毎年のことながら、今年もあっという間の1年でした。
特にこの時期は気忙しいやらなにやらで目が回りそう(昨年も同じことを書いた気がする)。
さて、今回の年末年始、昨年と同じで休日の並びがよく、9連休という方も多いのではないでしょうか。
私はとにかくこの1年間の疲れを癒します。
10日ほど前に痛めた腰もまだ完治しておりませんので。
昨年は年末に“お楽しみ”が届いたのですが、今年は吟味して注文する時間がありませんでしたので、今回は年が明けて少し落ち着いた頃の“お楽しみ”にしようかな。
先日いつものワイン屋さんで年末のごあいさつをし、年末年始用のお酒を購入した際、「当店は年内休まず営業しておりますので、お酒が足りなくなったらいつでも買いに来てくださいね」と言われました。
さすがに足りなくなることはないと思いますが(肝臓にとってブラック企業にならないように努めなければなりませんし)、皆様と年末のごあいさつをして1年を締め、年を越すのはやはり気分がいいものです。
今年もお世話になりました。
来年もお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします。
皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
今朝のお供、
ベートーヴェン作曲交響曲第9番。 今年の第九はヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で。
(司法書士 佐々木 大輔)
秋、といえば「ひやおろし」。
今年は秋刀魚も入手しやすくなり、秋刀魚を肴にひやおろしを一献という日本の秋が戻ってきました。
ひやおろしとは、春先に一度だけ火入れ(加熱殺菌)を行い、夏の間貯蔵庫で熟成させ、秋に出荷される日本酒のことです。
江戸時代に誕生したとされ、秋になり外気温と貯蔵庫の温度が同じくらいになった頃に、二度目の火入れをせずに「冷や」の状態で樽から「おろして」出荷したことから名付けられました。
涼しい気候になってから出荷することで、お酒の品質を保っていたのです。
今は毎年9月9日(重陽の節句)を目安に出荷されます。
ひと夏を越して熟成されることで、新酒の荒々しさが取れ、穏やかな香りとまろやかで深みのある味わいを楽しむことができます。
なお、「冷酒」(冷たいお酒)を求めて飲食店で「日本酒を冷やで」と注文するのは正しくありません。
「冷や」とは常温のお酒を指します。
優しいお店は注文の意をくんで「冷酒」を出してくれますが、頑固なお店では常温のお酒が提供され、お客「冷たいお酒を頼んだのに冷えてないじゃないか」、お店「冷やとおっしゃいましたので常温でお出ししました」みたいなやり取りがなされることも。
昔は冷蔵庫がなかったため、お酒を冷やすという習慣がなく、お酒の飲み方は常温か燗をつけるかのどちらかでした。
そのため燗よりも温度が低い常温のお酒を「冷や」と呼んでいたのです。
この名残で、今も常温のお酒を「冷や」と呼びます。
また、日本酒には温度に応じて呼び名があり、冷酒には雪冷え(5℃)、花冷え(10℃)、涼冷え(15℃)、燗には人肌燗(35℃)、ぬる燗(40℃)、熱燗(50℃)などがあります。
特に冷酒は呼び名が洒落てますよね。
まあ、あまり青筋たてずこだわりすぎず、楽しく飲むのが一番。
ひやおろしは、冷酒でも、冷やでも、燗をつけても、美味しく飲むことができます。
気温にあわせて、食事にあわせて、気分にあわせて、お酒の温度もいろいろに今宵の一献を選んでみてはいかがでしょう。
ただし、飲みすぎにはご注意を!(自戒をこめて)
今朝のお供、
The Beatlesの『A Hard Day’s Night』。
(司法書士 佐々木 大輔)
今年で放送開始100年。
100年前の大正14年3月22日、ラジオ放送が開始されました。第一声は「聞こえますか?こちらは東京放送局」だったそう。
私は割と早くからラジオに親しんでおり(といっても、祖父母の家からの帰りに父親の車で聴く野球のナイター中継がほとんどでしたが)、中学生になるとラジオから流れてくる洋楽に心を躍らせるようになりました。
今のようにインターネットが発達しておらず、好きな曲をいつでも聴くことができる時代ではありませんでしたし、情報収集もなかなか大変でした。
そんな時代にラジオは貴重な情報源であり(他は月刊誌くらい)、土曜の午後に放送されていた「ポップス・ベスト10」と日曜の深夜に放送されていた「全国ポピュラーベストテン」という番組で、私は当時の洋楽のヒット曲とたくさん出合いました。
加えて「ヘヴィメタルシンジケート」というハードロック/ヘヴィメタル(HR/HM)専門番組によって、HR/HMの世界に引きずり込まれました。
高校生になるとオールナイトニッポンなどの深夜番組の虜に。
ラジオの魅力は何といってもパーソナリティと1対1で話しているかのような親密性にあります。
話の中身はとてもじゃないけどテレビなどでは流せない過激な?ものだったりして(近年はコンプライアンスの関係で発言もかなり穏やかになっております)。
これらの発言も、結局のところリスナーとパーソナリティとの間に築かれた信頼関係のもとに成り立っているものです。
学生時代、一人暮らしの部屋でさみしさを埋めてくれたのもラジオでした。
その後、改めて日常的にラジオを聴くようになったのは東日本大震災の頃から。
震災直後は停電になったため、情報収集は電池式のラジオでした。
電気が復旧した後も、いつ緊急地震速報が鳴るか分かりませんので、寝る時もラジオをつけっぱなしで過ごしていました。
ラジオ放送開始当時、特に求められたのは、いち早く災害等の被害状況を伝え、救援活動につなげることでした。それは現在も変わりありません。
と同時に、正確な情報を伝えるラジオ放送が求められたそもそものきっかけは、関東大震災の際に流布されたデマにより引き起こされた悲劇を、繰り返さないためであることを忘れてはなりません。
SNS(X(旧ツイッター)など)が発達し、誰もが情報や主張を気軽に発信できる今、改めてその意義を考える必要があります。
情報発信者として、自らの発言に責任と覚悟を持てますか。
その“正義”、あなたは自分に向けることができますか。
今朝のお供、
Carpenters(アメリカのデュオ)の曲「Yesterday Once More」。
若かった頃ラジオを聴いていたんだ お気に入りの曲がかかるのを待ちながら
全ての曲や思い出が 今でも輝いている
まるで昨日のことのように
(司法書士 佐々木 大輔)