アーカイブ:2015年4月

みそひともじ

三十一文字。みそひともじ。
制約の中で世界を表現する。
私自身は短歌を詠みませんが、祖母が日常生活や孫たちの成長を折に触れて詠んでいましたので(今でも現役で詠んでいます)、幼いころから短歌をわりと身近に感じてきました。

私が好きな春の歌のひとつに、俵万智氏の作品で、
「ふうわりと並んで歩く春の道 誰からもみられたいような午後」
という歌があります。
穏やかな春の日差しの中、幸せに包まれたカップルの誇らしげな気持ちが伝わってくる良い歌ですね。
このふたりは付き合いはじめてまだ日が浅いのかな。世界中に愛を叫ぶような力強さではなく、誇らしさの中にほんのりとした気恥ずかしさも包含されているように感じられます。

この歌が完成形として歌集に収められるまでには、当たり前ですが、何度も手直しを行ったと俵氏もその著書『短歌をよむ』で解説しています。
初稿の上の句は「ふうわりとふたり並んで歩く道」だったそうですが、なんとしても春の気分を表したくて、上の句を「ふうわりと並んで歩く春の道」と直したところ、初稿の「ふうわり」「ふたり」の「ふ」の響きあいも捨てきれず、「ふうわりとふたりで歩く春の道」へと再修正。しかし、「ふたりで」と説明するよりも、「並んで」という言葉から「ふたり」を想像する方が素敵であると考え、歌集に収めた形がベストであると判断したとのことです。

短歌は、文章を書く上でも大変参考になります。
説明しすぎないこと。簡潔、かつ、読む人の想像に働きかける表現を心がけること。
伝えたい気持ちが溢れて、言葉が過剰になってしまうこともあります。一方、仕事の上では潤いのない文章を書かざるを得ない場面もあります(私の場合はほとんどかもしれません)。

短歌を観賞することは、研ぎ澄まされた言語表現の豊潤さを味わいながら、言葉の奥深さに唸らされるとともに、自分の書いた文章(言葉)と徹底的に向き合い、何度も修正を重ねることの大切さを教えてくれます。

 

今朝のお供、
サザンオールスターズの『葡萄』。
忘れたいことばかりの春だから ひねもすサザンオールスターズ
―俵万智

(佐々木 大輔)