平成29年(2017年)5月26日、民法の一部を改正する法律が成立しました。契約等が定められている債権関係の規定については、明治29年(1896年)の制定から約120年の間、ほとんど改正がなされていませんでしたので、社会や経済の変化に対応を図るための見直しとされています。
今回の改正は、一部の規定を除き、平成32年(2020年)4月1日から施行されます。
また、6月13日には、成人年齢を18歳に引き下げる改正民法が参議院で可決され、成立し、大きな話題になりました。
成人年齢の引き下げについては、2022年4月1日から施行されます。
改正民法について、今後、注意点を含め、随時当ブログでもとり上げていきます。
今朝のお供、
サザンオールスターズの曲「勝手にシンドバッド」。
1978年6月25日発売。
なお、今後、当ブログは、毎月最終週の月曜日に配信いたします。
(佐々木 大輔)
今年はレナード・バーンスタイン(1918~1990)生誕100周年の年。
ということは、ライバルといわれたカラヤンの生誕110周年の年でもあるわけですが、今回はバーンスタインについて。
マエストロ(巨匠、芸術の大家)と呼ばれることを好まなかったバーンスタインのことを、弟子もオーケストラの団員もみな愛情をこめてレニーの愛称で呼びます。例えばカラヤンとバーンスタインの両者に師事した小澤征爾氏は、今でも回想する際カラヤンのことはカラヤン先生と呼び、バーンスタインのことはレニーと呼んでいます。
私にとってレニーはカラヤンと並ぶ大指揮者という存在ですが、クラシック音楽に馴染みのない方々にとっては何といってもミュージカル『ウェストサイド物語』の作曲家としてのイメージが強いのではないでしょうか。
クラシック音楽の歴史の浅いアメリカから登場し、破竹の勢いでスターに上り詰めた若武者というのが、クラシック音楽界における初期の評価であったかと思います。
アメリカ時代のレニーの演奏で最も印象に残っているのは、1959年にニューヨーク・フィルを指揮したショスタコーヴィチ作曲の交響曲第5番。ショスタコーヴィチ自身もレニーの演奏に絶大な信頼を寄せていたといわれています。圧倒的なスピードで駆け抜ける最終楽章の演奏は、他の指揮者では満足できなくなってしまうほどの劇薬。後年、同じオーケストラを振って再録音したものもありますが、私はこの59年盤の方を長らく愛聴しています。
70年代に入ると、活動の拠点をアメリカからヨーロッパへと移し、特にウィーン・フィルとは相思相愛の関係を築いて多くの録音を残しました。
ウィーン・フィルとの録音の中で最も思い入れがあるのは、10代のころからCDで親しんできたベートーヴェン作曲の交響曲第9番。つまり第九です。ライヴ録音ということもあり、レニーの指揮台を踏みしめる足音や唸り声も生々しく収録されています。
人間愛を高らかに歌いあげた合唱が終わり、オーケストラが火花を散らして一気呵成に終結へと突き進む熱量は、レニーの燃えたぎるヒューマニズムそのもの。人類が、国籍も肌の色も目の色も一切関係なく手を取り抱き合うことは、夢想に終わるものではなく努力によって実現可能なものなのだということを、聴く度に教えられる演奏です。
最後に、レニーの作品についてエピソードをひとつ紹介します。
先日N響の演奏会をテレビで観ていたところ、レニー作曲の『セレナード』が演奏されていました。ヴァイオリン独奏は誰だろうかとよく見ると五嶋龍氏。同じヴァイオリニストである五嶋みどり氏の弟さんです。
とくれば、詳しい方はもうお気付きかもしれません。そう、“タングルウッドの奇跡”です。
当時14歳だったお姉さんのみどり氏が、タングルウッド音楽祭でレニー指揮ボストン交響楽団と『セレナード』を共演した時のこと、演奏の途中でヴァイオリンの弦が切れるというハプニングに見舞われたみどり氏は、音楽を途切れさせるわけにはいかないと即座にコンサートマスターから楽器を借りて演奏を続けたものの、再び弦が切れ、今度は副コンサートマスターから楽器を借りて最後まで演奏したという伝説の演奏会です。終演後、レニーは何度も涙をぬぐいながらみどり氏を抱きしめ、翌日のニューヨーク・タイムズ紙でも「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」という見出しが一面トップを飾りました。
テレビで聴いた龍氏の演奏は、お姉さんのエピソードに怯むことなく気負うことなく、丁寧に演奏された実直なものでした。
生誕100周年。天国のレニーにとって素敵なプレゼントになったことでしょう。
今朝のお供、
バーンスタイン指揮ベルリン・フィルの演奏でマーラー作曲交響曲第9番。
1979年、カラヤンが音楽監督を務めるベルリン・フィルに、レニーが生涯でただ一度だけ客演した時のライヴ録音。
カラヤンの生前は発売が禁止されていたという曰くつきの一枚。
(佐々木 大輔)
先日、ハウスメーカーさんが主催するセミナーの講師として、「家族信託」をテーマに1時間ほど講演してきました。
皆様とても熱心に聴講してくださり、質疑応答でも鋭い質問が多く、私自身も大変勉強になりました。
家族信託についてのセミナーということでお招きいただきましたので、もちろん家族信託のお話を中心にしたのですが、いきなり家族信託のお話をしても理解の難しい部分があるかと思いましたので、「遺言」や「成年後見制度」といった現在広く活用されている制度について説明をした上で、これらの制度と家族信託との相違点(メリット、デメリット)について説明をしました。
ちなみに、「信託」において、受託者(財産の管理を託された人のことです)が商売として財産管理を行うものを「商事信託」といい、商売として行わないものを「民事信託」というのですが、民事信託の中で家族が受託者となるものを特に「家族信託」と呼んでいます。
紙幅の関係上、家族信託の具体的な中身を当ブログで説明することはできませんが、少しだけセミナーでお話しした内容に触れると、たとえば「遺言」には、法定相続分にとらわれず財産を承継させることができるというメリットがある反面、数世代にわたって承継先を決めることができないというデメリットがあります。
また、「成年後見制度」には、判断能力を失った人の財産を第三者が管理し得るので、資産の保全が可能であるというメリットがある反面、積極的な資産運用ができず、柔軟性を欠くというデメリットがあります。
このように、各制度ではどうしても手の行き届かない領域ができてしまいますが、この領域に含まれる問題を柔軟に解決することができる可能性をもった制度が信託制度というわけです。
「信託」と聞くと、何となく資産がたくさんある人が利用する制度というイメージを持たれるかと思いますが、財産の管理や処分は必ずしも資産の多い方だけが必要としているわけではありません。「自分が亡くなった後、誰が財産を引き継ぐのか」、「認知症になってしまい施設に入らなければならなくなった場合、自宅を処分するにはどうすればよいのか」など、考えなければならないことはたくさんあります。
実務においても、先に挙げた「遺言」や「成年後見制度」では対応しきれない問題に出会うことはたくさんありますし、より柔軟な解決を図るために、今後、信託制度が活用される場面は増えていくことと思われます。
ただし、信託制度は、まだまだ発展途上の制度であり、未成熟な部分もたくさんあります。決して万全な制度ではありません。
多くの方々に安心して信託制度を利用してもらうためには、法律専門家はもちろん、税理士の先生や金融機関などが一体となって信託制度を成熟させていく必要があることも付け加えさせていただきます。
今朝のお供、
JUDY AND MARY(日本のバンド)の曲「BLUE TEARS」。
(佐々木 大輔)