バック・トゥ・ザ・フューチャー

2015年10月21日午後4時29分。
マーティ(マイケル・J・フォックス)とドク(クリストファー・ロイド)が『パート2』でタイムスリップした“30年後の未来”。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作は、おそらく私が、子供の頃から最も繰り返し観た映画ではないかと思います。テレビのロードショー(テレビ版の吹替えも懐かしい)、ビデオ、DVD…セリフもほとんどそらんじているほど。
学生時代、3部作のDVDボックスセットが発売されたのにあわせて、この3部作を観たいがためにDVDプレーヤーを頑張って購入したことも懐かしく思い出します。

1955年へとタイムスリップした『パート1』のラスト、時計台に雷が落ちるシーンは、何度観ても手に汗を握りますし―結末を知っていても毎回ドキドキできるというのは、エンターテインメントの究極の理想でしょう―『パート2』で再び55年の“パーティの夜”に戻るシーンを観てしまうと、再度『パート1』を見直したとき、ステージでギターを弾くマーティの頭上に、思わずもうひとりのマーティを探してしまいます。
そうそう、この時マーティの弾いた「Johnny B. Goode」(チャック・ベリーが1958年に発表した曲)を聴いたチャック・ベリーが、マーティの演奏に着想を得て、後年「Johnny B. Goode」を作曲したというタイムパラドックスも、音楽ファンをニヤリとさせる演出です。

さて、『パート2』で描かれた“30年後の未来”はどのくらい実現しているのか。
さすがに車は空を飛んでいませんが、天気予報は、秒単位とまではいかないものの時間単位でより精確な予報が出るようになりましたし、3D映像、多チャンネルテレビ、テレビ電話、指紋認証システムそしてタブレット端末…。
マーティが履いていた自動で紐が締まるナイキのシューズは、2011年にナイキがレプリカを限定販売したことでも話題になりました。今年中に“本物”を発売することもナイキが宣言しています(特許は取得済みとのこと)。
これは、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』などにもいえることですが、未来を描いた名作が、科学者や技術者たちに、描かれた世界を実現しよう―あるいは、悲劇的な未来であれば未然に阻止しよう―という動機付けを強くするからこそ、実現したことでもあるのでしょう。今年ノーベル物理学賞を受賞した梶田教授も、「主人公のアトムではなく、お茶の水博士に憧れる少年だった」とのことですし。

そして、『パート3』。
最終作の舞台は西部劇の時代にまでさかのぼり、130年にわたって過去と未来を行き来した3部作は、いかにもアメリカ的で前向きなメッセージによって締めくくられます。

そう、「未来は何も決まっていない。未来は自分で作るものだ」。

 

今朝のお供、
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(アメリカのバンド)の『FORE!』。
『パート1』の主題歌「The Power of Love」を歌ったヒューイ・ルイスは、映画にもバンドオーディションの審査員役でカメオ出演。

(佐々木 大輔)

アンリ・ルソーがくれた夢

先ごろ読んだ小説の影響で、すっかりアンリ・ルソーに夢中になってしまいました。

ルソーの画家デビューは49歳と遅く、それ以前は税関に勤務しながら絵を描いていました。そのため、いわゆるアカデミックな教育を受けておらず、遠近法などの絵画技術を身に着けていなかったようです。
技術的に稚拙と言われる彼の作品は、当時の評論家から酷評され、無審査で応募者全員の作品が展示された展覧会では、新聞等での酷評を知った人々が作品の前に群れをなし、銘々お腹を抱えて大笑い、中には呼吸困難に陥った人もいたそうです。
しかし、晩年には、ルソーを評価する評論家や画家仲間も現れ、特にピカソに影響を与えたというエピソードは、間接的にルソーの評価を高める契機となりました。
とはいえ、未だ「日曜画家」「(画家ではなく)税関吏ルソー」などと揶揄されることも多く、その評価が定まっているとはいえません。

先に挙げた小説には、ルソー(と彼に関わった人々)のエピソードがふんだんに盛り込まれていて、ルソーを好きな方にはお馴染みの話でも、浅学な私にとっては初耳の話も多く、人間ルソーを知るきっかけとなりました。

ルソーの作品といえば、私にとって、『蛇使いの女』、『詩人に霊感を与えるミューズ』、『夢』など、ジャングルを描いた絵のイメージが強く、これらの作品を、「あの葉陰には見たこともないような気味の悪い生き物が潜んでいるのではないか」、「そんなじめじめとした茂みの中に、裸で体を横たえることに抵抗はないのだろうか」などとつまらぬ想像や心配をしながら、どこか怖いものみたさで鑑賞しているところがありました。
改めて作品を見てみると、ルソーは大好きな自然を克明に描くため、多種多様な緑色(作品によっては21種類も使用しているとのこと!)を使い分けており、その執念にも似た凄みが作品から伝わってきます。
もっとも、神秘的でグロテスクな作品という印象は変わらないけれど。

―情熱がある。画家の情熱のすべてが―
(原田マハ著『楽園のカンヴァス』)
登場人物が発したこの言葉のとおり、小説を読んでいる間、ルソーが絵にかけた情熱、その作品を心から愛する人々の情熱にほだされて、ルソーと時代を共にしたような、夢を見ているように幸せな時間を過ごすことができました。
夢から覚めた今は、時間ができると、手持ちの画集やインターネットからルソーの絵を探し出し、“夢をみた”余韻に浸っています。

 

今朝のお供、
Blur(イギリスのバンド)の『The Magic Whip』。

(佐々木 大輔)

芥川賞

先月、お笑い芸人又吉直樹氏の著作『火花』が、第153回芥川賞を受賞したことで大きなニュースとなりました。又吉氏が敬愛する作家太宰治が受賞できなかった芥川賞を受賞したことで、「太宰超え」などという見出しも躍ったほどです。

芥川賞と直木賞。又吉氏の受賞報道で説明し尽くされた感はありますが、誤解を恐れずおおざっぱにいえば、芥川賞は、新人の登竜門であり純文学作品に対して与えられるもの。これに対して直木賞は、大衆文学賞であることから、ある程度キャリアがあり人気を確立した作家の作品に与えられることが多い賞です。
とはいえ、80年以上の歴史を誇る両文学賞ですから、例外もあります。たとえば、純文学作家である井伏鱒二は、『ジョン萬次郎漂流記』で芥川賞ではなく直木賞を受賞していますし、のちに社会派ミステリーの大家として名を成す松本清張は、「或る『小倉日記』伝」で反対に芥川賞を受賞しています。

また、大江健三郎氏が、東大在学中、デビュー作「死者の奢り」で芥川賞候補になった半年後、「飼育」で再び候補になった際、選考委員からは「(前回の候補から)半年の間に流行作家となった大江君が受賞すれば、新人賞としての意味がぼやけてしまう」との声が上がったそうです(結局、「飼育」で受賞)。新人の基準に厳格な時代もあったのですね。
一方で近年、すでに他の文学賞も多く受賞し、10年を超えるキャリアを持っていた阿部和重氏が芥川賞を受賞しており、阿部氏は「(キャリアのある自分が)新人に与えられる賞を受賞したことは、手放しで喜べない」と複雑な気持ちを吐露していました。

芥川賞には長い歴史がありますから、このほかにもさまざまなエピソードが残されていますが、最大の事件といえばやはり冒頭に触れた太宰の落選でしょう。
第1回の候補となった太宰の「逆行」。敬愛する芥川龍之介の名を冠した文学賞を、熱烈に欲した太宰でしたが―実際は、賞そのものよりも、借金返済のために副賞の賞金が目当てだったという生々しい話も―選考委員の1人であった川端康成が「作者目下の生活に厭な雲ありて」と、太宰の私生活の乱れを指摘したこともあり落選。
この選評を知った太宰は烈火のごとく怒り、「小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。さうも思つた」と川端に対する恨みつらみを文芸誌に寄稿し騒動となりました。

太宰ファンとしては苦笑いするしかないエピソードですが―それにしても太宰の文章は、引用した悪口ひとつとっても、リズムが優れ、切れ味も抜群です―後日談として、川端は後年の太宰を評価していたということですから、先輩作家として、才能ある太宰が受賞を機に、さらに堕落していくことを気にしたのかもしれません。
ちなみに、太宰が逃した第1回の受賞作は、秋田県出身の作家石川達三の『蒼氓』です。

同じ太宰ファンとして、私が又吉氏に親しみを感じたきっかけは、あるテレビ番組で又吉氏が語っていた「最も影響を受けた太宰の言葉」が、私の好きな言葉(2010/06/14)と同じだったことです。
ところで、私はまだ件の『火花』を読んでおりません。
読まずに“作家又吉直樹”について何かを語ることは失礼に当たりますから、今回はこの辺で。

 

今朝のお供、
U2(アイルランドのバンド)の
『How to Dismantle an Atomic Bomb』。

(佐々木 大輔)