サザンオールスターズ

エボシ岩が遠くに見える、砂まじりの茅ヶ崎に生まれ、ボウリング場でカッコつけていた桑田佳祐青年が、サザンオールスターズというバンドのヴォーカリストとしてデビューしたのは、45年前の1978(昭和53)年6月25日。

デビュー当時、出演した歌番組で司会者から「あなたたちは何者ですか」と問われた際、「目立ちたがり屋の芸人で~す」と答えるなど、ハチャメチャでアナーキーな雰囲気をまとっていた桑田佳祐ですが、本当は見た目以上とびきりShyな人

彼女が髪を指で分けただけでしびれてしまい、誰よりも好きな人になって見つめあえることを夢見て、彼氏になりたきゃどういうのと自らに問いかけるものの、結局、見つめ合うと素直にお喋り出来ない

本当の気持ちは女呼んでもん・・・じゃなくて(おっと危ない)、四六時中も好きと言って欲しいのに。

何を歌っているのか聞き取れないとの批判や放送禁止などの仕打ちも軽やかなるままにかわし続け、時代と並走すること45年。

私が最も尊敬するのは、桑田佳祐の現役であり続ける姿勢です。この45年間、サザン名義、KUWATA BAND名義、ソロ名義など、名義は様々なれど、毎年、新曲を出し続け、その時々の流行りのミュージシャンたちとヒットチャート争いを繰り広げてきました。

これに対しては、大衆に迎合、売れ線狙いという批判もありますが、そもそも人々の耳に届かなければメッセージも伝わらない。それゆえ桑田佳祐は売れることにこだわるのだと思います。

さて、サザンオールスターズが45年続いた理由はどこにあるのか。

“切なさの日本基準”(吉本ばなな)、“世界一のメロディメーカー”(渋谷陽一)、“歩く電通”(小林武史)と評されるように、切なさを湛えたメロディと独創的な歌詞こそが人気の理由と思いますが、「良い曲であれば売れる(売れ続ける)」というほど単純ではないのが音楽業界です。

真っ先に挙げられる理由は、振り幅の大きさ。

軽薄ともいえるノリのデビュー曲「勝手にシンドバッド」と、その翌年に発表された珠玉のバラード曲「いとしのエリー」のように、同じ人物が作ったとは思えない両極端な楽曲を発表し続けることは、趣味嗜好の異なる人々を全方位的にターゲットにできますし、既存のファンに対しても良い意味で予想を裏切り続けることにより飽きさせないことができます。

才能に裏打ちされた経営戦略が功を奏しているのでしょう。

もうひとつ挙げるとすれば、歌の主人公がもてないこと。

恋をしていたのは去年の夏の頃の話で、今はひとりで渚に立って寄せる波に吐息だけの日々。ふられた“つもり”で生きてゆくなんてやせ我慢してみても、駄目になりそうなほど悲しみが消えないだなんて、なんだかまるで寅さんみたい。

最後に、サザンの音楽は世界で受け入れられるのか、という永遠の議論について私なりの思いを記して終わりにします。

ファンのひいき目としては国境を超えると言いたいところですが、私はサザンの音楽が世界市場で売れるとは思いません。吉本ばななが評するように、良くも悪くもサザンの切なさは「日本」基準なのです。

しかし私は、サザンの音楽に触れるたび、この切なさに胸を痛めることができる日本人で本当に良かったなと、その幸せを強く思うのです。

1978年生まれの私と同い年のサザンオールスターズ。

彼らの音楽が私の人生に(いろどり)を添えてくれました。

それはこれからもずっと。


※ 太字は全てサザンオールスターズの歌詞からの引用です。


今朝のお供、

サザンオールスターズの曲「愛はスローにちょっとずつ」。

40周年の時に発表された曲。美しいメロディにのせて深い死生観が歌われており、いよいよサザンも円熟期を迎えたと思わせられる名曲です。

                              (司法書士 佐々木 大輔)