現在秋田県で開催されている国民文化祭。当事務所の女性スタッフ成田美佐(ダンスアベニュースタジオSのインストラクター)もダンサーとして開会式のオープニングフェスティバルに参加し、「なまはげと秋田美人」のパフォーマンスを披露しました。ご覧になられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
皇太子殿下にもご臨席を賜った開会式は、秋田県の文化力を全国に発信するとともに、私たち秋田県民にも改めて秋田県のもつ魅力と可能性を教えてくれたステージでした。
さて、国民文化祭も残すところ1週間余りとなりましたが、国民文化祭関連で耳にする機会が多いのが秋田県民歌(県民歌)です。
県民歌は、山形県、長野県の県民歌と並ぶ三大県民歌のひとつです。作詞は倉田政嗣氏、作曲は「浜辺の歌」で知られる成田為三氏。雄大で流麗な旋律にのせて歌われるのは、秋田が誇る美しい自然と豊かな資源です。
この県民歌―私は2番までしか知らなかったのですが―実は4番まであります。
ところが、3番以降の歌詞(特に3番の歌詞)は、戦前教育の影響が色濃く残るとして問題視され、戦後、アメリカの占領政策の一環として県民歌自体歌うことを禁止された時期がありました(加えて、秋田県北部にとっては、「侵略された歴史」が歌われているとの批判もあります)。
現在では、3番と4番は歌われることはほとんどなくなり、2番までを歌うのが通例となっています。
また、秋田の豊かな資源を歌い込んだ1番と2番の歌詞に対しても、秋田県経済の衰退の元凶との批判があります。
たしかに秋田県は、ここに歌われている豊かな資源に頼りきりで、付加価値を創造することなく、裸のままの資源を切り売りしてきたことは否めません。残念ながら、豊かな資源も歌詞にあるように無限というわけにはいかず、今や枯渇の危機に瀕しています。
一方で、秋田県に比べると乏しい資源を、何とか有効活用しようと知恵を絞り、発展を遂げた県もあります。
このような批判は耳が痛いものですが、秋田県が豊かな資源を持っている(いた)ことは事実であり、それを誇ることを私は決して悪いとは思いません。
しかし、指摘のとおり、その上にあぐらをかくのではなく、豊かな資源をどのように活用していくかを考えることこそが、私たち秋田県民に課された使命です。
音楽的には極めて素晴らしい県民歌。
批判を受け止めつつ、秋田の誇りとして胸を張って歌えるように、秋田を活性化していく責務が私たちにはあります。
この素晴らしい県民歌を正しく歌い継いでいくためにも。
今朝のお供
レニー・クラヴィッツ(アメリカのミュージシャン)の『Strut』。
3年ぶりの新作。
(佐々木 大輔)
皆さん、NHKで放送されている「にっぽん縦断 こころ旅」という番組をご存知ですか。全国の視聴者から手紙やメールで寄せられた思い出の場所を、俳優の火野正平さんが自転車で巡るという番組で、視聴者のエピソードや思い出の風景が魅力的なのはもちろんのこと、地元の人々との交流を通じて正平さんのチャーミングな人柄がしのばれる素敵な番組です。
先々週(6月30日から7月4日)の放送は、秋田県の旅でした。
山形県から秋田県に入り、青森県へと抜ける秋田縦断の旅。私の住む秋田市は、金照寺山が思い出の風景として紹介されました。
金照寺山とは、秋田市中心部にある標高わずか56.4メートルの可愛らしい山です。
手紙主さんは、12歳の時、東京から秋田の中学校に転校してきた方で、最初のうちは方言もわからず、なかなかクラスになじめないでいたそうです。そんなある日、担任の先生の提案で、毎週日曜日の朝、先生も含めクラスメートのほとんどが、金照寺山の頂上に集まって遊ぶことになりました。みんなで走り回ったり、ソリで遊んだり、何か特別なことをしたわけではないけれど、毎週日曜日、金照寺山で過ごす時間が、手紙主さんにとってクラスメートと仲良くなるかけがえのない時間だったそうです。
手紙主さんは、2年足らずでまた東京に戻ったため、秋田は遠い思い出の地となってしまったそうですが、40年経った今でも、金照寺山の頂上から見た秋田市内、遠くに広がる山々を懐かしく思い出すとおっしゃっていました。
もちろん番組のハイライトは、正平さんが金照寺山頂上からの風景を紹介するシーンなのですが・・・残念ながら、現在の金照寺山は草木が生い茂り、秋田市内も遠くの山々もほとんど望めない・・・というオチ。
金照寺山からの風景は、番組的には(そして手紙主さんにとっても)少々残念な結果となりましたが、手紙主さんのことを思い、さりげなく手を差し伸べてくれた担任の先生の優しさに心が温かくなりました。
そして、秋田を離れた今でも、担任の先生のこと、秋田の風景を、大切な思い出として心に留めていてくれる手紙主さん。秋田市民として感謝に堪えません。
願わくは、金照寺山が、在りし日の姿を再び取り戻してくれる時がくればなあ。
今朝のお供、
井上陽水の曲「少年時代」。
後日談によると、思い出の担任の先生から連絡があったとのことです。
良かったですね、手紙主(ミッフィー)さん!
(佐々木 大輔)
突然ですが、皆さん日本酒はお好きですか。
私は(量はたくさん飲みませんが)大好きなものですから、美味しい地酒のたくさんある秋田に生まれたことを感謝しています。
秋田に生まれたからこそ、日本酒を好きになったのかもしれませんが。
私は学生時代、新潟(4年)、仙台(4年)と酒どころで過ごしましたので、お酒を飲む機会が多く、その酒席には必ず日本酒が用意されていました。
ただし、用意されるのはその土地の地酒であり、(ライバルである?)秋田のお酒にお目にかかる機会はほとんどありませんでした。
しかし、私が秋田出身であることがわかると、酒席を共にした地元の方々から、それぞれの地酒の魅力を熱っぽく語られたうえで、「秋田のお酒はどれがお勧めですか」と聞かれました。
ついでに「お酒、強いのでしょう」とも(ご期待にそえず残念ですが、強くはありません)。
今までお付き合いをしてきた方々は、日本酒に詳しい方が多く、中には、秋田県民の私よりも、秋田の地酒について精通されている方もいらっしゃいました。
タイトルの「外交」とは少々大げさですが、県外に出たとき、秋田県民として、秋田の誇る文化のひとつである地酒をいかにプレゼンできるか。
強敵でもある新潟県民からは、「秋田のお酒は濃い」とよく言われました。新潟も宮城も地酒の多くは辛口。特に新潟は淡麗辛口ですから、私にとっては逆に物足りなく感じることもありました。
秋田をアピールするうえで、地酒は、それ自体が秋田の魅力的なコンテンツであるばかりか、一緒に酌み交わせばお互いの心をゆるりと溶かし、様々な話題に花を咲かせるために最高のアシストもしてくれます。
私も若輩ながら、最近は会合などを通じて、博識な皆様に美味しいお酒を教えていただく機会が多くなり、お気に入りの秋田の地酒がさらに増えました。
県外から遊びに来てくれる友人たちにも、今まで以上に秋田の地酒の魅力をお伝えできるのではと思っています。
今朝のお供、
Radiohead(イギリスのバンド)の『Hail to the Thief』。
(佐々木 大輔)