合理的区別と差別

11月3日は文化の日。日本国憲法が公布された日です。
そこで今回は、少しだけ憲法にまつわるお話を。

結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を、嫡出子の半分と定めた民法の規定(第900条第4号ただし書前段)が、法の下の平等を保障した憲法第14条第1項に違反するかどうかが争われた事案で、去る9月4日、最高裁判所大法廷は、14人の裁判官が全員一致で、本件規定を「違憲」とする判断を示しました。戦後9件目の違憲判決です。
違憲判決を受けて、国会は、早急な法改正が必要となります。

最高裁は理由中で、「婚姻、家族の在り方に対する国民意識の多様化が大きく進んでいることが指摘されている」ことを挙げ、また、諸外国が非嫡出子の相続格差を撤廃していることに加え、平成8年には法制審議会が、両者の相続分の同等化を内容の一部とする「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申するなど、国内でも以前から同等化に向けた議論が起きていたことを指摘しています。

そして、「法律婚という制度自体が定着しているとしても・・・子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる」とし、「遅くとも(相続が開始した)平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していた」と結論付けました。

ただし、今回の違憲判断が、「既に行われた遺産の分割等の効力にも影響し、いわば解決済みの事案にも効果が及ぶとすることは、著しく法的安定性を害することになる」として、審判や分割協議などで決着した事案には、影響を及ぼさないことも明示しました。

このように最高裁の判断が示され、非嫡出子の法定相続分について一応の決着をみましたが、国民の受け止め方は多種多様のようです。
皆さんはどのように受け止められたでしょうか。

 

今朝のお供、
Eagles(アメリカのバンド)の『Hotel California』。
楽天イーグルス、日本一おめでとうございます!

(佐々木 大輔)

東北楽天ゴールデンイーグルス

皆さんご存知のとおり、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスが、球団創設9年目にして初のパ・リーグ優勝を決め、現在、日本シリーズ進出をかけて千葉ロッテマリーンズとファイナルステージを戦っています。
21日の当ブログ公開時点で3勝1敗(アドヴァンテージを含む)、日本シリーズ進出へあと1勝。

楽天の創設は2005年。ちょうど私が仙台に住み始めた年のことでしたので、感慨深く思い出します。
1年目のシーズンは田尾監督のもと、初々しいチームとして・・・と言いたいところですが、現実の楽天は、近鉄バッファローズを統合したオリックス・バッファローズとの分配ドラフトにより、オリックスの優先保有枠を外れた選手が集められたチームという印象でした―なかには、岩隈投手のように、オリックスへの入団を拒否して楽天へ入団した選手もいましたが―

結局、1年目は首位ソフトバンクに50ゲーム以上の差をつけられての最下位。田尾監督の解任という形で幕切れとなりました。個人的には、田尾監督とともにチームが育っていくところをもう少し見てみたかったという思いが強く残っていますが、2代目の野村監督とマー君こと田中将大投手との縁を考えると、楽天にとっては通るべき道だったのかなあと考えることで溜飲を下げたり。
そういえば、楽天の公認イメージソングを歌っていたさとう宗幸氏が、田尾監督の解任を巡って激怒し、名誉会員でもあったファンクラブを脱退するという騒動もありました。

決して恵まれた環境でスタートしたわけではない楽天が、9年間でいよいよ日本一を狙えるチームになったことは、田中投手の今シーズン無傷の24連勝という前人未到の記録にばかり頼ったものではなく、チームとしての成長が本物だったからでしょう。
東北の野球ファンの悲願をぜひ達成してください。応援しています!

 

今朝のお供、
KISS(アメリカのバンド)の『GREATEST KISS』。
ただ今、来日中。セットリストはきっとヒットメドレーで、パーティロックが炸裂していることでしょう。

(佐々木 大輔)

藤田嗣治

去る9月28日、秋田県立美術館(新県立美術館)が本オープンしました。
一番の注目は、5枚の絵から成る藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』。
8月31日の早朝、平野政吉美術館からの搬出入が細心の注意をもって行われ、移設は無事に完了しました。
私は『秋田の行事』が大好きで、県外に住んでいた頃も、帰省すると平野政吉美術館へ観に行きました。平野政吉美術館は建築としても味わいがあり、絵を観るだけではなく、訪れることにも楽しみがありましたので、この度の移設には一抹の寂しさを覚えます。
しかし、新県立美術館を設計した安藤忠雄氏は、平野政吉美術館の特徴ある屋根と丸窓が、館内のカフェから見えるように設計しており、平野政吉美術館も秋田が誇る芸術作品として尊重されています。

「世界一巨大な絵を、誰にもできないような速さで仕上げて見せましょう」。
平野政吉から依頼を受けた藤田はこのように答え、『秋田の行事』の製作に着手しました。普段は絵を描く姿を他人に見せない藤田が、この時ばかりは押しかける見物人を一向に気にすることなく、ときには見物人に竿灯を上げるポーズをとらせるなど、むしろ注目されることを楽しんでいたようだとの証言も残されています。
米蔵を改造したアトリエで、秋田民謡を絶え間なく流しながら、下書きもせず一気呵成に描き上げ、最後に「一九三七 昭和十二年自二月二十一日 至三月七日 百七十四時間完成」と記して絵筆を擱きました。藤田も壁画の完成に興奮したのでしょう、飲めないお酒をおちょこで2杯飲んだとの記録もあります。

しかし、『秋田の行事』は、大戦の影響を受け、完成後30年もの間平野家の米蔵で眠ったままとなり、ようやく公開されたのは、平野政吉美術館が完成した1967年(昭和42年)、藤田の亡くなる前年のことでした。

もちろん、私は『秋田の行事』だけではなく、他の藤田作品も大好きです。2006年に生誕120年を記念して、東京国立近代美術館で開かれた世界最大規模の藤田嗣治展を、雨の中2時間待ちで鑑賞したことも思い出です。
藤田の描く女性は、表情の乏しさがかえって陶器のような美しさを印象付けますが、晩年の代表作『カフェ』に描かれた頬杖をつく女性は、珍しく憂いを湛えた表情を持ち、蠱惑的な色気に満ちていて、絵の前から動けなくなるほどでした。

日本画壇との軋轢により、大戦が終わるとフランスに戻り(のちに帰化)、再び日本の地を踏むことはなかった藤田ですが、彼の作品が秋田に多数残されていることは、我が故郷の誇りです。

今朝のお供、
My Bloody Balentine(アイルランドのバンド)の『Loveless』。

(佐々木 大輔)