私が好きな手塚治虫著『ブラック・ジャック』に「シャチの詩」という話があります。
――開業したての頃のブラック・ジャック(BJ)、診療に訪れる患者はなく、いつも近くの入り江で海を眺めていた。
その入り江に傷ついたシャチが迷い込む。
「お前が最初の患者だ」と言いながら傷を治してやると、シャチは診療代がわりに一粒の真珠をくわえて差し出す。
その後もシャチは頻繁に入り江を訪れ、友誼を結んだBJはそのシャチにトリトンと名付ける。
ひとつ気がかりなのは、時々トリトンがひどい傷を負ってくること。
そのたびにBJは傷を治し、トリトンはその時々で真珠やサンゴや古い金貨などを持ってくる。
ある日、BJは町で「シャチが漁場を荒らしている」という話を聞く。
しかもそのシャチは傷を負わせてもいつの間にか治っており、包帯を巻いていることもあるとか。
思い当たったBJはトリトンに「悪いことはいわん、大海原へ出て行け。もう二度と漁場やここへは戻ってくるな。そうしないといずれ殺されるぞ」と諭す。
ところがトリトンは漁場荒らしをやめない。
そしてついに船が襲われ、子供が犠牲になったと町は大騒ぎに。
町民総出のシャチ狩りによって、シャチは半死半生の重傷を負ったという。
トリトンであってくれるなと願いながらBJが入り江に行くと、果たして瀕死状態のトリトンがいた。
トリトンはBJを見ると嬉しそうに口にくわえた真珠を差し出す。
しかしBJは「今度ばかりはいくら真珠を出しても治せない!」と拒絶する。
それでもトリトンはあきらめることなく、毎日傷だらけの体で、新しい真珠をくわえては入り江に来る。
日に日に弱っていくトリトン。
見て見ぬふりを続けるBJだったが、耐えきれなくなり岩陰からトリトンに向かって叫ぶ。
「もう、やめてくれトリトン!おれはなにも、たくさん真珠がほしいんじゃない!治せないといってるのだ・・・もう治せないんだ!」
トリトンはやっと拾った最後の一粒をくわえながら、輝くたくさんの真珠に囲まれて息絶える――
現在も秋田県では熊による人身被害が多発しています。
県が5月に発令した「クマ出没警報」も12月末までさらに延長されることになりました。
市街地でも住宅地でも関係なく熊は出没し、時に店舗や住宅に侵入しては長時間にわたり居座る事例も増えています。
店舗等の自動ドアを手動に切り替えたり、徒歩で通勤通学をする方々は鈴をつけて歩くなど、県民は自らの身を守ることに腐心しています。
私は車通勤ですが、我が家でも車庫のシャッターを開けた途端、熊が目の前にいるかもしれないという恐怖はぬぐえません。
熊におびえる毎日。
自衛隊による後方支援活動も開始されました。
秋田県民、熊が憎くて駆除しているわけではないのです。
自分たちの生活を守るため、駆除せざるを得ないのです。
翻って「シャチの詩」における町民の怒りと、ブラック・ジャックとトリトンとのかけがえのない友情。
しかし事情を知ったブラック・ジャックは最後にトリトンを突き放します。
全話を通じてブラック・ジャックは人間と動物の命に優劣をつけるような人物ではありません。
場合によっては動物の命を優先することもあります。
その若き日のブラック・ジャックが、唯一心を開いたトリトンを突き放さざるを得なかった辛さはどれほどのものだったのか。
自分たちの生活を脅かす存在との「共存」を考える時、私はいつも「シャチの詩」が頭に浮かびます。
今朝のお供、
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(日本のバンド)の『CASANOVA SNAKE』。
三回忌。彼は今日も愛を歌っているだろう。
(司法書士 佐々木 大輔)
今年の10月は様々な芸術イベントを鑑賞しました。
その中からリマインドしてみましょう。
最初はNHK交響楽団の新コンサートマスター郷古廉さん率いるN響メンバーによる弦楽合奏。会場はアトリオン音楽ホール。
プログラムは、シューベルトの弦楽四重奏曲第14番『死と乙女』とショパンのピアノ協奏曲第1番(室内楽版)でした。
なんといっても前半の『死と乙女』が絶品。
ショパンのピアノ協奏曲は、昨年9月のN響ミルハス公演でも取り上げられた曲でした。
同じN響でオーケストラ版と室内楽版を聴き比べられる贅沢・・・とも思いましたが、秋田ではなかなかN響の演奏を聴く機会が無いものですから、できれば別の曲を演奏してくれればよかったのにな、とも思いました。
続いて仙台フィルハーモニー管弦楽団の演奏会(第4回秋田・潟上国際音楽祭の公演)。こちらも会場はアトリオン。プログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』と交響曲第3番『英雄』でした。
皇帝に英雄とは、なんとヒロイックな組み合わせなのでしょう。
そして立川談春独演会2025。会場は秋田芸術劇場ミルハス。
折しもクマ出没により、近くの千秋公園が封鎖されているという緊迫した状況下での開催でした。
談春さんの落語を聴くのは昨年に続き2回目。
演目は、「演るのは難しいし内容も面白くない」噺なので談春さんしか演らない(本人談)という『九州吹き戻し』と、メジャーな『御神酒徳利』。
どちらも1時間半近い熱演。すっかり魅せられました。
来年も秋田に来てくれそうな話しぶりでしたので、また聴きに行こう。
ちなみに、明日11月1日は、アトリオンにオペラガラ・コンサート(第4回秋田・潟上国際音楽祭の公演)を聴きに行きます。
ところで、話は変わりますが、昨今話題になっている演奏会での(フライング)ブラボー問題(今に始まったことではなく昔からある問題なのですが)。
曲が終わるか終わらないかのうちに観客が「ブラボー」と発することに対する賛否です。
調べてみたところ、当日問題になったプログラムはブルックナーの交響曲第8番だったとか。
たしかにこの曲、盛り上がったのちに訪れる「ミレド」の終結には、思わずブラボーと叫びたくなる気持ちも分からないではありません。
しかし、この曲を真剣に聴き、本当にブラボーと叫びたいほど感動したならば、むしろ息を呑み言葉を失うのではないかと思います。
なお、「ミレド」の後には休符がありますので、その休符までが作品(一曲)です。
音楽の楽しみ方は人それぞれ。中には「私の楽しみは誰よりも先にブラボーと言うことだ!」という人もいるかもしれません。
しかし、会場で演奏を聴くということは、他の人も同じ空間を共有しているということを忘れてはなりません。自分ひとりではないのです。そして誰より、一音一音緻密に繊細に音楽を紡いだ演奏家たちの存在があるのです。
指揮者が指揮棒を下ろすまでが演奏と思っていただきたい。
演奏中に客席から発せられる音はすべて雑音です。
最後は少し強めの論調になってしまい申し訳ありません。
一方で、今回のブログで取り上げたステージは、どれもみな温かい観客の皆さんとともに楽しむことができたことを、ひと言付け加えさせてくださいね。
今朝のお供、
Oasis(イギリスのバンド)の『(WHAT’S THE STORY)MORNING GLORY?』。
来日公演、やっぱり行きたかったなあ。
(司法書士 佐々木 大輔)
秋、といえば「ひやおろし」。
今年は秋刀魚も入手しやすくなり、秋刀魚を肴にひやおろしを一献という日本の秋が戻ってきました。
ひやおろしとは、春先に一度だけ火入れ(加熱殺菌)を行い、夏の間貯蔵庫で熟成させ、秋に出荷される日本酒のことです。
江戸時代に誕生したとされ、秋になり外気温と貯蔵庫の温度が同じくらいになった頃に、二度目の火入れをせずに「冷や」の状態で樽から「おろして」出荷したことから名付けられました。
涼しい気候になってから出荷することで、お酒の品質を保っていたのです。
今は毎年9月9日(重陽の節句)を目安に出荷されます。
ひと夏を越して熟成されることで、新酒の荒々しさが取れ、穏やかな香りとまろやかで深みのある味わいを楽しむことができます。
なお、「冷酒」(冷たいお酒)を求めて飲食店で「日本酒を冷やで」と注文するのは正しくありません。
「冷や」とは常温のお酒を指します。
優しいお店は注文の意をくんで「冷酒」を出してくれますが、頑固なお店では常温のお酒が提供され、お客「冷たいお酒を頼んだのに冷えてないじゃないか」、お店「冷やとおっしゃいましたので常温でお出ししました」みたいなやり取りがなされることも。
昔は冷蔵庫がなかったため、お酒を冷やすという習慣がなく、お酒の飲み方は常温か燗をつけるかのどちらかでした。
そのため燗よりも温度が低い常温のお酒を「冷や」と呼んでいたのです。
この名残で、今も常温のお酒を「冷や」と呼びます。
また、日本酒には温度に応じて呼び名があり、冷酒には雪冷え(5℃)、花冷え(10℃)、涼冷え(15℃)、燗には人肌燗(35℃)、ぬる燗(40℃)、熱燗(50℃)などがあります。
特に冷酒は呼び名が洒落てますよね。
まあ、あまり青筋たてずこだわりすぎず、楽しく飲むのが一番。
ひやおろしは、冷酒でも、冷やでも、燗をつけても、美味しく飲むことができます。
気温にあわせて、食事にあわせて、気分にあわせて、お酒の温度もいろいろに今宵の一献を選んでみてはいかがでしょう。
ただし、飲みすぎにはご注意を!(自戒をこめて)
今朝のお供、
The Beatlesの『A Hard Day’s Night』。
(司法書士 佐々木 大輔)