ショパン・コンクール

今年は5年に1度のショパン国際ピアノ・コンクール(ショパン・コンクール)の年。
ショパン・コンクールは世界最高峰のコンクールのひとつとして広く知られています。

過去には、マウリツィオ・ポリーニ(第6回1960年)、マルタ・アルゲリッチ(第7回1965年)、クリスティアン・ツィメルマン(第9回1975年)といった錚々たるピアニストが優勝しています。また、1985年に優勝したブーニンの日本における熱狂的な人気ぶりをご記憶の方も多いのではないでしょうか。

ショパン・コンクールは予選からファイナルまで、一貫してショパンの楽曲のみを演奏します。そこで、(技術的に少々難があっても)魅力的なショパンを演奏するピアニストを評価するのかそれとも総合的にみてハイレベルなピアニストを評価するのかということが問題となり、ショパンの解釈については「ロマンティック派」を推すのか「楽譜に忠実派」を推すのかということが問題になります。
「正しい演奏とは何か」とは永遠の課題であり、青柳いづみこ氏の著書によると、それは多分に政治的な駆け引きの中で揺れ動き、若き才能を発掘するはずが、審査員同士の争いに化けてしまうこともしばしばというちょっと嫌な現実も。
そもそも“芸術”に点数をつけること自体に無理があると言えばそれまでかもしれませんが。

ところでショパン・コンクールは、開始当初から是が非でもショパンの祖国ポーランドから優勝者を輩出したいという思惑がありながら、第1回大会ではソ連のピアニスト(レフ・オボーリン)が優勝するという幕開けでした。それは、冷戦真っただ中のソ連が、国の文化的威信をかけて開催したチャイコフスキー国際コンクールの第1回大会(1958年)ピアノ部門において、アメリカ人であるヴァン・クライバーンが優勝したのと似たようなものでしょうか。
その後ショパン・コンクールは、ソ連とポーランドのピアニストの優勝が続き、第6回大会で初めて西側(イタリア)のピアニストであるポリーニが優勝したという経緯があります。

どうしても政治的な色を帯びてしまうのは、国レベルでもそれだけ重要なコンクールであることの表れとは思いますが、審査の裏側を覗いてしまうと、純粋にコンクールを見ることができなくなってしまうのは悲しいものです。
それでも私は、私情も政治もねじ伏せるだけの圧倒的な才能の出現を毎回期待しています。
そしてコンテスタントの皆さんには、結果に一喜一憂することなく、自分の才能を信じて、将来にわたり素晴らしい演奏を聴かせてもらいたいと願っています。

今朝のお供、
マウリツィオ・ポリーニの演奏によるショパンの『練習曲集』。

                                   (佐々木 大輔)