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ベートーヴェン

自室のCD・レコード棚を眺めると、ベートーヴェンの交響曲全集(全9曲)が15組。これを多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれかと思いますが、何組買ってもどのセットを買っても収録されている交響曲は同じ9曲であり、10曲にもならなければ8曲でもありません(そもそも8曲収録では全集と呼ばれません)。
それではなぜ同じ曲のCDやレコードを何枚も買ってしまうのか。

答えの前にちょっと寄り道をお許しください。
私が幼い頃、わが家ではいつも音楽がかかっていましたが、その多くはベートーヴェンでした。
幼い頃からクラシック音楽を聴いて育った私は、中・高校生になると変に背伸びをして、『運命』交響曲や『田園』交響曲といった有名どころはもう卒業とばかりに、あまり有名ではない曲を聴いて「周りとは違う」アピールをしていたように思います。ところが、そのようなマニアックな曲というのはとっつきにくく(だからなかなか人気曲にならないのですが)、ある程度の経験がないと良さどころか聴き方すら分からないという難物なんですね。有名曲には戻りたくないけれどマニアックな曲には跳ね返されて前に進めない。私は袋小路にはまってしまいました。
さて、クラシック音楽とどのようにお付き合いすればよいものか・・・
結局、当時所属していたオーケストラが演奏会で演奏する曲の予習としてCDを購入し、受動的に聞いているだけの日々。

そうこうしているうちにオーケストラを卒業し、聴く専門となってしまった10代の終わり、またしてもクラシック音楽とのお付き合い問題が再燃することに。その時たまたま手にしたのが、某評論家による指南書でした。
まずは知っている曲の評論を読もうと、最初に開いたのがベートーヴェンの交響曲第5番『運命』のページ。推薦されていたのはフルトヴェングラー指揮とカルロス・クライバー指揮のCDでした(これらは万人が認める20世紀の名演奏です)。
フルトヴェングラーの方は1947年5月、ベルリン・フィルの指揮台に復帰した記念コンサートのライヴ録音。音は古く録音もモノラルですが、「苦悩から歓喜へ」という「運命のドラマ」そのままに熱狂的な演奏で、すぐに大好きになりました。
一方のクライバー。ともすれば通俗的に堕しがちな「運命のドラマ」はここにはなく、ひたすら純粋にベートーヴェンが作曲した「5番目の交響曲」が演奏されています。金管の強奏、リズムの弾みを聴くたびに、ベートーヴェンはかくも爽快で瑞々しい音楽を書いたのかと、「運命のドラマ」に覆い隠されて見えなくなっていた音楽そのものの鮮度に驚きます。

ちなみに、交響曲第5番を『運命』と呼ぶのは日本くらいで、世界的にはこのニックネームは使われておりません。輸入盤のCDジャケットを見ても「Symphony No.5」などと印字されているのみで、『運命』に当たる単語は記載されておりません。

このように、同じ『運命』でも演奏家が違うとこんなにも違って聞こえるんだなあと思ったのがきっかけとなり、私とクラシック音楽との新しいお付き合いが始まりました。
すなわち「好きな曲ができたらいろいろな演奏で聴く」。
このような聴き方をすることによって曲に対する理解は深まり、多くの演奏家の特徴を知ることもできます。
また、有名曲は卒業したなどと恥ずかしいことは言わずに、どんな曲にもまっさらな気持ちで向き合ってみようと心を新たにするきっかけにもなりました。

幼い頃、音楽を聴く「耳」を育ててくれたベートーヴェン。そして、今に至る音楽との付き合い方を教えてくれたベートーヴェン。
今年は‘恩師’ベートーヴェンの生誕250周年。
今の私は晩年の作品に強く惹かれます。10代の頃に馴染めなかった作品です。
当時はきっとベートーヴェンに見透かされていたのでしょう。そんなに背伸びをしたって駄目だよ、と。
今は少しだけベートーヴェンも私のことを受け入れてくれたと思いたいな。

今朝のお供、
サザンオールスターズの『ステレオ太陽族』。
デビュー記念日に有料配信された無観客ライヴ。「朝方ムーンライト」が聴けて嬉しかった。

                                   (佐々木 大輔)

ショパン・コンクール

今年は5年に1度のショパン国際ピアノ・コンクール(ショパン・コンクール)の年。
ショパン・コンクールは世界最高峰のコンクールのひとつとして広く知られています。

過去には、マウリツィオ・ポリーニ(第6回1960年)、マルタ・アルゲリッチ(第7回1965年)、クリスティアン・ツィメルマン(第9回1975年)といった錚々たるピアニストが優勝しています。また、1985年に優勝したブーニンの日本における熱狂的な人気ぶりをご記憶の方も多いのではないでしょうか。

ショパン・コンクールは予選からファイナルまで、一貫してショパンの楽曲のみを演奏します。そこで、(技術的に少々難があっても)魅力的なショパンを演奏するピアニストを評価するのかそれとも総合的にみてハイレベルなピアニストを評価するのかということが問題となり、ショパンの解釈については「ロマンティック派」を推すのか「楽譜に忠実派」を推すのかということが問題になります。
「正しい演奏とは何か」とは永遠の課題であり、青柳いづみこ氏の著書によると、それは多分に政治的な駆け引きの中で揺れ動き、若き才能を発掘するはずが、審査員同士の争いに化けてしまうこともしばしばというちょっと嫌な現実も。
そもそも“芸術”に点数をつけること自体に無理があると言えばそれまでかもしれませんが。

ところでショパン・コンクールは、開始当初から是が非でもショパンの祖国ポーランドから優勝者を輩出したいという思惑がありながら、第1回大会ではソ連のピアニスト(レフ・オボーリン)が優勝するという幕開けでした。それは、冷戦真っただ中のソ連が、国の文化的威信をかけて開催したチャイコフスキー国際コンクールの第1回大会(1958年)ピアノ部門において、アメリカ人であるヴァン・クライバーンが優勝したのと似たようなものでしょうか。
その後ショパン・コンクールは、ソ連とポーランドのピアニストの優勝が続き、第6回大会で初めて西側(イタリア)のピアニストであるポリーニが優勝したという経緯があります。

どうしても政治的な色を帯びてしまうのは、国レベルでもそれだけ重要なコンクールであることの表れとは思いますが、審査の裏側を覗いてしまうと、純粋にコンクールを見ることができなくなってしまうのは悲しいものです。
それでも私は、私情も政治もねじ伏せるだけの圧倒的な才能の出現を毎回期待しています。
そしてコンテスタントの皆さんには、結果に一喜一憂することなく、自分の才能を信じて、将来にわたり素晴らしい演奏を聴かせてもらいたいと願っています。

今朝のお供、
マウリツィオ・ポリーニの演奏によるショパンの『練習曲集』。

                                   (佐々木 大輔)

(真)夏の夜の夢

秋田市も梅雨が明け、いよいよ暑い夏がやってきます。

暑いのが苦手な私は、毎年、ひと夏をどう乗り切ろうかと梅干を食べながら思案するのですが、一服の清涼剤となるのがメンデルスゾーン作曲の劇付随音楽『真夏の夜の夢』(op.61)です。
あまりにもひねりのない選曲に自分でもあきれてしまうのですが、メンデルスゾーンらしい明るく爽やかな旋律にあふれた『真夏の夜の夢』を聴くと、蒸し暑い夜にも涼風を感じることができます。

ご存じのとおり『真夏の夜の夢』は、シェイクスピアの同名戯曲をもとに作曲された音楽です。細かいことをいうと、メンデルスゾーンは同名の『序曲』(op.21)を17歳の時に作曲しており、後年、『真夏の夜の夢』の上演に付随する音楽の依頼を受けて作曲したものが、有名な「結婚行進曲」を含む劇付随音楽版(op.61)です。
劇付随音楽として全曲演奏される際は、冒頭に『序曲』(op.21)が演奏されることがほとんどですので、通常は序曲(op.21)と劇付随音楽(op.61)とをあわせてひとつの『真夏の夜の夢』として聴かれています。

ところで、近年、『真夏の夜の夢』というタイトルは、『夏の夜の夢』と称されるようになりました。シェイクスピアの原題は『Midsummer ~』ですから「真夏」でいいのではとも思うのですが、劇の舞台が五月祭の前夜4月30日のことであるので、さすがに「真夏」の訳は適さないのではないかとの議論が起こり、舞台背景を考慮して『夏の夜の夢』と訳されるようになりました。一方、坪内逍遥以来使用されてきた『真夏の夜の夢』のタイトルについて、「(舞台背景は別として)真夏は恋の狂熱を示唆する名訳」との評価もあります。
専門外の私としては、『真夏の夜の夢』の方に馴染みがあり、「真夏」は「恋の狂熱」のメタファーとの解釈が成り立つのであれば、とりあえず「真夏」推しでいきたいと思います(そもそも五月祭なら「真夏」どころか「夏」ですらないんじゃないの?という疑問も)。

閑話休題。
『真夏の夜の夢』を題材にした音楽はほかにもたくさんありますが、私にとってメンデルスゾーンの同曲よりも思い入れがあるのは、ヘンリー・パーセル作曲の『妖精の女王』です。私が初めてオーケストラで演奏した楽曲で、その時は『真夏の夜の夢』というタイトルでプログラムに載りました。当時はまだインターネットも普及していない時代でしたので、パーセルの『真夏の夜の夢』のCDをなかなか発見できず、苦労したことを覚えています(パーセルの同曲はメンデルスゾーンに比べてはるかに知名度が低い)。十数年前、インターネットで検索し、パーセルの同曲は『妖精の女王』と呼ばれる方が一般的であることを知り、やっとのことで同曲のCDやレコードを入手することができました。
インターネットは本当に便利ですね。

また話がそれてしまいましたが、言いたかったのは、夏が苦手な私でも夏の音楽は大好きであるということ。
ポップス音楽やロック音楽にも夏の名曲はたくさんあり、それこそ紙幅に限りがなければ、大好きな夏歌を1曲ずつ、くどいくらいにアナリーゼ(楽曲分析)してみたいと思ったりもしますが・・・。
あれ?どうやら誰も望んでいないようなので自粛いたします。

今朝のお供、
KISS(アメリカのバンド)の『KISS』。
KISS最後の来日公演決定。「DEUCE」という曲が好き。夏歌とはまったく関係ありませんが。

                                   (佐々木 大輔)