声は電波に乗って

今年で放送開始100年。

100年前の大正14年3月22日、ラジオ放送が開始されました。第一声は「聞こえますか?こちらは東京放送局」だったそう。

私は割と早くからラジオに親しんでおり(といっても、祖父母の家からの帰りに父親の車で聴く野球のナイター中継がほとんどでしたが)、中学生になるとラジオから流れてくる洋楽に心を躍らせるようになりました。
今のようにインターネットが発達しておらず、好きな曲をいつでも聴くことができる時代ではありませんでしたし、情報収集もなかなか大変でした。
そんな時代にラジオは貴重な情報源であり(他は月刊誌くらい)、土曜の午後に放送されていた「ポップス・ベスト10」と日曜の深夜に放送していた「全国ポピュラーベストテン」という番組で、私は当時の洋楽のヒット曲とたくさん出合いました。
加えて「ヘヴィメタルシンジケート」というハードロック/ヘヴィメタル(HR/HM)専門番組によって、HR/HMの世界に引きずり込まれました。

高校生になるとオールナイトニッポンなどの深夜番組の虜に。
ラジオの魅力は何といってもパーソナリティと1対1で話しているかのような親密性にあります。
話の中身はとてもじゃないけどテレビなどでは流せない過激な?ものだったりして(近年はコンプライアンスの関係で発言もかなり穏やかになっております)。
これらの発言も、結局のところリスナーとパーソナリティとの間に築かれた信頼関係のもとに成り立っているものです。
学生時代、一人暮らしの部屋でさみしさを埋めてくれたのもラジオでした。

その後、改めて日常的にラジオを聴くようになったのは東日本大震災の頃から。
震災直後は停電になったため、情報収集は電池式のラジオでした。
電気が復旧した後も、いつ緊急地震速報が鳴るか分かりませんので、寝る時もラジオをつけっぱなしで過ごしていました。

ラジオ放送開始当時、特に求められたのは、いち早く災害等の被害状況を伝え、救援活動につなげることでした。それは現在も変わりありません。
と同時に、正確な情報を伝えるラジオ放送が求められたそもそものきっかけは、関東大震災の際に流布されたデマにより引き起こされた悲劇を、繰り返さないためであることを忘れてはなりません。
SNS(X(旧ツイッター)など)が発達し、誰もが情報や主張を気軽に発信できる今、改めてその意義を考える必要があります。

情報発信者として、自らの発言に責任と覚悟を持てますか。

その“正義”、あなたは自分に向けることができますか。


今朝のお供、

Carpenters(アメリカのデュオ)の曲「Yesterday Once More」。

若かった頃ラジオを聴いていたんだ お気に入りの曲がかかるのを待ちながら
全ての曲や思い出が 今でも輝いている
まるで昨日のことのように

                              (司法書士 佐々木 大輔)

読書熱

昨年末から読書熱が再燃しておりまして、予定の無い休日は、日がな一日読書にふけっております。
欲すると出合いも多くなるもので、年始から良い本に出合うことができました。
また、先日はついに、ずっと気になっていたある作家の全集を、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入してしまいました。
この全集については、いつになったら読破できるのかわかりませんが、少しずつ読み進めながら、時間をかけてじっくり楽しみたいと思います。

さて、最近読んだ作品の中で強く感銘を受けたのは、鈴木結生(ゆうい)著『ゲーテはすべてを言った』です。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、先日発表された第172回芥川賞受賞作です。

――ゲーテの専門家である主人公の大学教授が、レストランでたまたま目にしたゲーテのものとされる言葉。しかし彼は、それがゲーテの言葉であるかどうか、すぐにはわからない。自分の知らないゲーテの言葉。ゲーテ研究の第一人者であるとの自負のもと、彼は膨大な原典を紐解き、これまでの研究生活の記憶を総動員して、その言葉の出典を追究していく――

「言葉」とは何か。件のゲーテの言葉を探る過程で思索が深められていきます。
さらには同僚が起こしたある事件を通じて、創作や学問とは何かについても問題提起がなされます。はたして創造とねつ造、引用と盗用の境目はどこにあるのでしょう。

タイトルに「ゲーテ」なんて入っているし、難しいのかなと敬遠してしまいがちですが(私もちょっと身構えた)、読んでみるとミステリのような種明かしや伏線回収があったり、エンタメ小説としても楽しむことができます。
この辺りは作者がファンだという伊坂幸太郎さんの影響かな。

一方で、古今東西のさまざまな言葉が引用され、場合によっては衒学的(げんがくてき)とのそしりを免れない危うさもありますが、前述のようにエンタメ性とのバランスが絶妙であり、作品中に横溢する過剰なまでの知識でさえ、逆にこの作品のエンタメ性を増すためのしかけのようにも思えます。
引用によって物語を構築していくさまは、これも作者がファンだという大江健三郎さんの影響かな。

なお、タイトルの「ゲーテはすべてを言った」とは、例えば誰の言葉か分からない名言や、自分が思いついた格言めいた言葉に「ゲーテ曰く」と付け加えることで、その言葉の信ぴょう性や説得力が増すというドイツのジョークからとられたものだそう。

鈴木結生さんは大学院在学中の23歳。久しぶりに大型新人の登場という風格があります。
芥川賞にしても直木賞にしても、受賞作はたいてい読むようにしていますが、「これは凄い」と思える作品に出合えるのは数年に1冊くらいのものです(上から目線ですみません。好みの問題もありますので悪しからず)。

本作は三部作の2作目で、近いうちに完結編が発表されるとのこと。
その前に前作「人にはどれほど本がいるのか」を読まなくては。
でもまだ書籍化されていないんですよねえ(文芸誌『小説トリッパー』2024年春号に収録)。
早く書籍化されないかなあ。


今朝のお供、

Maroon 5(アメリカのバンド)の『Songs About Jane』。

                              (司法書士 佐々木 大輔)

大健闘!

今年も気がついたらもう1か月が過ぎようとしております。
あっという間ですね。

先日ラジオを聴いていたら、作家の村上春樹さんも、時間の流れのはやさにうまくついていけないと言っていました。時間を呼び止めて「そんなに急いでどこに行くんですか」と聞いてみたいと。村上さんらしいユーモアですが、私もできることなら時間を呼び止めてみたい。

そんな1月でしたが、今月は王鵬関の大活躍により、大相撲初場所を15日間毎日ワクワクドキドキしながら楽しむことができました。
場所中はゲン担ぎに王鵬どら焼きも美味しく頂きました。
千秋楽では星1つ差で追っていた金峰山を破り、大関豊昇龍を含め巴戦となった優勝決定戦に進出。
最後は大関に力の差を見せつけられてしまい初優勝はなりませんでしたが(三賞の技能賞を初受賞)、来場所は初の三役(小結)昇進が確実。
同期で同い年の豊昇龍とはこれからも大一番で競い合う存在であってほしいと願います。

ここ数場所の王鵬の相撲を観ていて、力をつけてきたなあという印象をもっていましたが、今場所の王鵬はさらに安定感が増した気がします。
素人目にも立ち合いでの踏み込みが良くなり、何より不用意に引いて相手を呼び込んで負けてしまうという、これまでの悪いくせが出なかったことが大きいと思われます。
このような相撲が取れるのであれば、今年中に大関昇進も十分にあり得ます。

また、優勝となれば、祖父の元横綱大鵬、父の元関脇貴闘力から3代続けての優勝となり、これは史上初。
夢が膨らみます。

豊昇龍は先場所の成績、今場所の優勝をもって横綱昇進となりましたが、過去に貴乃花、白鵬(いずれも大横綱)が昇進した時の成績と比較するとかなり条件が緩いかな。
今場所で一人横綱の照ノ富士が引退したことから、横綱空位を避けるための事情があってのことかもしれませんが。
とはいえ昇進した以上、“朝青龍の甥”という冠が要らなくなるくらいの横綱になってください。

若者の活躍に刺激を受けて始まった令和7年。
本年もよろしくお願いいたします。


今朝のお供、

Blur(イギリスのバンド)の『Blur』。

                              (司法書士 佐々木 大輔)