アーカイブ:2024年3月

ポリーニさんのこと

世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニさんが亡くなられました。享年82。

先月の小澤征爾さんに続いての訃報。
2か月続けて同じようなブログを書くことに躊躇はありますが、触れずにやり過ごすには私にとってあまりにも大きな存在ですので、すみません、書きます。

私が最も敬愛するピアニストであるマウリツィオ・ポリーニ。
ポリーニの演奏を聴くきっかけはちょっと天邪鬼なものでした。
当時私が指南役としていた某評論家が、ポリーニの演奏、録音を、口を極めて罵っていたのです。その影響でしばらくポリーニの演奏を避けていました(聴かず嫌いというものです)。
しかし、その評論家が否定すればするほど、逆にポリーニに対する興味は高まるもので、「そこまで悪く言われるポリーニの演奏とはいかなるものか聴いてみたい」と思うようになり、ついに手に取ったのがショパンのピアノ・ソナタ第2番と第3番が収録されたCDでした。
一聴、それまで私が抱いていたショパンのイメージ(そしてそのようなイメージのショパンがあまり好きではなかった。)とは全く違う、たくましく、そして情に流されない硬派な演奏は、ショパンに対する苦手意識を覆すのに十分でした。

もっとポリーニのショパンを聴いてみたくなり、次に手に取ったのが天下の名盤『練習曲集op.10&op.25』(※)。
以降、新譜が出ると真っ先に購入し、過去の録音にもさかのぼりながら聴き続けてきた30年近い年月。
特に70年代に録音されたベートーヴェンやシューベルト、シューマンといったいわゆる“王道クラシック”レパートリーも、ポリーニが弾くと全く新しい音楽に聴こえました。
さらに、それまでの私には縁遠かったシェーンベルク、バルトーク、ウェーベルン、ノーノ、ブーレーズ、シュトックハウゼンなど近現代の音楽家の魅力も教えてくれました。
溢れんばかりの情熱をしっかりと形式の中に凝縮させる冷静さ、決して音楽の均衡を崩さなかった強靭な精神力とピアニズム、すべてが知的な興奮に満ちていました。

ポリーニの実演に触れられたのは1度だけ。2001年5月12日サントリーホールでのリサイタルです。
チケットを入手するのにも苦労しました。3時間以上電話をかけ続けてようやくつながったプレイガイド、売切れを覚悟していたら奇跡的に残席あり。嬉しかったなあ。

リサイタルのプログラムは、前半がシューマン作曲のアレグロとクライスレリアーナ、後半がリスト作曲の晩年の小品とピアノ・ソナタというヘビー級のものでした。
リストのソナタでは、ミスター・パーフェクトと呼ばれたポリーニにしては驚くようなミスが見られたりと、ライブならではのハプニングも。
実は前半もあまり調子が良くなく(そもそも楽器の鳴りが悪く、後半に向けて楽器を交換していた。)、ご本人、本編では不完全燃焼だったのかもしれません。
そのかわりアンコールを6曲も演奏してくれました。
その中にはリストの超絶技巧練習曲第10番や、ポリーニの代名詞であるショパンの練習曲(op.10-4)も含まれていて、いよいよ観客は熱狂、スタンディングオベーションにて熱烈な拍手を送ったのでした。

ところで、演奏会当日、私の席の数列後ろに同時期に来日していたソプラノ歌手ジェシー・ノーマンさんがいらしており、ブラヴォー、ブラヴォーと叫んでいました。
ノーマンさんの声は当然のことながらものすごくよく通るんです。
ポリーニもノーマンさんに気づいたのか、ステージ上から何度もこちらの方を見てお辞儀をします。
私は今でもポリーニと何回も目が合ったとポジティブに信じていますよ。

今も書きながら、いろいろな思い出が去来して(そしてそれらがあまりに鮮やかによみがえることに動揺もしています。)、しばしばキーボードを打つ手が止まります。
ポリーニのCD、レコードはほとんど持っているのですが、聴いて追悼するにはもう少し時間がかかりそう。
それくらい今は悲しい。

たくさんの思い出とともに。


※ 音楽評論家吉田秀和氏がつけたキャッチコピー「これ以上何をお望みですか」でも有名。


今朝のお供、

クラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団による演奏でヴェルディ作曲『レクイエム』。
同郷で盟友でもあったアバドの指揮で。

                              (司法書士 佐々木 大輔)