秋田市にも少しずつ春が近づいてきたようです。春の陽気に誘われるように、先日モネの絵画を見たくなり、手持ちの画集をいろいろひっくり返し、モネの作品を探しました。
クロード・モネ。私が説明するまでもありませんが、印象派を代表する画家です。
「印象派」という言葉自体が生まれたのも、のちに「印象派」と呼ばれることとなる画家たちが開いた「第1回印象派展」―この時点では「印象派」という言葉はまだなく、「画家彫刻家版画家協会展」という展覧会だったそうですが―をたまたま見たある評論家が、出品されたモネの『印象―日の出』を引き合いに、「印象のままに描いた落書き」として展覧会自体を酷評したことがきっかけと言われています。
この酷評がかえって周囲の耳目を集め、「印象派」という言葉が広く知られるようになりました。しかし当の評論家も、この嘲りを含んだ悪名が、その後これほどまでに重要な意味を持つ存在になるとは想像もしていなかったでしょうけれど。
一方で、モネらもこの酷評を逆手に取り、自分たちは「印象こそを大切にして描いているのだ」として、自ら積極的に「印象派」を名乗ったといういきさつもあります。
それにしても、モネほど光を追い求め、作品に投影した画家はいないのではないでしょうか。
モネが戸外にイーゼルを立て、自然に身を置き風景を描いていたことはあまねく知られた事実ではありますが―持ち運び可能なチューブ入り絵の具の発明が後押しした側面もあるでしょう―、これは画期的なことで、当時は風景画も記憶やスケッチを頼りにアトリエで描かれるのが当たり前でした。
あふれるような光と自然に対する賛美を描いた作品を見ると、よく評されるように、実際にモネの制作現場に立ち会っているような気持ちに満たされます。
太陽の光の下で描かれたモネの作品は、長い冬を超え、暖かな日差しに焦がれる秋田の春に、喜びを重ねてくれます。
今朝のお供、
エド・シーラン(イギリスのミュージシャン)の『÷(divide)』。
流行の音であろうと、何であれ、良いものは良いのです。
(佐々木 大輔)
先日、第156回直木賞の発表がありました。
受賞作は恩田陸著『蜜蜂と遠雷』。
新刊をあまり読む機会のなくなった私が、学生時代にお世話になったカフェのマスターから薦められて、昨年久しぶりに手にした新刊書でした。
ピアノコンクールに挑む若きピアニストたちの群像劇。これから読まれる方もたくさんいらっしゃるでしょうから、あまり内容には触れないようにしますが、演奏者によって解き放たれる音の一粒一粒が、目に見えるかのように描写されていきます。音楽を紡ぐ著者の言葉。それは、私の中に記憶として残る過去の名演奏を想起させるのではなく、今まさに目の前で生み出された未知の音を聴かせてくれるのです。
恩田氏は本作において、音楽を解説することではなく、「言葉で音楽を奏でること」に挑んだのではないでしょうか。
読了後、小説の中で採りあげられた数々の名曲たち(幸いにも音源が手元にあったので)を聴きながら余韻に浸りつつ、音楽を聴く際は、もっとしっかり音楽と向き合って聴かなければいけないなと、“ながら聴き”に堕しがちな自分を戒める機会にもなりました。
『蜜蜂と遠雷』で恩田氏の小説に初めて触れ、直後にもう1冊読んだのが『夜のピクニック』です。
以前から本屋に行くたび気になっていた小説で、著者名とタイトルだけは知っていました。
なかなか手が伸びなかったのは、この小説につけられた「永遠普遍の青春小説」というキャッチコピーのため。そろそろ不惑なもので、今さら青春小説と言われてもなあ・・・と気おくれを感じていたのです。
―全校生徒が夜を徹して80キロを歩きとおす北高の伝統行事「歩行祭」。甲田貴子は密かな決意を胸に抱き、「歩行祭」に臨む。高校生活最後のイベント。果たして彼女の思いは実を結ぶのか―
舞台は「歩行祭」ゆえにひたすら歩くだけ。特別な事件は起こりませんが、登場人物たちの心の機微を通じて、私にも確かにあった遠い過去に再会することができました。
「もっと、ちゃんと高校生やっとくんだったな」。
読み終えてからネットの読者レビューなどに目を通すと、私と同じセリフに共感した人がけっこういました。「みんなそういう思いを抱えて年齢を重ね、今を生きているのだな」と仲間意識が芽生え、一緒にお酒でも酌み交わしたい気持ちになったのはご愛嬌、ということで。
今朝のお供、
Carpentersの曲「I Need to Be in Love(青春の輝き)」。
(佐々木 大輔)
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年も田口司法事務所と当ブログをよろしくお願いします。
皆さんは年末年始をいかがお過ごしでしたか?
秋田市は雪のない年末年始でしたが、ここにきてついに冬将軍が重い腰を上げた模様です。
私は毎年のことながら、大晦日は紅白歌合戦、元日はウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを楽しみました。あまり音楽の話題ばかりを取り上げるのも芸がないので・・・とも思いましたが、今回のニューイヤーコンサートについてはどうしても一言だけ。
今年指揮を務めたのはグスターボ・ドゥダメル。ベネズエラ出身の35歳、史上最年少での抜擢でした。
ラテン系ゆえにノリノリの演奏を予想していたのですが(ノリノリのワルツってどんなだろう?)、思いのほか正攻法。しかし、随所に若者らしい清々しさが見え、黄金の楽友協会大ホールを満たした弾けるような愉悦感は、さながらフルートグラスにきらめくシャンパンの泡のようでした。
若さとは可能性であり受け止める側には寛容性と覚悟が必要になるのだなあとか、果たして伝統とは保守が預かるのかそれとも革新が繋いでいくのかなど、いろいろと考えさせられた演奏会でした。
さて、今年は酉年。
誰かが言っていましたが、酉年は申年と戌年との間にあって、犬猿の仲を取り(酉)持つ年です。
私も皆様のご依頼に応え、多くの方々の間を取り持つような仕事が出来ればと思っております。
今朝のお供、
スティング(イギリスのミュージシャン)の『ブルー・タートルの
夢』。
(佐々木 大輔)