えっ、本当に?
作家の東野圭吾さんが亡くなられました。
まだまだ現役バリバリで活躍されておりましたから、突然の訃報に言葉を失いました。
未だに信じられません。
来月にはガリレオシリーズの新作も出るというのに。
東野さんは江戸川乱歩賞を受賞した『放課後』でデビュー、その後数々のベストセラーを生み出し、総売上げは1億部超。
世界各国で翻訳され、特にアジア圏では村上春樹さんと並ぶ知名度と人気を誇る作家です。
先述のガリレオシリーズや加賀恭一郎シリーズなどのシリーズものも多数、ホテルを舞台としたマスカレードシリーズも私は楽しみにしていました。
私が東野作品を初めて読んだのは中学生の頃。『放課後』でした。
それから講談社文庫を中心にいろいろ読みましたが、共通しているのはリーダビリティに優れているところ。一度読み始めたら止まらない、まさに一気読みの面白さ。
あまり意識されることはありませんが、流れるような文章の上手さはもっと評価されてもいいのでは。
東野作品の中で、一番の衝撃は大学時代に読んだ『白夜行』でした。
――ある事件の関係者である2人の主人公が歩んだ19年間。彼らの心理描写は徹底して排され、周囲の人々の視点を通してのみ彼らの人生が描かれる――
主人公たちの内面は一切描かれていないにもかかわらず、いや、むしろ直接描かれていないからこそ、読み手は想像力を掻き立てられ、かえって主人公たちの内面を強く意識させられてしまうという構成の巧みさ。
文庫本は800ページを超え、俗に「鈍器本」と呼ばれる分厚さですが(私が読んだ単行本は2段組500ページ超)、読み始めたらあっという間でした。
東野さんはガリレオシリーズ第3作『容疑者Xの変身』で直木賞を受賞します。
実に6回目のノミネートでの受賞でした。
私はもっと前に、それこそ『白夜行』(ノミネート2回目)で直木賞を獲っていたイメージがあったのですが、実際は6度目の正直だったんですね。
その輝かしいキャリアからは遅きに失すると思われた東野さんの直木賞受賞。
東野さんの直木賞については、後年、同じく直木賞作家となった今村翔吾さんがインタビューで、「いつか自分も『直木賞作家の今村翔吾』ではなく、単に今村翔吾と紹介されたい」と話していました。
曰く「東野圭吾さんに対して誰も『直木賞作家の』とは言わないでしょう。冠なんか無くても東野圭吾で通るんです。そういう存在になりたい」と。
たしかに東野さんクラスになると、直木賞作家かどうかはもはや関係ないですからね。
40年超のキャリアで106冊。
まだまだ読んでいない作品があります。
哀悼の意を込めて、これからも東野作品を読んでいきます。
今朝のお供、
The Rolling Stones(イギリスのバンド)の『Foreign Tongues』。
(司法書士 佐々木 大輔)
決まりだな、今年の本屋大賞。
正しくは“私の”本屋大賞。
朝井リョウ著『イン・ザ・メガチャーチ』。
正直に言えばその他のノミネート作品は読んでいないのですが、それでも、本作が今年の大賞最有力であると断言できるだけの作品でした。
朝井リョウさんは、『何者』で第148回直木賞を受賞。
直木賞史上初の平成生まれの作家として注目されました。
近年も『正欲』、『生殖記』など意欲的な作品を立て続けに発表。
「時代を切り取る」ことにかけて現役隋一の作家です。
――神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ――
主な登場人物は、デビューを間近に控えたアイドルグループの運営に協力を求められたレコード会社勤務の中年男性久保田慶彦、大学サークルでの活動に悩みアイドルグループにはまっていく慶彦の娘(今は慶彦の元妻と暮らす)武藤澄香、ある舞台俳優を応援していたところ衝撃的なニュースによって陰謀論へと傾いていく契約社員隅川絢子。
ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側。
この3人の視点から、「ファンダム経済」をテーマに、熱狂が生む危うさを解像度高く描いたのがこの『イン・ザ・メガチャーチ』です。
ファンダムとは、特定の対象を熱心に応援するファンたちのコミュニティや集団のことであり、本来、純粋な信仰(好きを共有する連帯意識)であるはずなのに、そこに資本主義が入り込むことによって、ファンダム経済が形成され、信仰に値段がつきます。
やれCDやグッズをどれだけ買ったか、やれ推しの動画の再生回数を増やすためにどれだけ繰り返し再生したかとか。
数字が信仰の深さの基準となり、純粋だったはずの信仰は資本主義に還元されていきます。
辛い現実社会を生きる中で夢中になれるものを見つけ、資本主義から距離を置いた桃源郷に遊ぶはずが、その桃源郷すらも誰かが描いた「物語」に飲み込まれていくのです。
人は自分の信じる「物語」を通して社会や世界を見る。
いや、むしろ人は自分の信じる「物語」を通してしか社会や世界を見ない。
だからこそ人は「物語」によって操られてしまう。
私は知らぬ間にどんな物語に操られているのだろう。
ラストシーンについても、朝井さんは決して悲劇的なものではないと言います。
しかしこの大作を読み終え、本を閉じた後に残ったのは、私自身のアイデンティティにまで踏み込まれた恐怖でした。
今朝のお供、
NINE INCH NAILS(アメリカのバンド)の『GhostsⅠ‐Ⅳ』。
(司法書士 佐々木 大輔)
私が好きな手塚治虫著『ブラック・ジャック』に「シャチの詩」という話があります。
――開業したての頃のブラック・ジャック(BJ)、診療に訪れる患者はなく、いつも近くの入り江で海を眺めていた。
その入り江に傷ついたシャチが迷い込む。
「お前が最初の患者だ」と言いながら傷を治してやると、シャチは診療代がわりに一粒の真珠をくわえて差し出す。
その後もシャチは頻繁に入り江を訪れ、友誼を結んだBJはそのシャチにトリトンと名付ける。
ひとつ気がかりなのは、時々トリトンがひどい傷を負ってくること。
そのたびにBJは傷を治し、トリトンはその時々で真珠やサンゴや古い金貨などを持ってくる。
ある日、BJは町で「シャチが漁場を荒らしている」という話を聞く。
しかもそのシャチは傷を負わせてもいつの間にか治っており、包帯を巻いていることもあるとか。
思い当たったBJはトリトンに「悪いことはいわん、大海原へ出て行け。もう二度と漁場やここへは戻ってくるな。そうしないといずれ殺されるぞ」と諭す。
ところがトリトンは漁場荒らしをやめない。
そしてついに船が襲われ、子供が犠牲になったと町は大騒ぎに。
町民総出のシャチ狩りによって、シャチは半死半生の重傷を負ったという。
トリトンであってくれるなと願いながらBJが入り江に行くと、果たして瀕死状態のトリトンがいた。
トリトンはBJを見ると嬉しそうに口にくわえた真珠を差し出す。
しかしBJは「今度ばかりはいくら真珠を出しても治せない!」と拒絶する。
それでもトリトンはあきらめることなく、毎日傷だらけの体で、新しい真珠をくわえては入り江に来る。
日に日に弱っていくトリトン。
見て見ぬふりを続けるBJだったが、耐えきれなくなり岩陰からトリトンに向かって叫ぶ。
「もう、やめてくれトリトン!おれはなにも、たくさん真珠がほしいんじゃない!治せないといってるのだ・・・もう治せないんだ!」
トリトンはやっと拾った最後の一粒をくわえながら、輝くたくさんの真珠に囲まれて息絶える――
現在も秋田県では熊による人身被害が多発しています。
県が5月に発令した「クマ出没警報」も12月末までさらに延長されることになりました。
市街地でも住宅地でも関係なく熊は出没し、時に店舗や住宅に侵入しては長時間にわたり居座る事例も増えています。
店舗等の自動ドアを手動に切り替えたり、徒歩で通勤通学をする方々は鈴をつけて歩くなど、県民は自らの身を守ることに腐心しています。
私は車通勤ですが、我が家でも車庫のシャッターを開けた途端、熊が目の前にいるかもしれないという恐怖はぬぐえません。
熊におびえる毎日。
自衛隊による後方支援活動も開始されました。
秋田県民、熊が憎くて駆除しているわけではないのです。
自分たちの生活を守るため、駆除せざるを得ないのです。
翻って「シャチの詩」における町民の怒りと、ブラック・ジャックとトリトンとのかけがえのない友情。
しかし事情を知ったブラック・ジャックは最後にトリトンを突き放します。
全話を通じてブラック・ジャックは人間と動物の命に優劣をつけるような人物ではありません。
場合によっては動物の命を優先することもあります。
その若き日のブラック・ジャックが、唯一心を開いたトリトンを突き放さざるを得なかった辛さはどれほどのものだったのか。
自分たちの生活を脅かす存在との「共存」を考える時、私はいつも「シャチの詩」が頭に浮かびます。
今朝のお供、
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(日本のバンド)の『CASANOVA SNAKE』。
三回忌。彼は今日も愛を歌っているだろう。
(司法書士 佐々木 大輔)