アーカイブ:2014年10月

秋田県民歌

現在秋田県で開催されている国民文化祭。当事務所の女性スタッフ成田美佐(ダンスアベニュースタジオSのインストラクター)もダンサーとして開会式のオープニングフェスティバルに参加し、「なまはげと秋田美人」のパフォーマンスを披露しました。ご覧になられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
皇太子殿下にもご臨席を賜った開会式は、秋田県の文化力を全国に発信するとともに、私たち秋田県民にも改めて秋田県のもつ魅力と可能性を教えてくれたステージでした。

さて、国民文化祭も残すところ1週間余りとなりましたが、国民文化祭関連で耳にする機会が多いのが秋田県民歌(県民歌)です。

県民歌は、山形県、長野県の県民歌と並ぶ三大県民歌のひとつです。作詞は倉田政嗣氏、作曲は「浜辺の歌」で知られる成田為三氏。雄大で流麗な旋律にのせて歌われるのは、秋田が誇る美しい自然と豊かな資源です。

この県民歌―私は2番までしか知らなかったのですが―実は4番まであります。
ところが、3番以降の歌詞(特に3番の歌詞)は、戦前教育の影響が色濃く残るとして問題視され、戦後、アメリカの占領政策の一環として県民歌自体歌うことを禁止された時期がありました(加えて、秋田県北部にとっては、「侵略された歴史」が歌われているとの批判もあります)。
現在では、3番と4番は歌われることはほとんどなくなり、2番までを歌うのが通例となっています。

また、秋田の豊かな資源を歌い込んだ1番と2番の歌詞に対しても、秋田県経済の衰退の元凶との批判があります。
たしかに秋田県は、ここに歌われている豊かな資源に頼りきりで、付加価値を創造することなく、裸のままの資源を切り売りしてきたことは否めません。残念ながら、豊かな資源も歌詞にあるように無限というわけにはいかず、今や枯渇の危機に瀕しています。
一方で、秋田県に比べると乏しい資源を、何とか有効活用しようと知恵を絞り、発展を遂げた県もあります。

このような批判は耳が痛いものですが、秋田県が豊かな資源を持っている(いた)ことは事実であり、それを誇ることを私は決して悪いとは思いません。
しかし、指摘のとおり、その上にあぐらをかくのではなく、豊かな資源をどのように活用していくかを考えることこそが、私たち秋田県民に課された使命です。

音楽的には極めて素晴らしい県民歌。
批判を受け止めつつ、秋田の誇りとして胸を張って歌えるように、秋田を活性化していく責務が私たちにはあります。
この素晴らしい県民歌を正しく歌い継いでいくためにも。

 

今朝のお供
レニー・クラヴィッツ(アメリカのミュージシャン)の『Strut』。
3年ぶりの新作。

(佐々木 大輔)