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私の好きな曲「ブラームス交響曲第4番」

冒頭のささやくようなヴァイオリンの旋律からたゆたうように開始される男の独白は、内省的でデリケートな歌を口ずさみ、ともすれば自暴自棄になりかねない感情の炸裂も、冷静さと秩序を保ちながら、最後は揺るぎなく、あまりにも決然としたフィナーレを迎える。

私が好きなブラームスの交響曲第4番。それは私小説のようであり、ひとりの男―あえてここは「男」と言い切りましょう―の告白を聞くかのようでもあります。
秋になるとブラームスが聴きたくなるということは、以前も当ブログで書きましたが、今年も変わりなくブラームス三昧の毎日です。特に今年は交響曲第4番に惹かれ、手持ちのCDやレコードをあれやこれやと持ち出し、取っ替え引っ替え聴いています。

ブラームスには4曲の交響曲がありますが、おそらくはその中で最も渋いこの第4番。ブラームス51歳の頃の作品です。作曲当時の時代背景からすると、多分に保守的、はっきり言ってしまえば古臭い音楽として、対立するワーグナー派にはもちろんのこと、親子ほど年の離れた後輩作曲家マーラーにも「空っぽな音の桟敷」と酷評されたとの記録が残っています。
現在では古典的な技法が用いられた円熟の傑作として、多くの演奏、録音の機会に恵まれているため、先に述べたように私もさまざまな演奏でこの曲を楽しむことが出来ています。

最近代わる代わる聴いているのは、CDでベーム指揮ウィーン・フィル、カラヤン指揮ベルリン・フィル(70年代)、バーンスタイン指揮ウィーン・フィル、スイトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン、シャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団、レコードでカラヤン指揮ベルリン・フィル(60年代)。そして、あえて日常的には聴くことを控えているクライバー指揮ウィーン・フィルのレコードに一度だけ針を落としました。

クライバー盤は、私にこの曲の魅力を教えてくれた恩人のような存在であり、10代の終わり頃、それこそ毎日のように聴いた思い出の詰まった1枚です―当時聴いていたのはCDであり、レコードは後日手に入れたものですが―。ブラームス後期の作品であり、諦念の表れとも言われる第4番―ベーム盤はまさにそのような演奏―を、録音当時50歳だったクライバーは、颯爽と、一点の曇りもなく、澄み切った秋の空のように奏でます。
個人的な思い入れが深いクライバー盤は、私の場合、曲を聴くというより、どうしても「思い出を聴く」というセンチメンタリズムに傾きがちです。それゆえ、日常的に聴くことを避けているのですが、久しぶりにターンテーブルにのせたクライバー盤は、力強く前向きで、明日が希望に満ちていることを確信させてくれる演奏でした。

今朝のお供、
AC/DC(オーストラリアのバンド)の『LIVE AT THE DONINGTON』。
R.I.P.マルコム・ヤング
                                   (佐々木 大輔)

ロックTシャツ愛

ロックTシャツ。
ロックバンドのロゴやメンバー写真、アルバムジャケットなどがデザインされたTシャツです。
最近は街なかでも普段着としてロックTシャツをおしゃれに着こなす若者を見かけるようになり、ロックのすそ野も広がったものだなあと嬉しく思っていたのですが、事はそう単純でもないようです。

以前あるバラエティ番組で、ロックTシャツを着ている人にそのバンドの代表曲のイントロを聞かせて曲名を答えられるか検証するという企画を放送していましたが、検証結果はなんと9割以上の人が答えられないというもの。そればかりか、中には着ているTシャツのバンド名さえ知らない人もいたという衝撃的な結果!

確かに今では通販でも幅広く手に入りますし、バンドの音楽よりもデザインに惹かれてTシャツを購入したという人がいてもおかしくありません。

私がロックに夢中だった中学時代は、好きなバンドのTシャツを欲しいと思っても情報すらほとんどなく、雑誌の片隅に小さく載っていた取扱い業者―多くが新宿のマンションの一室で商売をしていました―に電話をかけて注文したり、雑誌の懸賞に応募したりしていたことを懐かしく思い出します。
いずれにしても選べるほどの種類はなく、各デザインにつきサイズもワンサイズ。明らかにオーバーサイズな海外サイズのLを購入せざるを得ないことも度々で、実際着てみるとやっぱりぶかぶか。
悲しいかなロック感よりもヒップホップ感の方が強かった・・・。
それでも手に入れられたことが嬉しくて、学生服の中に着て通学していました―本当は校則違反だったのかもしれませんが―。

その頃の思い出が詰まったTシャツは、さすがに現役ではありませんが、今でも大切に保管してあります。

そんなノスタルジックな思いもあり、私はロックTシャツにひとかたならぬこだわりがあります。
それは「好きなバンドのTシャツしか着ないこと」。
デザインがおしゃれだ、可愛いなどといった生ぬるい理由で、音を聴いたこともないバンドのTシャツを着ることはありません。
もっと言えば、ベストアルバム(ヒット曲だけを収録したもの)を持っている程度のバンドのTシャツも着ません。
そもそも、ロックTシャツがおしゃれだと思ったこともありません。
むしろ、「このダサいデザインのTシャツを身に着けられるほど、お前はこのバンドを愛しているのか」と挑まれている気がして、そのバンドに忠誠を誓うがごとき熱い気持ちで袖を通しているのです。

そんな訳で、昔は若気の至りもあり他人にも自分の価値観を押し付けがちで、聴いたこともないバンドのTシャツを着ている人に対して否定的でした。
最近は少し丸くなったのか、音楽を知らずに着ている人たちにも、ロックTシャツをきっかけにそのバンドの音楽を聴いてもらえたらいいな、そして本当にそのバンドのファンになってもらえたらいいなと思っています。

 

今朝のお供、
AC/DC(オーストラリアのバンド)の『Let There Be Rock』。

(佐々木 大輔)

私の好きな曲「K.595」

2月の当ブログで、<恩田陸の小説と出会う>などという大仰なタイトルで採りあげました恩田陸著『蜜蜂と遠雷』が、先日、第14回本屋大賞を受賞し、直木賞とのW受賞となったことがニュースになっていました。そしてニュースを見るまでは意識をしていなかったのですが、そのあとに続けて読んだ恩田氏の『夜のピクニック』も、第2回本屋大賞受賞作だったことに不思議な縁を感じたものです。

件の『蜜蜂と遠雷』は音楽を題材とした小説だったので、今回のブログは私の好きな音楽について・・・というのは少々強引ですが、お付き合いください。

モーツァルトのピアノ協奏曲第27番(K.595)。私はこの曲が大好きで、春になると聴きたくなります。第3楽章の主題が、同じ年に作曲されたモーツァルト自身の歌曲「春への憧れ」に転用されているからかもしれません。
モーツァルト晩年の傑作のひとつで、完成したのは亡くなった年の初頭。モーツァルト自身、もう長くはないことを悟り、再び春を愛でることはできないかもしれないという諦念がにじむ一曲です。それゆえ、モーツァルトらしい華やかさよりも、静謐な佇まいを感じます。

バレンボイムのピアノ(と指揮)とイギリス室内管弦楽団による演奏は、私が10代の頃から愛聴しているもので、CDとレコード盤の両方で所有しているのですが、最近はレコード盤の方で聴くことが多くなりました。50年も前の録音で、さすがに録音の古さを感じるものの―レコード盤で聴く限りそれも味わいとなりますが―オーケストラの前奏に続き、コクのある色の濃いピアノが入ってくると一気に華やぎます。
この曲は華やかさよりも・・・と書いたことと矛盾しているようですが、若き日のバレンボイムは音そのものにきらめきがあるからでしょう、咲きこぼれる花のような明るさがあります。しかしその明るさがかえって寂寥感を際立たせているのも事実。緩徐楽章に聴くロマンティックな呟き、胸が締め付けられるようなピアニシモのため息。そのすべてにモーツァルトの微笑みと背中合わせの孤独を感じます。

バレンボイム盤と同様、10代の頃からの愛聴盤に、バックハウスのピアノとベーム指揮ウィーン・フィルのコンビによる演奏があります。こちらはなんと60年以上も前の録音で、バレンボイム盤よりもさらに古い録音ですが、鑑賞には全く問題がありません。硬質で引き締まったピアノの音は澄み切った青空を見上げるようでもあり、枯淡の境地に達した演奏は、余白を生かした水墨画を観るかのようでもあります。

古今東西、良い演奏があるという評判や噂を聞けば、今回紹介した愛聴盤以外もいろいろとチェックをし、その中にはお気に入りの演奏もあるのですが、最終的には、この曲の魅力を最初に教えてくれた愛聴盤に気持ちが戻るようです。

 

今朝のお供、
MUSE(イギリスのバンド)の『Black Hole and Revelations』。

(佐々木 大輔)