東北楽天ゴールデンイーグルス

皆さんご存知のとおり、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスが、球団創設9年目にして初のパ・リーグ優勝を決め、現在、日本シリーズ進出をかけて千葉ロッテマリーンズとファイナルステージを戦っています。
21日の当ブログ公開時点で3勝1敗(アドヴァンテージを含む)、日本シリーズ進出へあと1勝。

楽天の創設は2005年。ちょうど私が仙台に住み始めた年のことでしたので、感慨深く思い出します。
1年目のシーズンは田尾監督のもと、初々しいチームとして・・・と言いたいところですが、現実の楽天は、近鉄バッファローズを統合したオリックス・バッファローズとの分配ドラフトにより、オリックスの優先保有枠を外れた選手が集められたチームという印象でした―なかには、岩隈投手のように、オリックスへの入団を拒否して楽天へ入団した選手もいましたが―

結局、1年目は首位ソフトバンクに50ゲーム以上の差をつけられての最下位。田尾監督の解任という形で幕切れとなりました。個人的には、田尾監督とともにチームが育っていくところをもう少し見てみたかったという思いが強く残っていますが、2代目の野村監督とマー君こと田中将大投手との縁を考えると、楽天にとっては通るべき道だったのかなあと考えることで溜飲を下げたり。
そういえば、楽天の公認イメージソングを歌っていたさとう宗幸氏が、田尾監督の解任を巡って激怒し、名誉会員でもあったファンクラブを脱退するという騒動もありました。

決して恵まれた環境でスタートしたわけではない楽天が、9年間でいよいよ日本一を狙えるチームになったことは、田中投手の今シーズン無傷の24連勝という前人未到の記録にばかり頼ったものではなく、チームとしての成長が本物だったからでしょう。
東北の野球ファンの悲願をぜひ達成してください。応援しています!

 

今朝のお供、
KISS(アメリカのバンド)の『GREATEST KISS』。
ただ今、来日中。セットリストはきっとヒットメドレーで、パーティロックが炸裂していることでしょう。

(佐々木 大輔)

藤田嗣治

去る9月28日、秋田県立美術館(新県立美術館)が本オープンしました。
一番の注目は、5枚の絵から成る藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』。
8月31日の早朝、平野政吉美術館からの搬出入が細心の注意をもって行われ、移設は無事に完了しました。
私は『秋田の行事』が大好きで、県外に住んでいた頃も、帰省すると平野政吉美術館へ観に行きました。平野政吉美術館は建築としても味わいがあり、絵を観るだけではなく、訪れることにも楽しみがありましたので、この度の移設には一抹の寂しさを覚えます。
しかし、新県立美術館を設計した安藤忠雄氏は、平野政吉美術館の特徴ある屋根と丸窓が、館内のカフェから見えるように設計しており、平野政吉美術館も秋田が誇る芸術作品として尊重されています。

「世界一巨大な絵を、誰にもできないような速さで仕上げて見せましょう」。
平野政吉から依頼を受けた藤田はこのように答え、『秋田の行事』の製作に着手しました。普段は絵を描く姿を他人に見せない藤田が、この時ばかりは押しかける見物人を一向に気にすることなく、ときには見物人に竿灯を上げるポーズをとらせるなど、むしろ注目されることを楽しんでいたようだとの証言も残されています。
米蔵を改造したアトリエで、秋田民謡を絶え間なく流しながら、下書きもせず一気呵成に描き上げ、最後に「一九三七 昭和十二年自二月二十一日 至三月七日 百七十四時間完成」と記して絵筆を擱きました。藤田も壁画の完成に興奮したのでしょう、飲めないお酒をおちょこで2杯飲んだとの記録もあります。

しかし、『秋田の行事』は、大戦の影響を受け、完成後30年もの間平野家の米蔵で眠ったままとなり、ようやく公開されたのは、平野政吉美術館が完成した1967年(昭和42年)、藤田の亡くなる前年のことでした。

もちろん、私は『秋田の行事』だけではなく、他の藤田作品も大好きです。2006年に生誕120年を記念して、東京国立近代美術館で開かれた世界最大規模の藤田嗣治展を、雨の中2時間待ちで鑑賞したことも思い出です。
藤田の描く女性は、表情の乏しさがかえって陶器のような美しさを印象付けますが、晩年の代表作『カフェ』に描かれた頬杖をつく女性は、珍しく憂いを湛えた表情を持ち、蠱惑的な色気に満ちていて、絵の前から動けなくなるほどでした。

日本画壇との軋轢により、大戦が終わるとフランスに戻り(のちに帰化)、再び日本の地を踏むことはなかった藤田ですが、彼の作品が秋田に多数残されていることは、我が故郷の誇りです。

今朝のお供、
My Bloody Balentine(アイルランドのバンド)の『Loveless』。

(佐々木 大輔)

考えさせられた

先日読んだ平野啓一郎著『ドーン』という小説は、久しぶりに読み応えのある作品でした。

ご存知の方も多いかと思いますが、平野氏は大学在学中にデビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞。大学生の同賞受賞は、石原慎太郎(『太陽の季節』)、大江健三郎(『飼育』)、村上龍(『限りなく透明に近いブルー』)に続く4人目でした。その才能から三島由紀夫の再来と謳われた一方、擬古文で書かれた難解な文体により敬遠する人が多かったのも事実です。
恥ずかしながら私も、2作目の『一月物語』までは読んだものの、その後、平野氏の作品を手に取ることはありませんでした。

今回取り上げる『ドーン』は、平易な文章で書かれています。
舞台は近未来。主人公は、2033年に人類で初めて火星に降り立った宇宙船ドーンのクルー。3年後の2036年、無事地球へ帰還して世界的な英雄になりますが、ドーンの中で起こったある事件が原因で、アメリカ大統領選挙を巡る陰謀に巻き込まれていきます。

平野氏といえば、小難しい純文学ど真ん中の作家というイメージでしたが、本作はSFエンターテインメント小説としても楽しめます。
とはいえ、単なる娯楽で終わらないのは純文学作家の矜持なのか、ここで平野氏は、「分人主義(dividualism)」という概念を持ち出し、「私とは何か」というテーマに戦いを挑みます。
「分人主義」とは平野氏の造語で、個人(individual)とは分割不可能(divideできないもの)であるという概念に対し、個人とは分割可能な分人(dividual)の集合体であるという考え方です。

―対人関係や居場所ごとに、自動的に現れる異なった自分(分人)が存在するが、これは一個の主体が様々な仮面を使い分ける「キャラを演じること」とは区別される。「キャラ」は、一個の主体が場面に応じて操作的に使い分けるものであり、「分人」は向かい合う相手と協同的に個別に生じるものである―
平野氏はこのように考えます。

従来の意味での「本当の自分」に固執すれば、一個の主体ですべての相手や場面に対応しなければならなくなり、キャラを演じることにつながります。その結果として、人によっては、内面と外面のギャップに苦しむことになってしまいます。
「私」とは、一個の「本当の自分」ではなく、それぞれが独立した自分である各分人によって構成され、それらの自分を駆け巡りながら思考する存在だと考えれば、キャラを演じることから解放され、様々な顔を持つ自分のことも肯定することができるのではないでしょうか。

このようなテーマを、的確な表現で物語に落とし込んだ平野氏には、「文筆家、かくあるべし」との凄みを感じました。

 

今朝のお供、
サザンオールスターズの曲「Ya Ya(あの時代を忘れない)」。
秋の風に乗って、夕暮れ迫る宮城の空に鳴り響いた5年振りの音。

(佐々木 大輔)