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リヒャルト・シュトラウス

スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のオープニングで勇壮に流れる音楽。作曲者はリヒャルト・シュトラウス。
これは、交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき(こう語った)』の第1曲「導入部」であり、映画のために作られた曲ではありませんが、そのはまり具合は観る者に強烈な印象を残します。
―キューブリック監督は、映画『時計じかけのオレンジ』でもベートーヴェンの第九を効果的に使用するなど、その音楽センスには感服せざるを得ません―

そして今年、そのR.シュトラウスは生誕150年のメモリアル・イヤーを迎えます。

映画に使用されたことにより、R.シュトラウスの作品中もっとも有名になった『ツァラトゥストラ』。きっと皆さんも、使用された第1曲「導入部」(1分半くらい)を耳にすれば、「あぁ、この曲か」と思われるはず。そして、その壮大な1分半で十分満足してしまうかもしれません。しかし私は、もう少し我慢して、是非とも続く第2曲「世界の背後を説く者について」も聴いていただきたい。大音響の「導入部」から一転、弦楽器を中心に得も言われぬ美しい旋律が奏でられます。
「導入部」のような、オーディオ・マニアにとって試金石ともいえる大音響にカタルシスを得る愛好家もたくさんいらっしゃるでしょうが、私にとっては、情熱の迸りの後に訪れる物憂げな気怠さと優しさが寄り添う陶酔感こそが、R.シュトラウスを聴く最高の歓びなのです。

そして美しさという点において、オペラ『ばらの騎士』の最後の場面で歌われる三重唱は、20世紀に作曲された最も美しい音楽のひとつではないでしょうか。
クライバー指揮ウィーン国立歌劇場の演奏(映像)に聴く三重唱では、時の流れの無情、過ぎ去りし日への憧憬、若さの輝きが交錯する刹那のきらめきが、クライバーの夢幻的なタクトによって紡がれます―まだ若い(と思っている)私は、同じクライバーの映像でも、79年のバイエルン盤の指揮姿に、より魅力を感じるけれど―

紹介は2曲にとどめるつもりでしたが、R.シュトラウスの美しさについて語るとき、どうしても晩年の作品である『4つの最後の歌』に触れないわけにはいきません。そのオーケストレーションの絢爛さゆえ、俗物と揶揄されることも多かったR.シュトラウスが、晩年に描いた純潔で崇高な愛の調べ。
お気に入りの録音は他にもありますが、ヤノヴィッツが歌い、カラヤンとベルリン・フィルが伴奏を務めた演奏の美しさを超えるものを私は知りません。

ちなみに、映画で使用された『ツァラトゥストラ』も、カラヤン指揮の演奏(1959年録音。ウィーン・フィル)でした。

今朝のお供、
Nine Inch Nails(アメリカのバンド)の『The Downward Spiral』。

(佐々木 大輔)

クラウディオ・アバドのこと

去る1月20日、イタリアの名指揮者クラウディオ・アバドが亡くなりました(享年80)。
アバドは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルにデビュー後、ミラノ・スカラ座音楽芸術監督、ロンドン交響楽団首席指揮者(のちに同楽団初の音楽監督)、シカゴ交響楽団首席客演指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽監督という音楽界最高のポストを歴任し、帝王カラヤンの後継としてベルリン・フィルの芸術監督も務めました。
名実ともに現代最高のマエストロでした。

私が好むアバドの録音として真っ先に指を折るのは、70年代に4つのオーケストラを振り分けたブラームスの交響曲全集の中から、ベルリン・フィルと演奏した交響曲第2番です。若きアバドの指揮のもと、カラヤンの楽器であったベルリン・フィルが、本当にのびのびと演奏していて(特にゴールウェイの吹くフルートが素晴らしい!)、まさにブラームスの田園交響曲と呼ぶにふさわしい、野を渡る爽やかな風を感じます。

ロンドン交響楽団を振ったラヴェルの『ボレロ』も忘れるわけにはいきません。アバドに惚れ込んだ楽団員が、最後のクライマックスで興奮のあまり思わず歓声を上げてしまったという録音で、(通常、楽譜に指示がないものは不要なものとしてカットされるのですが)この歓声はアバドの許可を得て、そのまま収録されています。すでに次代のウィーン国立歌劇場首席指揮者のポストが決まっていたアバドを、楽団員全員で引き止めたというエピソードを物語る熱演で、『ボレロ』嫌いな私でも惹きこまれる演奏です。

大病を患い、ベルリン・フィルを退いたのち、2003年に就任したルツェルン祝祭管弦楽団の芸術監督は、アバドの晩年を代表するポストでしょう。
ルツェルン祝祭管弦楽団は、若手オーケストラを母体として、一流オーケストラから首席クラスの演奏家や、普段はソリストとして活躍するスター演奏家が、アバドを慕って世界中から集まり、一年に一度結成されるオーケストラです。
アバドの十八番であるマーラーの交響曲を一曲ずつ取り上げてきましたが、第8番が残り、全曲演奏は実現しませんでした。
数年前にはベルリン・フィルとの特別演奏会で、今までほとんど指揮してこなかった交響曲『大地の歌』を演奏していたことから、『大地の歌』を含むマーラー・チクルスが、ルツェルンとのコンビで完成するのではと大いに期待していたのですが・・・残念です。

アバドは、知的で清廉な演奏により、音楽そのものの素晴らしさを教えてくれた真の芸術家でした。
ご冥福をお祈りします。

 

今朝のお供、
モーツァルトのピアノ協奏曲第12番(K.414)を、ルドルフ・ゼルキンのピアノ、アバドの指揮によるロンドン交響楽団の演奏で。
老巨匠ゼルキンのピアノを、親子ほど年齢差のあるアバドが優しくサポートする本演奏は、陽だまりの縁側で、ゼルキンが朴訥と語る思い出話を、アバドが微笑みながら聞いているという趣の温かい演奏です。 アバドは伴奏の名人でもありました。

(佐々木 大輔)

耳へのご褒美

今回は、最近聴いて感銘を受けた1枚のCDを紹介します。
レーピンのヴァイオリン演奏によるヤナーチェク、グリーグ、そして有名なフランクのソナタを収めた1枚です。

ロシア人のレーピンは、ベルギーで開催された1989年エリザベート王妃国際音楽コンクールの優勝者(第2位は諏訪内晶子)。
諏訪内氏の著書『ヴァイオリンと翔る』によると、この時のレーピンは、ソ連の威信をかけ、国から「優勝を義務付けられて」西側のコンクールに送りこまれた出場者だったとのことで、本国から派遣された通訳、教師、ピアニスト、さらには秘密警察なども同行していたそうです(一説には彼の亡命を阻止する目的もあったとか)。
そして、コンクール会場へ向かう道中も、本国が用意した専属運転手付きリムジンの後部座席で、大きな体をかがめながら必死の形相でヴァイオリン(これも本国から貸与された故オイストラフ愛用の名器!)を練習していたレーピンの姿は、諏訪内氏に忘れられないほどの衝撃を与えました。
ちなみに、諏訪内氏がジュリアード音楽院でヴァイオリンを学ぶとともに、コロンビア大学で政治思想史を専攻した理由のひとつは、レーピンに見たソ連という国のあり方にあったとのことです。

閑話休題。
このCDに聴くことができるレーピンの演奏は、国の威信と国民の期待を一身に背負わされた少年が、そのプレッシャーにつぶされることなく演奏家として鍛錬を重ね、不惑にして揺るぎない大家への道を歩み始めたことを確信させる名演でした。

もうひとつ音楽の話題を。
先月、イヤタカ・ヴァレリアーノで、コース料理を楽しみながら、メゾ・ソプラノ歌手唐澤まゆ子さんとピアニスト飯野明日香さんのデュオ・リサイタルを聴くことができました。飯野さんは、私がシーガルクラブでお世話になっている税理士長谷部光重先生の姪御さんです。
フランス作品を中心とした、まるでヨーロッパを巡る旅行のような素晴らしいプログラムの中、唐澤さんは、ケルビーノのアリア(『フィガロの結婚』)では恋い焦がれる思春期の少年を、カルメンのアリアでは情熱的で妖艶な女性を演じて会場を魅了した後、小林秀雄作曲の「落葉松」をしっとりと歌い、格別に美しい余韻を残しました。

飯野さんのピアノを聴くのは2年振りで、前回、リストの作品を中心としたプログラムを聴いた折、彼女のたおやかでありながら凜とした演奏から、「飯野さんの弾くベートーヴェンとウェーベルンの作品を聴いてみたい」と思わされたものですが、今回念願のベートーヴェンを聴くことができたことは望外の喜びでした。

 

今朝のお供、
エミネム(アメリカのミュージシャン)の『The Marshall Mathers LP2』。
私が思う彼の最高傑作『The Marshall Mathers LP』の続編としてリリースされた最新作!

(佐々木 大輔)