カテゴリー「音楽」の記事

ビリー・ホリデイを聴く

―いけないケムリと水で その身をけずり落としてまでも―
(星空のビリー・ホリデイ)

読書をしながら何か音楽を聴きたくて、いろいろCDをかけていたところ、最後にかけたビリー・ホリデイ(アメリカのジャズ歌手)が読みかけの小説の雰囲気に妙にはまり、はからずも久しぶりに彼女の歌を聴くことになりました。

彼女の声が持つ圧倒的な存在感は、本質的にはBGMになり得ないものですが、小説の雰囲気がとても軽やかだったため、彼女の歌とぶつかることなく、読み進めることができたのかもしれません。

本を読み終え、今度は彼女の晩年の名盤『Lady in Satin』と『BillieHoliday(ラスト・レコーディング)』を聴きました。
『Lady in Satin』の冒頭、スピーカーから飛び出すしわがれ声には、分かっていても一瞬たじろぎます。衰えは著しく、音程も不安定、技術的に言えば断じて上手い歌ではありません。
後年、若い頃の瑞々しい歌声を失ったのは、麻薬とアルコールに溺れた彼女の自業自得とはいえ、思い通りに歌えない彼女の苦しみと悲しみが伝わってきて、息が苦しくなるほどです。

一方、『Billie Holiday』における彼女は、晩年にしては声もよく出ており、曲が進むにつれ、声に歌う喜びが乗ってきます。バックを務めるミュージシャンも、彼女の希望をかなえたメンバーが揃いました。
彼女の白鳥の歌となった、アルバムの最後を飾る曲「Baby Won’tYou Please Come Home」は、苦悩に満ちた人生の締めくくりとしては意外なほど、明るさに満ちています。

―so long 黄昏を歌に秘めたら―(星空のビリー・ホリデイ)

初めて彼女の歌を聴いたのは、ちょっと背伸びをしたかった中学生の時。大人の世界を覗いたような気分になりましたが、結局、その時は良さを理解できませんでした。
しかし、年齢を重ねるにつれ、少しずつ彼女の魅力(というよりも、彼女の引き受けた孤独とは何たるか)を分かり始めたような・・・

でも、正直なところ、やっぱり分からない。
村上春樹氏は著書の中で、彼女の歌を「癒し」ではなく「赦し」と表現しましたが、その感覚も私には分からない。
それは、まだ、なのか。
それとも、ずっと、なのか。

 

今朝のお供、
サザンオールスターズの曲「星空のビリー・ホリデイ」。

(佐々木 大輔)

カルロス・クライバー

今年は名指揮者カルロス・クライバーの没後10年。私にクラシック音楽の面白さを教えてくれた指揮者です。

20世紀最後のカリスマと呼ばれ、キャンセルは日常茶飯事、初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮者に決定した時は、世界中継の当日にキャンセルされたときのため、テレビ局が中継用に前日の演奏会を録画して万一に備えていたことや(ニューイヤーコンサートは、大晦日にも同じプログラムで開催され、元日の演奏会が世界中に中継されます)、代役として非公式にアバドが控えていたことなどが話題になりました。

そのほか、指揮者カラヤンから、なかなか指揮台に上がらない理由を問われ、「冷蔵庫が空になるまで指揮はしない」とはぐらかしたというエピソードや、極端に狭いレパートリーからは、変わり者で気難しい人のように思われますが、どうやらそのとおりの人であったことは間違いないようです。

彼の残した希少な録音は、全てが名演として有名ですので、私が改めてここに書くまでもありません。
そこで、今回は、彼の若き日のリハーサル映像(オペラ『こうもり』の序曲)を紹介します。
リハーサルに見る彼は、しばしばオーケストラの演奏を止めて指示を出します。音楽を言葉にするというのは困難を極めることと思いますが、ウィットとユーモアに富んだ的確な指示で(法的に看過できないような喩えもありますが)、オーケストラから自分の理想とする音を引き出す彼の手腕は見事。
たいていのオーケストラは、演奏を途中で止められることを嫌い、指揮者の長広舌など聞きたくないというのが本音でしょうが、彼は一切の妥協をせず、文学的な表現でもって自分より年長者の多い団員を説得します。
そしてその効果は、私のような素人耳にもはっきりわかるほど。指示を受けたオーケストラの音は、「これぞクライバー」という音に一変。
彼の(本番での)演奏は、テンペラメントに満ちたものと評されることが多いのですが、その裏で実に緻密なリハーサルを行っていたことは、映像が公開された当時、多くの評論家やファンを驚かせたものでした。

ちなみに、『こうもり』序曲は、彼の得意のレパートリーであり、後年、バイエルンとのものが2種(映像として残された方は、弾力が効いて、間が絶妙)、前述のニューイヤーコンサートでのもの(蝶のように舞い、蜂のように刺すかのような演奏)が正式な録音として発売されていますが、リハーサル時の演奏は、後年の自身の演奏よりも、父エーリッヒ(父親も偉大な指揮者でした)の演奏に似ているように感じます。

 

今朝のお供、
クライバー指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェンの『運命』。
シリアルナンバー入りのアナログ盤ボックスセットを予約してしまいました。私にとって青春の響き。

(佐々木 大輔)

リヒャルト・シュトラウス

スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のオープニングで勇壮に流れる音楽。作曲者はリヒャルト・シュトラウス。
これは、交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき(こう語った)』の第1曲「導入部」であり、映画のために作られた曲ではありませんが、そのはまり具合は観る者に強烈な印象を残します。
―キューブリック監督は、映画『時計じかけのオレンジ』でもベートーヴェンの第九を効果的に使用するなど、その音楽センスには感服せざるを得ません―

そして今年、そのR.シュトラウスは生誕150年のメモリアル・イヤーを迎えます。

映画に使用されたことにより、R.シュトラウスの作品中もっとも有名になった『ツァラトゥストラ』。きっと皆さんも、使用された第1曲「導入部」(1分半くらい)を耳にすれば、「あぁ、この曲か」と思われるはず。そして、その壮大な1分半で十分満足してしまうかもしれません。しかし私は、もう少し我慢して、是非とも続く第2曲「世界の背後を説く者について」も聴いていただきたい。大音響の「導入部」から一転、弦楽器を中心に得も言われぬ美しい旋律が奏でられます。
「導入部」のような、オーディオ・マニアにとって試金石ともいえる大音響にカタルシスを得る愛好家もたくさんいらっしゃるでしょうが、私にとっては、情熱の迸りの後に訪れる物憂げな気怠さと優しさが寄り添う陶酔感こそが、R.シュトラウスを聴く最高の歓びなのです。

そして美しさという点において、オペラ『ばらの騎士』の最後の場面で歌われる三重唱は、20世紀に作曲された最も美しい音楽のひとつではないでしょうか。
クライバー指揮ウィーン国立歌劇場の演奏(映像)に聴く三重唱では、時の流れの無情、過ぎ去りし日への憧憬、若さの輝きが交錯する刹那のきらめきが、クライバーの夢幻的なタクトによって紡がれます―まだ若い(と思っている)私は、同じクライバーの映像でも、79年のバイエルン盤の指揮姿に、より魅力を感じるけれど―

紹介は2曲にとどめるつもりでしたが、R.シュトラウスの美しさについて語るとき、どうしても晩年の作品である『4つの最後の歌』に触れないわけにはいきません。そのオーケストレーションの絢爛さゆえ、俗物と揶揄されることも多かったR.シュトラウスが、晩年に描いた純潔で崇高な愛の調べ。
お気に入りの録音は他にもありますが、ヤノヴィッツが歌い、カラヤンとベルリン・フィルが伴奏を務めた演奏の美しさを超えるものを私は知りません。

ちなみに、映画で使用された『ツァラトゥストラ』も、カラヤン指揮の演奏(1959年録音。ウィーン・フィル)でした。

今朝のお供、
Nine Inch Nails(アメリカのバンド)の『The Downward Spiral』。

(佐々木 大輔)