「おばあちゃん、何読んでるの?」
学生時代、祖父母の家に行った時、祖母がなにやら年季の入った本を読んでいるなあと思って聞いたところ、井上靖の『氷壁』とのこと。「ちょっといい?」と言って本を受け取り、(状態があまりきれいとは思えなかったので)指先で軽くつまむようにしてページをめくり奥付を見たら、なんと初版本。
祖母曰く、「若い頃から家にあった本なのよ。何度読んでも素晴らしい本」。
祖父母の家には本がたくさんありました。
田舎の家ですのでスペースだけは十分だったため、祖父母が読んだ本ばかりではなく、親戚中から各家で収納できなくなった本が集まっていたのです。
だからベストセラーものなどは同じ本が何冊もあったりして。
祖父の書斎だけは少し毛色が違い、郷土史の本や詩集などがたくさんありました。
どの部屋にも本棚があり、本がぎっしり詰まっていたのですが(2階の廊下は本棚の重みで傾いでいました。危なかった)、夏休みなどに私の家族が泊まる部屋には、大江健三郎著『万延元年のフットボール』、阿部公房著『砂の女』、三島由紀夫著『豊饒の海』など名作の初版本がずらり。
そしてこれらは、後に古本屋さんなどで買い集めた初版本コレクションではなく、発売当時純粋に読みたくて、親戚のみんなが銘々新刊で購入したものでした。
幼い頃から「なんだか古いけど箱に入った立派な本が並んでいるなあ」と思い眺めていた本棚、少し大人になって改めて見ると垂涎のお宝でした。
「おばあちゃん、何読んでるの?」
またある時、祖母が読んでいたのは俵万智著『サラダ記念日』でした。
祖母は生涯にわたり短歌を詠んでいましたので、歌集を開いていても不思議はないのですが、祖母にとってのサラダ記念日って、美空ひばりを聴いている世代が安室奈美恵や宇多田ヒカル(※)の歌を聴くようなものじゃないの?なんて少し意地悪に思いながら、「どうなの、『サラダ記念日』って」と、どこかで祖母の批判的な答えを期待して聞いてみたのですが、意外にも返ってきた答えは「日常をこんなにもみずみずしく切り取ることができる感性が素敵。おばあちゃんにはとても詠めないわ」でした。
むしろ祖母の感性の若さに感心したものです。
そしてその『サラダ記念日』も、発売当時、新刊でいち早く購入したものだったそう。
――「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日――
7月6日が近づくと、この歌とともに祖父母の家の本棚を思い出します。
祖父母も亡くなり、今はその多くが処分され、だいぶすっきりした祖父母の家ですが、心に残る読書体験は、親戚一同の豊かな感性を育んだと思いたい。
今、2歳8か月の姪が夢中で絵本を読んでいます。
姪っ子よ、そのつぶらなおめめで「なによんでるの?」
※ 新しい世代のたとえが古くてすみません。でも、祖母にこの質問をしたのが25年くらい前ですので当時は彼女たちの歌が最先端だったんです。
今朝のお供、
GAMMA RAY(ドイツのバンド)の『INSANITY AND GENIUS』。
(司法書士 佐々木 大輔)
今年は作曲家ショスタコーヴィチ(1906-1975)の没後50年。
初めて彼の交響曲第13番を聴いた時は、あまりの暗さに戦慄を覚えました。
ショスタコーヴィチは、ベートーヴェン以後、歴史に名を残した作曲家の中では、最も多くの交響曲を作曲した作曲家のひとりです。
第九の呪い。
偉大なる9曲の交響曲を作曲したベートーヴェン以後、歴史に名を残した著名な作曲家の多くは9曲を超える交響曲を作曲することができずにいました。
シューベルト8曲(9曲)、ブルックナー9曲、ブラームス4曲、ドヴォルザーク9曲、チャイコフスキー6曲・・・
そのうち交響曲を9曲作曲すると寿命が尽きるとのジンクスが言われるようになりました。
これに続いたのはマーラー。
第九の呪いを意識して、交響曲第8番の完成後に取りかかった次作の交響曲には番号をつけず、『大地の歌』と名付けました。
9つの交響曲を作曲し終え、マーラーはその後10番目の交響曲として第9番を作曲しましたが、次の第10番に手を付けたところで亡くなりました。
第九の呪いに打ち勝ったかのように思えたマーラーも、結局、番号付きの交響曲を9曲完成させて亡くなったのです(草葉の陰で何思う?)。
このマーラーの逸話を知っているショスタコーヴィチは、あえて交響曲第9番を小規模で軽妙な曲として書き上げて一気に第九の呪いを突破し、その生涯において15曲の交響曲を作曲しました。
ただし、この交響曲第9番は、第2次世界大戦での戦勝記念として(ベートーヴェンの第九のような)壮大な音楽を望んでいたロシア政府当局の意向に沿うものではなく、猛烈な批判にさらされたのでした。
なぜ、名だたる偉大な作曲家たちが9曲の壁に阻まれたのか。
それはベートーヴェンが交響曲を音楽芸術の最高峰に位置するものへと昇華させたためとされています。
のちの作曲家たちにとって交響曲を書くということが神聖な行為となりました(ベートーヴェン以前の作曲家、たとえばハイドンは100曲以上、モーツァルトは40曲以上の交響曲を残しており、交響曲はそれほど特別な音楽ではありませんでした。)。
ブラームスにいたっては、プレッシャーから最初の交響曲を作曲するのに20年以上を要し、その第1交響曲の曲風も評論家から「ベートーヴェンの第10交響曲だ」と揶揄されたものでした。
作曲家は、交響曲1曲ごとに自分の持っている芸術性、音楽性、テクニックなど全てをもって臨むため、9曲も作曲すればさすがにアイディアを使い果たし、年齢的にもそろそろ人生の終わりを迎えるということがよく言われます。
これが第九の呪いの正体であると。
閑話休題。
今年はショスタコーヴィチをじっくり聴きたいと思い、交響曲全曲のほか協奏曲やオペラを収録した輸入盤CDボックスセットを注文しているのですが、まだ届いておりません。
人気なのか、メーカーへの取寄せが続いております。
そもそも今の時代、CDで聴こうという人が少なくて、製作されているセットの個数が少ないのか。
届くまでは、まずは手元にある3種類の交響曲全集を改めてしっかり聴き込みたいと思います。
今朝のお供、
Franz Ferdinand(イギリスのバンド)の『You Could Have It So Much Better』。
(司法書士 佐々木 大輔)
当ブログ、業務多忙のため遅れることもありますが、原則として毎月月末に配信いたします。
先日、映画『セッション』(デジタルリマスター版)を映画館で観ました。
『セッション』は2014年(日本では2015年)に公開され、アカデミー賞3部門を受賞した名作です。
今回、公開10年を経て、デジタルリマスター版が上映されました。
オリジナルの『セッション』は、私が2年前の今頃、アマゾンプライムビデオで最初に観た映画でした。
当時はスマートフォンの小さな画面で観たものですから、思い出の作品(しかもデジタルリマスター版)をスクリーンで観られるなんてこれ幸いと、すぐに映画館へ向かいました。
――主人公のニーマンは、バディ・リッチのように偉大なドラマーになるという野望をもって名門音楽院に入学する。
伝説の鬼教師として知られるフレッチャー教授のバンドにスカウトされて喜ぶが、彼を待ち受けていたのは体罰も日常茶飯事の常軌を逸した過酷なレッスンだった。わずかなミスも許さない完璧主義者のフレッチャーは、学生を身体的、精神的にも追い詰めていくが、それに食らいつこうとするニーマンの執念もすさまじい。
ラスト9分19秒、両者の狂気はついに頂点に達する――
これを単に時代にそぐわないパワハラ、アカハラ映画と切り捨てていいものか。
フレッチャーはニーマンに対し、「自分の使命は偉大なミュージシャンを育てること。学生にはジャズ界の伝説になってほしいと願っている。チャーリー・パーカーが伝説になれたのは、ジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられたから(悔しさをバネにして一流になった)」と語ります。
そして「最も危険な言葉はGood job!(上出来だ)という言葉だ」とも。
フレッチャーは才能ある者が立ち向かってくるのを期待したのでしょう。
ニーマンはフレッチャーの意を汲み、未来のチャーリー・パーカーになる勝負に出たのかもしれません(もちろん、なれる保証など何もないけれど)。
一方、このような指導により有能な者が潰される例も多々あること。
これはどんな世界でも起こる問題です。
映画のクライマックス、フレッチャーとニーマンの師弟間における復讐vs復讐の様相を呈し、ラスト9分19秒へと至るのですが、この特別な時間によってふたりは分かり合えたのか、反目したままなのか、それとも一体化したのか。
映画としては素晴らしい作品です。
ただ、この映画に私の好きな「音楽」はありません。
世の中ではこのような方法で音楽と呼ばれるものが作られているのも事実です。
しかしこのようにして生み出されたものを、私は好みません。
今朝のお供、
吉井和哉(日本のミュージシャン)の曲「FLOWER」。
(司法書士 佐々木 大輔)