アーカイブ:2014年8月

真実を見抜く目を養う

先日、堤未果著『政府は必ず嘘をつく』という本を読みました。
あまり品がいいとは言えないタイトルですが(最近はインパクトばかりを重視したタイトルの本が多く、あまり感心しません)、その内容は、9.11同時多発テロ以降のアメリカが抱える問題を明らかにし、東日本大震災以降の日本が同じ轍を踏まないよう警告するものでした。
堤氏は、ベストセラーとなった『ルポ 貧困大国アメリカ』等の著作でも知られるジャーナリストです。

本書でまず目を引いたのは、「コーポラティズム」という言葉。
堤氏によると、想像を絶する資金力をつけた経済界が政治と癒着することを表す言葉とのことです。
堤氏は、アメリカの現状について、レーガン政権がメディアの企業所有を解禁して以来、大資本によるマスメディア(テレビや新聞等)の集中と系列化が進んだことで、情報操作が頻繁に起こるようになり、多様な意見が反映されなくなっていることを指摘。その結果、アメリカの政治は、資本が裏で糸を引く、名ばかり二大政党と化し、「資本独裁国家」とでも呼ぶべき状態に陥っていると慨嘆します。
これはアメリカに限られたことではないでしょう。
では、どうすれば真実を見抜くことができるのか。
堤氏は、「腑に落ちないニュースがあったら資金の流れをチェック」し、「情報を比較する」ことが大切であると説きます。

その具体例のひとつとして挙げられているのが、2011年にリビアで起こった民主革命です。
民主革命である「アラブの春」が、リビアにも拡大したことを喜ぶリビア国民の様子が、日本においても連日報道されました。
しかし、堤氏は、「カダフィ政権が、ドルとユーロに対抗するための統一通貨ディナの導入を計画していたこと」こそが、リビアの民主革命の引き金であったと看破し、「ディナが実現すれば、アラブとアフリカは統合され、石油取引の決済がドルからディナに代われば、基軸通貨であるドルの大暴落は避けられない」とするアメリカの憂慮が、リビア国民の民主化機運の高まり以上に、色濃く反映されたものであったと主張します。
ちなみに、「アラブの春」の立役者となったフェイスブック(インターネット上において、同じ目的を持つ仲間が交流を図るための会員制サービス)は、アメリカの会社が提供するサービスです。

ただし、本書の内容を全て鵜呑みにするのはいかがなものかな、というのが私の正直な感想です。
本書には、たとえば立憲主義に対する堤氏の誤認(直接本書のテーマとは関係がない部分であり、揚げ足をとるつもりはありませんが)などがあり、はたして全ての内容が正しい知識に基づいて書かれているのか心許なく思うところもあります。
また、堤氏の主張を裏付ける証言が、特定の人物からのみ得られたものであることが多く、公平さという側面にも疑問が残ります。

本書の内容も、堤氏というひとりのジャーナリストが発するひとつの情報ですから、堤氏自身が指摘するように、他の情報と比較し、多角的な視点で考察する必要があるでしょう。
本当のメディアリテラシー(テレビや新聞等からの情報を主体的・批判的に読み解く力)が試される一冊なのかもしれません。

 

今朝のお供、
MEGADETH(アメリカのバンド)の『RUST IN PEACE』。
サマソニのセットリストがコンパクトながらも豪華で・・・

(佐々木 大輔)

『バッファロー’66』

私にとって思い出の映画、『バッファロー’66』(ヴィンセント・ギャロ監督・脚本・主演)を紹介します(※ネタバレあり)。
観る度、若さのかさぶたをはがすような気持ちになる映画です。

―刑務所を出たばかりの主人公ビリーは、ニューヨーク州バッファローにある実家に戻るため、両親へ電話をかける。ところが、彼女もいないのに見栄を張って「フィアンセを連れて帰る」と嘘をついてしまったことから、通りすがりの少女レイラを「フィアンセ役」として拉致し、実家へ向かう―

映画冒頭から、エゴイスティックなビリーのダメ人間ぶり、横暴ぶりが全開です。
そして、簡単に逃げ出せそうなシチュエーションの中、なぜか逃げ出すことなく、ビリーと行動を共にするレイラ。

―ビリーはレイラを連れて実家に戻るものの、両親はビリーにまるで関心がない。癇癪持ちの父親とアメフトに夢中の母親に、何とか挨拶を済ませたビリーは、刑務所に入る原因を作った人物スコットへの復讐を果たすため、再びレイラと共に実家を出る―

ビリーの生い立ちを垣間見たレイラは、一緒に行動するうち、ビリーの孤独、純粋さ、優しさを理解し、次第に好意を持つようになります。
それにしても、レイラを演じるクリスティーナ・リッチがとても魅力的。時には恋人、時には母親のように、ビリーのことを優しく包み込みます。彼女のぽっちゃりとした体形は、安息の象徴なのかも。

―「スコットを撃って、俺も死ぬ」。そう決意したビリーは、レイラをモーテルに残し、ひとり拳銃を手に、スコットの経営する劇場へ―

さて、ビリーの復讐劇はどのような結末を迎えるのでしょう。
YES(イギリスのバンド)の曲「Heart of the Sunrise」にのせて、ギャロの才気煥発な復讐シーンは必見。

映画のラスト、ドーナツ屋で交わされる会話は、モノトーン調で淡々と進んできた物語に、一輪の花が咲いたような、幸せな色を差します。決して豪華な花の色ではないけれど。
ホットチョコレートよりも、ハート形のクッキーよりも甘いハッピーエンド。そして、始まりの予感。

ビリーがやっと手にすることができた安らぎ。
でも、この安らぎに身を委ね続けるわけにはいかない。
だけど、もう少しだけこのままいさせてほしい。

私にとって青春の1本であるとともに、モラトリアムが終わったことを残酷なまでにはっきりと突きつける映画でもあります。

 

今朝のお供、
King Crimson(イギリスのバンド)の『クリムゾン・キングの宮殿』。

(佐々木 大輔)