美術 , 未分類
No. 238
2023/10/31
【その1】
圧巻の八冠。 棋士の藤井聡太さんが、将棋界の8つのタイトル(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖・叡王)を全て制覇しました。 全冠制覇は1995年の羽生善治さん(当時は叡王が無く全七冠)以来の快挙、今後藤井さんが八冠をどれだけ維持できるかに期待が高まります。 ちなみに羽生さんはその後棋聖のタイトルを失い、七冠を維持したのは約半年間でした。 タイトル戦は1年中絶え間なく行われますが、タイトルホルダーは勝ち上がってきた挑戦者を迎え撃つ立場ですので、挑戦者の立場であるときよりも公式戦の対局数は減ることになります。 そのため実戦感覚を維持するのはかえって大変になるとも言われています。 なんてわかったようなことを言っていますが、私は前にも当ブログに書いたとおり、将棋を指すことなく観る一方のいわゆる「観る将」(最近はこの言葉も浸透してきたのかな)。 棋譜を読めればもっと将棋の深みとロマンを感じられるのにと少し残念な思いもありますが、今からそのレベルに達するのは難しいので、その代わり棋士たちの生む人間ドラマに胸を熱くしております。 最近は将棋を題材とした小説もよく読みます。 そういえば高校時代にも友人から借りて授業中に 『月下の棋士』という漫画を読んだなあ。 私、意外と昔から将棋にまつわる人間ドラマが好きだったのかも。
【その2】
美術展『旅する画家』を秋田県立美術館に観に行きました。 世界各地を旅した藤田嗣治と、同じく生涯に旅を重ねた斎藤真一という2人の画家の作品が、「旅」をテーマに展示されています。 ヨーロッパ留学中の斎藤は、フランスにいる藤田を訪ねた際、藤田から東北地方を旅行することを勧められました。 帰国した斎藤は、さっそく東北地方を旅するのですが、その道中、津軽の宿屋で聞いた盲目の女性旅芸人・瞽女( ごぜ ) の存在に強く惹かれ、今度は越後へと向かいます。 そして、越後瞽女の足跡を辿りながら、瞽女の人生に思いを馳せて描いた作品群を『越後瞽女日記』としてまとめました。 今回の美術展では越後瞽女日記からの作品が28点展示されています。 郷愁とひたむきな力強さが宿っている作品群の中で、とりわけ強く印象に残ったのが「陽の雪野」。 しばらく作品の前を離れることができませんでした。
【その3】
先日、東北大学の同窓会に出席したところ、中学・高校時代の同級生と再会しました。 30年振りくらいでしょうか。 よく見るとあの頃の面影がちゃんと残っており、驚くことに体型もしっかりキープされていました。 大学の同窓会ではありましたが、2人で話していると中高時代の思い出が溢れてきて止まりません。 最近、部屋の片づけをしていたら中学の卒業文集が出てきて、すっかり気持ちが中学時代にタイムスリップしていたので、余計にノスタルジックな気持ちになったという事情もありますが。 ちなみに、その卒業文集には“他己紹介”のコーナーがあるのですが、私について書かれた紹介文を読んでみたらなんと、他人が認識する私は当時も今も全く変わっていないことが判明(要は、好きなことを話し始めたら止まらなくなるとのこと)。 三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
今朝のお供、
YOSHII LOVINSON(日本のミュージシャン)の曲「トブヨウニ」。
徐々にで、そう徐々にでいいから。
(司法書士 佐々木 大輔)
先日、古典落語の『青菜』を聴く機会がありました。暑い夏にぴったりの演目です。
――夏の暑い昼下がり、隠居のお屋敷でひと仕事を終えた植木屋に、隠居から「冷えたお酒でもいかがかな」と声が掛かる。酒肴に鯉の洗いなどが出された後、「青菜は好きかね」と尋ねられた植木屋が「好きです」と答えると、隠居は妻に青菜を出すよう頼む。 しかし奥から手ぶらで現れた妻は隠居に「名を九郎判官」と返答、聞いた隠居は「義経にしておこう」と言って済ませてしまう。 実はこのやり取り、「青菜は食べてしまい切らしている」ことを客前で言うのはみっともないので、妻が「すでに菜を食らう(「名を九郎」判官)」と言い、隠居が「では、よし(「義」経にし)ておこう」という会話を隠語で交わしたものだという。 すっかり感心した植木屋は家に帰り女房にこの話をすると、女房は「そのくらい私にでもできる」というので、それならばと友人相手にやってみることに。狭い長屋なものだから奥の間などなく、植木屋は女房を無理やり押入れに押し込む。 最初の声掛けからグダグダなやり取りが続いた後、ついに青菜のくだりがやってきて、「奥や!」と女房に声をかけると、押入れから汗だくの女房が転がり出てくる。びっくりする友人。 ところが女房は暑さのあまり段取りを忘れ「名も九郎判官義経」と最後まで言ってしまう。 返答に窮した植木屋は言う、「弁慶にしておけ」――
やはり付け焼刃ではうまくいかないですよね。 植木屋と友人とのグダグダなやり取り、押入れから出てくる女房の滑稽さもありますが、私は、女房にオチを言われてしまい窮地に陥った植木屋が、苦し紛れとはいえこの流れで「弁慶」と答えるあたり、むしろ頭の回転の速さを感じます(ただし、全く意味は通じませんが)。 まさに“弁慶の立ち往生”からの咄嗟の一言といった感じでしょうか。
また、冒頭に出てくる「冷えたお酒」ですが、このお酒、上方では「柳蔭(やなぎかけ)」と呼ばれるみりんと焼酎を合わせたもので、暑気払いによく飲まれていたとのこと。 そもそも『青菜』は上方落語で、三代目柳家小さんが江戸落語に移植したものだそうです。江戸落語として演じられる際には、「上方から取り寄せた柳蔭というお酒」などと説明が入る場合もあります。 ちなみに、三代目柳家小さんといえば、寄席好きの夏目漱石が、小説『三四郎』の中で、「同じ時代に生きられることの幸せ」と書いて絶賛している落語家です。
『青菜』を聴いた夜、落語と一緒にお酒と極上の焼肉をお腹いっぱい頂いたのですが、帰りにもう少しだけ冷えたお酒を飲みたくなり、立ち寄ったバーでカクテルのダイキリを頂きました。 このダイキリをシャーベット状にしたものはフローズン・ダイキリと呼ばれ、文豪ヘミングウェイが愛したカクテルとしても知られていています。 ダイキリは、もともとキューバの鉱山で働く労働者が暑さを凌ぐために、キューバ特産のラム酒にライムと砂糖と氷を入れて作ったのが始まりといわれており、暑気払いにもうってつけのお酒でして・・・ おっと、話が長くなるのが私の悪い癖。 今月はこの辺でお開きに。
今朝のお供、
The Who(イギリスのバンド)の『My Generation』。
(司法書士 佐々木 大輔)
4月になると必ず思い出すことがあります。
新潟大学4年生の時、卒業に必要な語学の単位が足りていないことに気づき、慌てて友人たちに聞いて回ったところ、ネイティヴの先生の方が単位を取りやすいという情報を得た私。 日本語の通じない外国人の先生の講義なんて絶対無理だと思いながらも、とにかく友人を信じイギリス人のヘンク助教授(当時)の講義を受けることにした4月。
2回目の講義の日。配られた1枚のプリントに書かれた英文とそれについての3つの質問。 「Q1.この英文はどのような種類のものだと思いますか」、「Q2.この英文はどのような人が書いたと思いますか」、「Q3.この英文にあなたならどんなタイトルをつけますか」。 英文を見てみると、明らかにThe Rolling Stonesの名曲「Paint It Black(黒く塗れ)」の歌詞。 これなら私でも分かると、鼻歌交じりに「A1.歌詞」、「A2.ミック・ジャガー」(作詞はキースではなくミックだろう)、「A3.Paint It Black」(どんなタイトルも何もこの曲の歌詞ですから。それともそれをふまえて独自のタイトルを考えなさいという趣旨の質問なのかな?)と答えを書き終えボーっとしていると、受講生の間をまわっていたヘンク先生が私の席でぴたりと足を止め、「君はこの曲を知っているのかい?」と聞いてきました。 (ちょっとビクビクしながら)「も、もちろん」と答えた私。 すると先生は「毎年200人くらいの学生を受け持っているけどこの曲を知っている学生は君が初めてだ。音楽が好きなのか?」、私「はい(というか、むしろこの曲を誰も知らないことに驚いた)」、先生「それじゃあ、いつでも研究室に遊びにおいで」。
よく言えば社交的(実際は社交辞令が通じないだけ)な私は、その言葉を本気にして、(先生のゼミ生でもないのに)毎週、研究室に遊びに行きました。単語だけの会話しかできないような私に対し、先生は迷惑そうなそぶりも見せず、毎回根気強く、音楽の話や先生の専門である20世紀西洋史についての話などを、ユーモアを交えながら、まるで幼稚園児に話しかけるかのように易しい英語で話してくれました。 時には先生のお気に入りのカフェ「ストロベリーフィールド」(こちらはThe Beatlesの名曲にちなんだ店名)でランチをご一緒したり。
このような交流は1年ほど続き、その後私は東北大学法科大学院へと進学、時を同じくしてヘンク先生は慶應義塾大学へと異動されました。以来、残念ながらお会いする機会は無くなってしまいました。
大学院生活も2年目に入った年。周りの同級生がスポーツをしたり楽器を習ったりと課外活動を充実させるようになってきたこともあり、何か新しいことを始めたいと思っていた私の目に、英会話教室の広告が飛び込んできた4月。 すぐにヘンク先生の顔が浮かびました。同時に「あの時英語が話せたら、もっといろんなことをお話しできたのに」という後悔の念も。 意を決して英会話教室のドアをノックしました。
あれから20年。未だ再会は果たせていませんが、もし、ヘンク先生といつか何処かでお会いすることができたら、「あの時は本当にお世話になりました。ありがとうございました」と英語できちんとお礼が言いたい。その気持ちに変わりはありません。 結局、私の英語力は英会話教室に通う前のレベルに逆戻りしてしまいましたが、もう一度鍛え直してその日に備えられればと、気持ち新たに思う今年の4月。
また逢う日まで。逢える時まで。
今朝のお供、
Blur(イギリスのバンド)の『The best of』。
ヘンク先生が好きだったバンドBlurのベストアルバム。
(司法書士 佐々木 大輔)