に並び、オペラを「演奏」する形式のことです。せっかくのオペラなので、ちゃんとしたオペラの形として観たかったという私のわがままです。もちろん、せっかくの希少な機会だからこそ演奏会形式でも観に行けばよかったのに、というツッコミは受け付けます。

ちなみに、『ボエーム』は万人にオススメできるオペラです。
夢見る若き芸術家たちの悲恋物語で、全4幕を通じて美しいアリアが散りばめられている贅沢な作品です。
第1幕でさっそく歌われる名アリア「冷たい手を」(テノール)と「私の名はミミ」(ソプラノ)。
特に「冷たい手を」が大好きな私。力強くどこまでも伸びやかなパヴァロッティの歌声で聴くのが一番ですが、ステファノの甘い歌声も捨てがたい・・・。

あ~、書いているうち頭の中に『ボエーム』の旋律が溢れてきました。
四の五の言わず、やっぱり行けばよかったな。

今朝のお供、
アバド指揮ミラノ・スカラ座他によるヴェルディ作曲のオペラ『シモン・ボッカネグラ』。
通勤時はちょっと渋いこちらを。

                                   (佐々木 大輔)

レナード・バーンスタイン

今年はレナード・バーンスタイン(1918~1990)生誕100周年の年。
ということは、ライバルといわれたカラヤンの生誕110周年の年でもあるわけですが、今回はバーンスタインについて。

マエストロ(巨匠、芸術の大家)と呼ばれることを好まなかったバーンスタインのことを、弟子もオーケストラの団員もみな愛情をこめてレニーの愛称で呼びます。例えばカラヤンとバーンスタインの両者に師事した小澤征爾氏は、今でも回想する際カラヤンのことはカラヤン先生と呼び、バーンスタインのことはレニーと呼んでいます。

私にとってレニーはカラヤンと並ぶ大指揮者という存在ですが、クラシック音楽に馴染みのない方々にとっては何といってもミュージカル『ウェストサイド物語』の作曲家としてのイメージが強いのではないでしょうか。
クラシック音楽の歴史の浅いアメリカから登場し、破竹の勢いでスターに上り詰めた若武者というのが、クラシック音楽界における初期の評価であったかと思います。

アメリカ時代のレニーの演奏で最も印象に残っているのは、1959年にニューヨーク・フィルを指揮したショスタコーヴィチ作曲の交響曲第5番。ショスタコーヴィチ自身もレニーの演奏に絶大な信頼を寄せていたといわれています。圧倒的なスピードで駆け抜ける最終楽章の演奏は、他の指揮者では満足できなくなってしまうほどの劇薬。後年、同じオーケストラを振って再録音したものもありますが、私はこの59年盤の方を長らく愛聴しています。

70年代に入ると、活動の拠点をアメリカからヨーロッパへと移し、特にウィーン・フィルとは相思相愛の関係を築いて多くの録音を残しました。
ウィーン・フィルとの録音の中で最も思い入れがあるのは、10代のころからCDで親しんできたベートーヴェン作曲の交響曲第9番。つまり第九です。ライヴ録音ということもあり、レニーの指揮台を踏みしめる足音や唸り声も生々しく収録されています。
人間愛を高らかに歌いあげた合唱が終わり、オーケストラが火花を散らして一気呵成に終結へと突き進む熱量は、レニーの燃えたぎるヒューマニズムそのもの。人類が、国籍も肌の色も目の色も一切関係なく手を取り抱き合うことは、夢想に終わるものではなく努力によって実現可能なものなのだということを、聴く度に教えられる演奏です。

最後に、レニーの作品についてエピソードをひとつ紹介します。
先日N響の演奏会をテレビで観ていたところ、レニー作曲の『セレナード』が演奏されていました。ヴァイオリン独奏は誰だろうかとよく見ると五嶋龍氏。同じヴァイオリニストである五嶋みどり氏の弟さんです。
とくれば、詳しい方はもうお気付きかもしれません。そう、“タングルウッドの奇跡”です。
当時14歳だったお姉さんのみどり氏が、タングルウッド音楽祭でレニー指揮ボストン交響楽団と『セレナード』を共演した時のこと、演奏の途中でヴァイオリンの弦が切れるというハプニングに見舞われたみどり氏は、音楽を途切れさせるわけにはいかないと即座にコンサートマスターから楽器を借りて演奏を続けたものの、再び弦が切れ、今度は副コンサートマスターから楽器を借りて最後まで演奏したという伝説の演奏会です。終演後、レニーは何度も涙をぬぐいながらみどり氏を抱きしめ、翌日のニューヨーク・タイムズ紙でも「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」という見出しが一面トップを飾りました。
テレビで聴いた龍氏の演奏は、お姉さんのエピソードに怯むことなく気負うことなく、丁寧に演奏された実直なものでした。
生誕100周年。天国のレニーにとって素敵なプレゼントになったことでしょう。

今朝のお供、
バーンスタイン指揮ベルリン・フィルの演奏でマーラー作曲交響曲第9番。
1979年、カラヤンが音楽監督を務めるベルリン・フィルに、レニーが生涯でただ一度だけ客演した時のライヴ録音。
カラヤンの生前は発売が禁止されていたという曰くつきの一枚。

                                   (佐々木 大輔)