アーカイブ:2011年5月

刑法における故意

犯罪事実が生じることを認識し、予見している心理状態を「故意」といいます。
刑法は、「故意がなければ犯罪とはならない」ことを定めています。
条文を見てみましょう。刑法38条1項は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と規定しています。
犯人は、自分の行為によって、犯罪となる事実が発生することを知っていなければなりません。
これは刑法の大原則なのです。
ただし、例外として(故意はなくても)過失があるときに処罰される場合があります。刑法は38条1項ただし書で、「法律に特別の規定がある場合」には、過失犯の例外を認めています。
同じように人を死亡させた場合でも、故意がある場合は殺人罪(刑法199条)で、上限は死刑、下限は懲役5年ですが、過失の場合は過失致死罪(刑法210条)で、50万円以下の罰金となります。
このように過失犯の法定刑はかなり軽くなるため、故意があるかどうかは大きな問題となります。

故意は行為の時点で認められなければいけません。しかし、犯罪となる事実が生じるのは、行為の時点からみると未来のことであり、行為者にとって犯罪となる事実が生じるかどうかを予見することは難しいことでもあります。
例えば、至近距離からピストルを発射する際、きっと銃弾が命中して相手は死亡するだろうと思っている場合には、殺人罪の故意を認めることができるでしょう。
しかし、『ウイリアム・テル』で我が子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射ようとしているテルには、殺人罪の故意を認めてもよいのでしょうか。この時テルは、矢が我が子に命中するかもしれないということを認識し、またそのことをある程度の可能性をもってあり得ることと予見しています。
このように、結果をはっきりと予見しているわけではないが、あり得ないわけでもないと認識している状態を「未必の故意」(みひつのこい)と学問上呼んできました。犯罪のニュースを報じる新聞記事などでも目にすることのある難しい言葉です。

この未必の故意が問題となった判例として有名なのが、盗品有償譲受け罪(他人が盗んだ物を買い取る罪。刑法256条2項)についての判例です。
最高裁判所は、「必ずしも買った物が盗品であることを知っていなくても、盗品であるかもしれないと思いながら敢えてこれを買い取る意思(未必の故意)があれば足りると考えるべきである」として、未必の故意を確定的な故意と同様、「故意」と認めています。
つまり、ある犯罪事実が生じることを「あり得る」として認識・予見し、それを容認・認容した場合には、故意(未必の故意)があると考えるのです。

この先には、「未必の故意」と「認識ある過失」の区別という複雑な議論がありますが、それはまたの機会に。

 

(佐々木 大輔)

申し訳ありませんが、6月中のブログは、都合により休ませていただきます。
次回のブログは、7月11日を予定しております。

未遂犯

No.47、No.51、No.55で詐欺罪についてお話をしましたが、今回はそこでも何度か出てきた「未遂」についてお話をします。

未遂犯とは「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった」場合をいい、刑法43条の本文に規定されています。殺人未遂などはニュースでもよく耳にする言葉ではないでしょうか。
これに対して、人を殺す意思を持って実際に人を殺したときのように、犯罪を最後まで実現した場合を既遂犯(既に遂げた犯罪)といいます。
犯罪を最後までやり遂げた場合にだけ処罰され、途中で失敗した場合には処罰されないというのでは、法益(法によって保護されるべき利益)の保護として十分ではありません。そこで、法益の侵害に失敗した未遂犯も処罰されることがあるのです。刑法44条によれば、未遂はそれを罰する規定がある場合にのみ処罰されますが、主要な犯罪にはたいてい未遂の処罰規定があります。

それでは、どのような場合に未遂犯が成立するのでしょうか。
手掛かりは、43条本文の「犯罪の実行に着手」という文言にあります。
昔の学説には、他人の家に空き巣に入ろうとしてその準備をした者に、窃盗未遂罪の成立を認めるものもあったようです。これは、行為者の罪を犯そうとする意思が外部に明らかとなったときに未遂犯の成立を認めることができるという考えを根拠とする学説でしたが、これでは未遂犯の成立をあまりにも早く認めることになってしまうとの批判があり、現在は採られていません。
現在では、「実行の着手」を客観的な事情をもって判断するのが一般的です。
先に挙げた例のように、空き巣に入る場合では、家の中に入っただけでは窃盗の未遂にはなりませんが(住居侵入罪は成立します)、金目の物はないかとタンスを物色しようとタンスに近づいた時に初めて窃盗の「実行の着手」が認められ、窃盗未遂罪が成立することになります。

「実行の着手」以前の行為にも犯罪を認める例外もありますが(殺人予備罪など)、通常、犯罪として処罰されるかどうかの基準は「実行の着手」の有無に求められるため、「実行の着手」が重要な意味をもつのです。

(佐々木 大輔)