指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。享年88。
とうとうこの日がきてしまったか、というのが訃報に接した時の正直な気持ちでした。
X(旧ツイッター)などで小澤さんのことが話題に上るたび、「すわ、いよいよか」と思い、そうではないことにほっと胸をなでおろすということが続いていました。
そして一喜一憂のたびに、「きっとその時がきたら、まだ持っていないレコードやCDを買い集めたりするんだろうな」などと思っておりましたが、訃報に接した私がとった行動はまさしく、馴染みのレコード屋さんに連絡をし、在庫があった小澤さんのレコードの中から私が持っていないレコードを全て注文することでした。
小澤さんの演奏には、青春の香りときらめきがありました。
今回、真っ先に哀悼の意を込めて針を落としたレコードは、ボストン交響楽団と録音したマーラーの交響曲第1番です。
新芽が萌すような生命力の輝きの中を薫風が爽やかに吹き抜けるこの演奏は、小澤さんの魅力がいっぱいに詰まっている大変な名演だと思います。
さらに小澤さんの特長は、ディレクションに優れていることであると思います。
これは師匠カラヤンの教えだったそうです。
「カラヤン先生は技術について細かいことは言わない。その代わり大事にしていたのが音楽のディレクション、方向性だ。時間の流れの中でいかに音楽の方向を定め、そこへ向かうか。いかに自分の気持ちを高ぶらせていくか」(日本経済新聞「私の履歴書」より)。
また、作家村上春樹氏との対談でも、「ディレクションという言葉がありますよね。方向性です。つまり、音楽の方向性。(略)長いフレーズを作っていく能力」「要するに細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ」と語っています(小澤征爾・村上春樹著『小澤征爾さんと、音楽について話をする』より)。
このようにカラヤンの教えを守り、小澤さんは音楽の方向付けを大切にしました。
その結果、小澤さんの演奏は見通しが良いため私のような素人の耳にも大変わかりやすく、それまで難解だと思っていた曲でも「ああ、そういう曲だったのか」と理解が容易になるのです。メシアンのトゥランガリラ交響曲しかり、ベルクのヴァイオリン協奏曲(Vn.ソロはパールマン)しかり。小澤さんのおかげで大好きになった曲はたくさんあります。
一方でご本人は「細部を犠牲にしても」と言っていますが、大きな流れを作った上でしっかりと細部も詰めていく緻密さがあり、そのきめ細やかさは日本人の“ものづくり”の最たるものとも思います。
小澤さんは、ヨーロッパへ迎合するのではなく、むしろ、日本人としてのアイデンティティを隠すことも取り繕うこともなくそのまま音楽に反映させました。
「僕は実験台。西洋音楽の伝統を持たない東洋人が、海外で認められる存在となれるかどうか」というのが小澤さんの口癖でした。
結果は皆さんご存じのとおり、日本人や東洋人としてどころか、そのような注釈なしに「小澤征爾」として世界で認められたのです。月並みな言い方になりますが、音楽には国境も人種も関係がないことを証明してみせたのです。
ただ、大病してからの最後の10年間、思うような演奏活動ができなかったことはご本人も無念だったことでしょう。
私ももっと小澤さんの円熟の演奏が聴きたかった。
1度しか実演に触れられなかったことも悔やまれます(小澤さんの本領はライブにあり)。
ずっと身近な存在で、いつでも聴くことができると思っていましたから。
残された録音を丁寧に聴き継ぐことで、私なりの追悼ができればと思います。
多くの仲間に、そして何より音楽に愛された小澤征爾さん。
ご冥福をお祈りいたします。
今朝のお供、
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによる演奏でブラームスの交響曲第1番(1990年録音)
これも私の青春。
(司法書士 佐々木 大輔)
先日、ハーゲン弦楽四重奏団(ハーゲンSQ)の演奏会を聴きに、久しぶりにアトリオン音楽ホールに行ってきました。
リニューアルされてからは初めてのアトリオン。
中高生時代はアマチュアオーケストラの団員として舞台にもよく乗ったアトリオンのステージですが、改めて客席から眺めると記憶よりもコンパクト。
自然とミルハス大ホールと比べてしまいますが(本来比べるべきは中ホールですが、まだ中ホールで演奏会を聴いたことがないものですから)、室内楽専用ホールとしてはちょうどよいサイズといえるでしょう。
室内楽の中でもとりわけ弦楽四重奏曲というのは、かなり地味でとっつきにくいと言われ、クラシックファンの中でも(歌曲と並んで)敬遠されがちなジャンルですが、私はわりと好きで聴いています。
今回の演奏者であるハーゲンSQは、世界最高峰の弦楽四重奏団のひとつに数えられ、私もファンで20代の頃からCDを通して親しんできました。
そのハーゲンSQを秋田で聴くことができるというのであれば、行かない理由はありません。
私が聴き始めた頃は、まだ若手の演奏家というイメージでしたが、今ではすっかりベテラン。
40年超のキャリアの中で、第2ヴァイオリン奏者のみ交代しているものの、他の3人はオリジナルメンバーのまま。
そもそもハーゲン家の兄弟姉妹で結成した四重奏団ですから息もぴったり。
さらにヴィオラのヴェロニカ、チェロのクレメンスは、ソリストとしても世界中で活躍しています。
演奏会のプログラムは、前半がベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」とモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番、後半はピアニストに藤田真央さんを迎えたシューマンのピアノ五重奏曲という私の好きな3曲がそろい踏み。
その名のとおり厳粛で緊張感に満ちたベートーヴェン。
それに続くモーツァルト、第1楽章冒頭から大胆なメリハリをつけた表情のなんとロマンティックなこと。
私は当のハーゲンSQが90年代を中心に録音した弦楽四重奏曲全集を愛聴しておりますが、演奏会での演奏は録音のそれとはまったく異なるもの。
後半のシューマンでは、藤田さんの素晴らしいピアノに呼応するようにハーゲンSQも熱を帯びていきますが、響きにはどこまでも品がありました。
親子以上の年齢差がある若きピアニストを見つめるハーゲンSQの眼差しも温かい。
生で聴く演奏は良いものです。
特にコロナ禍以降、音楽は専らCDやレコードで聴くばかりでしたので(聴く手段が配信ではなくフィジカルなところがなんともアナログな私)、演奏者の息遣い、ホールに響く柔らかい音色、どれもが耳への最高のご褒美。
耳が贅沢を覚えすぎて困っちゃうな。
ええい、こうなったらどこまでも肥えてしまえばいいのだ。
これでいいのだ。
これがいいのだ。
今朝のお供、
The Rolling Stonesの『Hackney Diamonds』。
ミック・ジャガーは80歳になっても踊ってる。名作!
(司法書士 佐々木 大輔)
エボシ岩が遠くに見える、砂まじりの茅ヶ崎に生まれ、ボウリング場でカッコつけていた桑田佳祐青年が、サザンオールスターズというバンドのヴォーカリストとしてデビューしたのは、45年前の1978(昭和53)年6月25日。
デビュー当時、出演した歌番組で司会者から「あなたたちは何者ですか」と問われた際、「目立ちたがり屋の芸人で~す」と答えるなど、ハチャメチャでアナーキーな雰囲気をまとっていた桑田佳祐ですが、本当は見た目以上にとびきりShyな人。
彼女が髪を指で分けただけでしびれてしまい、誰よりも好きな人になって見つめあえることを夢見て、彼氏になりたきゃどういうのと自らに問いかけるものの、結局、見つめ合うと素直にお喋り出来ない。
本当の気持ちは女呼んでもん・・・じゃなくて(おっと危ない)、四六時中も好きと言って欲しいのに。
何を歌っているのか聞き取れないとの批判や放送禁止などの仕打ちも軽やかなるままにかわし続け、時代と並走すること45年。
私が最も尊敬するのは、桑田佳祐の現役であり続ける姿勢です。この45年間、サザン名義、KUWATA BAND名義、ソロ名義など、名義は様々なれど、毎年、新曲を出し続け、その時々の流行りのミュージシャンたちとヒットチャート争いを繰り広げてきました。
これに対しては、大衆に迎合、売れ線狙いという批判もありますが、そもそも人々の耳に届かなければメッセージも伝わらない。それゆえ桑田佳祐は売れることにこだわるのだと思います。
さて、サザンオールスターズが45年続いた理由はどこにあるのか。
“切なさの日本基準”(吉本ばなな)、“世界一のメロディメーカー”(渋谷陽一)、“歩く電通”(小林武史)と評されるように、切なさを湛えたメロディと独創的な歌詞こそが人気の理由と思いますが、「良い曲であれば売れる(売れ続ける)」というほど単純ではないのが音楽業界です。
真っ先に挙げられる理由は、振り幅の大きさ。
軽薄ともいえるノリのデビュー曲「勝手にシンドバッド」と、その翌年に発表された珠玉のバラード曲「いとしのエリー」のように、同じ人物が作ったとは思えない両極端な楽曲を発表し続けることは、趣味嗜好の異なる人々を全方位的にターゲットにできますし、既存のファンに対しても良い意味で予想を裏切り続けることにより飽きさせないことができます。
才能に裏打ちされた経営戦略が功を奏しているのでしょう。
もうひとつ挙げるとすれば、歌の主人公がもてないこと。
恋をしていたのは去年の夏の頃の話で、今はひとりで渚に立って寄せる波に吐息だけの日々。ふられた“つもり”で生きてゆくなんてやせ我慢してみても、駄目になりそうなほど悲しみが消えないだなんて、なんだかまるで寅さんみたい。
最後に、サザンの音楽は世界で受け入れられるのか、という永遠の議論について私なりの思いを記して終わりにします。
ファンのひいき目としては国境を超えると言いたいところですが、私はサザンの音楽が世界市場で売れるとは思いません。吉本ばななが評するように、良くも悪くもサザンの切なさは「日本」基準なのです。
しかし私は、サザンの音楽に触れるたび、この切なさに胸を痛めることができる日本人で本当に良かったなと、その幸せを強く思うのです。
1978年生まれの私と同い年のサザンオールスターズ。
彼らの音楽が私の人生に彩を添えてくれました。
それはこれからもずっと。
※ 太字は全てサザンオールスターズの歌詞からの引用です。
今朝のお供、
サザンオールスターズの曲「愛はスローにちょっとずつ」。
40周年の時に発表された曲。美しいメロディにのせて深い死生観が歌われており、いよいよサザンも円熟期を迎えたと思わせられる名曲です。
(司法書士 佐々木 大輔)