5月5日、東京ドーム。超満員の観客が見守る中、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督と、巨人軍や大リーグのヤンキース等で活躍した松井秀喜氏に国民栄誉賞が授与されました。国民栄誉賞が首相官邸以外の場所で授与されたのは、今回が初めてのことだそうです。
授与式に先立って、松井秀喜氏の引退式が行われました。スピーチの中で松井氏は、「二度とここに戻ることは許されないと思っていた」という気持ちを吐露。当時、これだけの決意と覚悟をもって渡米したことがわかり、今さらながらに胸が熱くなりました。
スピーチを終えた松井氏を、おそろいのスーツ姿の長嶋監督が出迎えます。「一緒の格好で」というのは松井氏からの提案だったそうですが、ヤンキースをイメージさせるピンストライプのシャツは、長嶋監督の計らいでしょうか。
続いて行われた授与式。長嶋監督の背筋の伸びた美しい立ち姿は、本当にダンディでした。報道によると、病気をしてからの9年間で長嶋監督がリハビリを休んだのは、たったの2日だけとのことだそうです。リハビリというよりトレーニングと呼ぶ方がふさわしいくらいのプログラムによって鍛えられた体は、スーツに包まれていてもよくわかりました。
松井氏は、巨人軍とヤンキースという名門チームで長きにわたり主軸を務め、功成り名遂げた選手でありながら、「誇れることは、素晴らしい指導者、チームメイト、ファンに恵まれたこと」という驕ることのない感謝のスピーチには、涙腺が緩むとともに人格者としての素晴らしさに心から感服しました。
最後の始球式は、ファンが一番楽しみにしていたイベントではなかったでしょうか。
「4番、サード、長嶋茂雄。背番号3」のアナウンス(できれば「長嶋」の方がよかった・・・)と地鳴りのような歓声に導かれ、ユニホーム姿の長嶋監督がバッターボックスに向かいます。バットを持つのは左手一本とはいえ、打つ気満々の構えは現役時代そのもの。
内角高めに浮いたボールにバットは空を切りましたが、力強いスイングには、「ボールを打てるまでに回復した姿をファンに見せたかった」という気持ちと、野球人としての本能が宿っていました。
本物のスターの輝きを見ることができた素晴らしいセレモニーでした。松井氏が師の後を継ぎ、再び巨人軍のユニホームを着る日が来ることを楽しみにしています。
今朝のお供、
吉井和哉(日本のミュージシャン)の『After The Apples』。
ライヴの興奮を思い出しながら。
(佐々木 大輔)
先日、幕内最高優勝32回を誇る昭和の大横綱、大鵬が亡くなりました。秋田の老舗「菓子舗榮太楼」さんからお嫁さんをもらったこともあって、秋田にもゆかりのある方でした。
未だ歴代1位の座を譲らない優勝回数や2度の6連覇など、数々の記録を打ち立てた功績を称え、国民栄誉賞の授与が内定しています。
当然のことながら人気も絶大で、当時、通商産業省(現経済産業省)の官僚だった堺屋太一氏が記者会見で使用した「巨人、大鵬、卵焼き」(大鵬本人は好ましく思っていなかったとのことですが)のキャッチコピーや、取組時間には銭湯から人が消えると言われたことなど、その人気ぶりを示すエピソードには事欠きません。
私は、大鵬の取組をリアルタイムで観たことはありません。過去のVTRで触れることができるのみですが、懐の深さと柔軟な取り口で、いつの間にか自分の流れに持ち込み、得意のすくい投げで勝負を決する姿は、まさしく相撲の妙。
一方で、天才と呼ばれることを嫌い、常々「人より努力をしたから強くなった」と話していたそうです。その華やかな功績を支える実直な姿勢も、人々に好かれた要因だったのでしょう。
今年の初場所は、若貴なきあとの角界人気を支えた元小結高見盛の引退など、他にも寂しい話題がありました。
それでも、「美しい横綱」は、大鵬から貴乃花を経て、現在の白鵬へと受け継がれています。もう少し先のことになるかとは思いますが、この系譜に連なる新たな横綱の誕生をゆっくり待つのも、相撲ファンの楽しみですね。
今朝のお供、
ドナルド・フェイゲン(アメリカのミュージシャン)の『The Nightfly』。
音はもちろんのこと、ジャケットデザインが大好き。
週末(できれば土曜日)の夜、アナログ盤のジャケットを眺めながら、ウイスキー片手に聴きたくなる名盤です。
(佐々木 大輔)
先週は、素晴らしいニュースとして、山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞受賞がありました。安全性や倫理面での課題はありますが、iPS細胞は、再生医療の実現や難病の治療に向けて大きな一歩となるでしょう。
もうひとつ、喜ばしいニュースがありました。
先日のF1鈴鹿グランプリで、小林可夢偉選手が見事表彰台を獲得。90年鈴鹿GPでの鈴木亜久里、04年アメリカGPでの佐藤琢磨に続き、日本人として3人目の快挙です。
90年鈴鹿GPといえば、F1ブーム真っ只中。当時中学生だった私は、テレビ(たしか、ゴールデンタイムに放送)で観戦していました。
鈴鹿GPは毎年終盤に開催されるため、熾烈なドライバーズチャンピオン(選手の年間チャンピオン)争いが繰り広げられます。
90年も、アイルトン・セナとアラン・プロスト(前年まではフェラーリの同僚同士)が、3年連続でドライバーズチャンピオン争いをしていました。
ところがこの両者、スタート直後の第1コーナーでクラッシュ。
注目を集めていたスター選手ふたりが、あっという間にリタイヤしてしまうという波乱により、観客席にも失望感が広がる中、大活躍したのが、中嶋悟、鈴木亜久里の日本人選手でした。後年、実際に鈴鹿でこのレースを観戦した人の話を聞くことができたのですが、セナとプロスト目当てだった観客も、最後は一体となって日本人選手を応援し、日本人初の表彰台獲得となった鈴木亜久里の3位入賞には、文字どおり鈴鹿が興奮と歓喜で揺れていたそうです。
一方で残念なニュースも。
ミヒャエル・シューマッハの二度目の引退が決まりました。
私はシューマッハと同じ誕生日ということもあって、ずっと応援していました。
06年の引退後、10年に復帰してからは、優勝はありませんでしたが、F1生涯優勝回数91回、ドライバーズチャンピオン7回の記録は、おそらく今後も簡単には破られることはないでしょう。
今朝のお供、
MUSE(イギリスのバンド)の『THE 2ND LAW』。
(佐々木 大輔)