先日、急に観たくなってDVDラックをゴソゴソ探り、取り出した映画『アンタッチャブル』。シカゴを牛耳っていたアル・カポネの逮捕劇という実話をモチーフとした映画です。
―舞台は1930年代。禁酒法時代のシカゴにおいて、地元警察や裁判所をも買収し、密造酒やカナダからの密輸により莫大な利益を上げ、幅を利かせるギャングたち。中でも特に強大な権力を持っていたアル・カポネを挙げるべく、特別捜査官として派遣された財務省のエリオット・ネスは、初老の警官ジム・マローンら信頼できる協力者を得てチーム「アンタッチャブル」を結成し、カポネ一派へ切り込んでいく―
カポネを演じるのはロバート・デ・ニーロ。役作りのため髪の毛を抜き体重を増やして臨む徹底ぶり(デ・ニーロにとってはいつものことですが。)で、マローンを演じるショーン・コネリーとともに、主役を食わんばかりの存在感です。
正義感あふれるネスを演じるのはケヴィン・コスナー。実際のネスも甘いマスクだったようで、コスナーの起用は見事にはまったというべきでしょうか。コスナーはこの映画での成功を機に、ハリウッドスターの仲間入りをします。
また、ジョルジオ・アルマーニが担当した衣装もスタイリッシュで素敵です。
監督を務めたデ・パルマの作品は、その暴力的な内容が批判の対象となることも多いようで、たしかにこの映画にも暴力的なシーンが含まれていますが、勧善懲悪の安心感が刺激を中和します。
ところで、冒頭「実話をモチーフとした」と書きましたが、どうやら映画は史実と異なる部分も多いらしく、映画は映画としてフィクションのエンターテインメント作品として純粋に楽しむ方が良いでしょう。これだけの完成度を前に“間違い探し”は野暮というものです。
数々の名シーンの中で、エンターテインメントとして最も印象に残るシーンとなると、やはりユニオン駅での“階段落ち”に止めを刺します。
緊迫した銃撃戦の中、階段を落ちる乳母車。スローモーションや目線アングルを多用したいわゆるデ・パルマカットによる演出により、手に汗握る10分間を堪能することができます。
今朝のお供、
桑田佳祐の曲「ヨシ子さん」。
本人曰く平成のロバート・ジョンソン(アメリカのブルース・ミュージシャン)。そうかどうかはともかく、これだけのカオスをポップミュージックとして成立させる職人技の凄さ!
一方、カップリング曲には万人受けする王道ポップスを置いてバランスをとる経営能力。
方法論は、同じく“売れ線”の佳曲をカップリングに回した14年前のシングル曲「東京」を思い出させます。
(佐々木 大輔)
2015年10月21日午後4時29分。
マーティ(マイケル・J・フォックス)とドク(クリストファー・ロイド)が『パート2』でタイムスリップした“30年後の未来”。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作は、おそらく私が、子供の頃から最も繰り返し観た映画ではないかと思います。テレビのロードショー(テレビ版の吹替えも懐かしい)、ビデオ、DVD…セリフもほとんどそらんじているほど。
学生時代、3部作のDVDボックスセットが発売されたのにあわせて、この3部作を観たいがためにDVDプレーヤーを頑張って購入したことも懐かしく思い出します。
1955年へとタイムスリップした『パート1』のラスト、時計台に雷が落ちるシーンは、何度観ても手に汗を握りますし―結末を知っていても毎回ドキドキできるというのは、エンターテインメントの究極の理想でしょう―『パート2』で再び55年の“パーティの夜”に戻るシーンを観てしまうと、再度『パート1』を見直したとき、ステージでギターを弾くマーティの頭上に、思わずもうひとりのマーティを探してしまいます。
そうそう、この時マーティの弾いた「Johnny B. Goode」(チャック・ベリーが1958年に発表した曲)を聴いたチャック・ベリーが、マーティの演奏に着想を得て、後年「Johnny B. Goode」を作曲したというタイムパラドックスも、音楽ファンをニヤリとさせる演出です。
さて、『パート2』で描かれた“30年後の未来”はどのくらい実現しているのか。
さすがに車は空を飛んでいませんが、天気予報は、秒単位とまではいかないものの時間単位でより精確な予報が出るようになりましたし、3D映像、多チャンネルテレビ、テレビ電話、指紋認証システムそしてタブレット端末…。
マーティが履いていた自動で紐が締まるナイキのシューズは、2011年にナイキがレプリカを限定販売したことでも話題になりました。今年中に“本物”を発売することもナイキが宣言しています(特許は取得済みとのこと)。
これは、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』などにもいえることですが、未来を描いた名作が、科学者や技術者たちに、描かれた世界を実現しよう―あるいは、悲劇的な未来であれば未然に阻止しよう―という動機付けを強くするからこそ、実現したことでもあるのでしょう。今年ノーベル物理学賞を受賞した梶田教授も、「主人公のアトムではなく、お茶の水博士に憧れる少年だった」とのことですし。
そして、『パート3』。
最終作の舞台は西部劇の時代にまでさかのぼり、130年にわたって過去と未来を行き来した3部作は、いかにもアメリカ的で前向きなメッセージによって締めくくられます。
そう、「未来は何も決まっていない。未来は自分で作るものだ」。
今朝のお供、
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(アメリカのバンド)の『FORE!』。
『パート1』の主題歌「The Power of Love」を歌ったヒューイ・ルイスは、映画にもバンドオーディションの審査員役でカメオ出演。
(佐々木 大輔)
私にとって思い出の映画、『バッファロー’66』(ヴィンセント・ギャロ監督・脚本・主演)を紹介します(※ネタバレあり)。
観る度、若さのかさぶたをはがすような気持ちになる映画です。
―刑務所を出たばかりの主人公ビリーは、ニューヨーク州バッファローにある実家に戻るため、両親へ電話をかける。ところが、彼女もいないのに見栄を張って「フィアンセを連れて帰る」と嘘をついてしまったことから、通りすがりの少女レイラを「フィアンセ役」として拉致し、実家へ向かう―
映画冒頭から、エゴイスティックなビリーのダメ人間ぶり、横暴ぶりが全開です。
そして、簡単に逃げ出せそうなシチュエーションの中、なぜか逃げ出すことなく、ビリーと行動を共にするレイラ。
―ビリーはレイラを連れて実家に戻るものの、両親はビリーにまるで関心がない。癇癪持ちの父親とアメフトに夢中の母親に、何とか挨拶を済ませたビリーは、刑務所に入る原因を作った人物スコットへの復讐を果たすため、再びレイラと共に実家を出る―
ビリーの生い立ちを垣間見たレイラは、一緒に行動するうち、ビリーの孤独、純粋さ、優しさを理解し、次第に好意を持つようになります。
それにしても、レイラを演じるクリスティーナ・リッチがとても魅力的。時には恋人、時には母親のように、ビリーのことを優しく包み込みます。彼女のぽっちゃりとした体形は、安息の象徴なのかも。
―「スコットを撃って、俺も死ぬ」。そう決意したビリーは、レイラをモーテルに残し、ひとり拳銃を手に、スコットの経営する劇場へ―
さて、ビリーの復讐劇はどのような結末を迎えるのでしょう。
YES(イギリスのバンド)の曲「Heart of the Sunrise」にのせて、ギャロの才気煥発な復讐シーンは必見。
映画のラスト、ドーナツ屋で交わされる会話は、モノトーン調で淡々と進んできた物語に、一輪の花が咲いたような、幸せな色を差します。決して豪華な花の色ではないけれど。
ホットチョコレートよりも、ハート形のクッキーよりも甘いハッピーエンド。そして、始まりの予感。
ビリーがやっと手にすることができた安らぎ。
でも、この安らぎに身を委ね続けるわけにはいかない。
だけど、もう少しだけこのままいさせてほしい。
私にとって青春の1本であるとともに、モラトリアムが終わったことを残酷なまでにはっきりと突きつける映画でもあります。
今朝のお供、
King Crimson(イギリスのバンド)の『クリムゾン・キングの宮殿』。
(佐々木 大輔)