アーカイブ:2017年3月

モネと光

秋田市にも少しずつ春が近づいてきたようです。春の陽気に誘われるように、先日モネの絵画を見たくなり、手持ちの画集をいろいろひっくり返し、モネの作品を探しました。

クロード・モネ。私が説明するまでもありませんが、印象派を代表する画家です。
「印象派」という言葉自体が生まれたのも、のちに「印象派」と呼ばれることとなる画家たちが開いた「第1回印象派展」―この時点では「印象派」という言葉はまだなく、「画家彫刻家版画家協会展」という展覧会だったそうですが―をたまたま見たある評論家が、出品されたモネの『印象―日の出』を引き合いに、「印象のままに描いた落書き」として展覧会自体を酷評したことがきっかけと言われています。
この酷評がかえって周囲の耳目を集め、「印象派」という言葉が広く知られるようになりました。しかし当の評論家も、この嘲りを含んだ悪名が、その後これほどまでに重要な意味を持つ存在になるとは想像もしていなかったでしょうけれど。

一方で、モネらもこの酷評を逆手に取り、自分たちは「印象こそを大切にして描いているのだ」として、自ら積極的に「印象派」を名乗ったといういきさつもあります。

それにしても、モネほど光を追い求め、作品に投影した画家はいないのではないでしょうか。
モネが戸外にイーゼルを立て、自然に身を置き風景を描いていたことはあまねく知られた事実ではありますが―持ち運び可能なチューブ入り絵の具の発明が後押しした側面もあるでしょう―、これは画期的なことで、当時は風景画も記憶やスケッチを頼りにアトリエで描かれるのが当たり前でした。

あふれるような光と自然に対する賛美を描いた作品を見ると、よく評されるように、実際にモネの制作現場に立ち会っているような気持ちに満たされます。
太陽の光の下で描かれたモネの作品は、長い冬を超え、暖かな日差しに焦がれる秋田の春に、喜びを重ねてくれます。

 

今朝のお供、
エド・シーラン(イギリスのミュージシャン)の『÷(divide)』。
流行の音であろうと、何であれ、良いものは良いのです。

(佐々木 大輔)