芥川賞

先月、お笑い芸人又吉直樹氏の著作『火花』が、第153回芥川賞を受賞したことで大きなニュースとなりました。又吉氏が敬愛する作家太宰治が受賞できなかった芥川賞を受賞したことで、「太宰超え」などという見出しも躍ったほどです。

芥川賞と直木賞。又吉氏の受賞報道で説明し尽くされた感はありますが、誤解を恐れずおおざっぱにいえば、芥川賞は、新人の登竜門であり純文学作品に対して与えられるもの。これに対して直木賞は、大衆文学賞であることから、ある程度キャリアがあり人気を確立した作家の作品に与えられることが多い賞です。
とはいえ、80年以上の歴史を誇る両文学賞ですから、例外もあります。たとえば、純文学作家である井伏鱒二は、『ジョン萬次郎漂流記』で芥川賞ではなく直木賞を受賞していますし、のちに社会派ミステリーの大家として名を成す松本清張は、「或る『小倉日記』伝」で反対に芥川賞を受賞しています。

また、大江健三郎氏が、東大在学中、デビュー作「死者の奢り」で芥川賞候補になった半年後、「飼育」で再び候補になった際、選考委員からは「(前回の候補から)半年の間に流行作家となった大江君が受賞すれば、新人賞としての意味がぼやけてしまう」との声が上がったそうです(結局、「飼育」で受賞)。新人の基準に厳格な時代もあったのですね。
一方で近年、すでに他の文学賞も多く受賞し、10年を超えるキャリアを持っていた阿部和重氏が芥川賞を受賞しており、阿部氏は「(キャリアのある自分が)新人に与えられる賞を受賞したことは、手放しで喜べない」と複雑な気持ちを吐露していました。

芥川賞には長い歴史がありますから、このほかにもさまざまなエピソードが残されていますが、最大の事件といえばやはり冒頭に触れた太宰の落選でしょう。
第1回の候補となった太宰の「逆行」。敬愛する芥川龍之介の名を冠した文学賞を、熱烈に欲した太宰でしたが―実際は、賞そのものよりも、借金返済のために副賞の賞金が目当てだったという生々しい話も―選考委員の1人であった川端康成が「作者目下の生活に厭な雲ありて」と、太宰の私生活の乱れを指摘したこともあり落選。
この選評を知った太宰は烈火のごとく怒り、「小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。さうも思つた」と川端に対する恨みつらみを文芸誌に寄稿し騒動となりました。

太宰ファンとしては苦笑いするしかないエピソードですが―それにしても太宰の文章は、引用した悪口ひとつとっても、リズムが優れ、切れ味も抜群です―後日談として、川端は後年の太宰を評価していたということですから、先輩作家として、才能ある太宰が受賞を機に、さらに堕落していくことを気にしたのかもしれません。
ちなみに、太宰が逃した第1回の受賞作は、秋田県出身の作家石川達三の『蒼氓』です。

同じ太宰ファンとして、私が又吉氏に親しみを感じたきっかけは、あるテレビ番組で又吉氏が語っていた「最も影響を受けた太宰の言葉」が、私の好きな言葉(2010/06/14)と同じだったことです。
ところで、私はまだ件の『火花』を読んでおりません。
読まずに“作家又吉直樹”について何かを語ることは失礼に当たりますから、今回はこの辺で。

 

今朝のお供、
U2(アイルランドのバンド)の
『How to Dismantle an Atomic Bomb』。

(佐々木 大輔)