カテゴリー「音楽」の記事

クラウディオ・アバドのこと

去る1月20日、イタリアの名指揮者クラウディオ・アバドが亡くなりました(享年80)。
アバドは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルにデビュー後、ミラノ・スカラ座音楽芸術監督、ロンドン交響楽団首席指揮者(のちに同楽団初の音楽監督)、シカゴ交響楽団首席客演指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽監督という音楽界最高のポストを歴任し、帝王カラヤンの後継としてベルリン・フィルの芸術監督も務めました。
名実ともに現代最高のマエストロでした。

私が好むアバドの録音として真っ先に指を折るのは、70年代に4つのオーケストラを振り分けたブラームスの交響曲全集の中から、ベルリン・フィルと演奏した交響曲第2番です。若きアバドの指揮のもと、カラヤンの楽器であったベルリン・フィルが、本当にのびのびと演奏していて(特にゴールウェイの吹くフルートが素晴らしい!)、まさにブラームスの田園交響曲と呼ぶにふさわしい、野を渡る爽やかな風を感じます。

ロンドン交響楽団を振ったラヴェルの『ボレロ』も忘れるわけにはいきません。アバドに惚れ込んだ楽団員が、最後のクライマックスで興奮のあまり思わず歓声を上げてしまったという録音で、(通常、楽譜に指示がないものは不要なものとしてカットされるのですが)この歓声はアバドの許可を得て、そのまま収録されています。すでに次代のウィーン国立歌劇場首席指揮者のポストが決まっていたアバドを、楽団員全員で引き止めたというエピソードを物語る熱演で、『ボレロ』嫌いな私でも惹きこまれる演奏です。

大病を患い、ベルリン・フィルを退いたのち、2003年に就任したルツェルン祝祭管弦楽団の芸術監督は、アバドの晩年を代表するポストでしょう。
ルツェルン祝祭管弦楽団は、若手オーケストラを母体として、一流オーケストラから首席クラスの演奏家や、普段はソリストとして活躍するスター演奏家が、アバドを慕って世界中から集まり、一年に一度結成されるオーケストラです。
アバドの十八番であるマーラーの交響曲を一曲ずつ取り上げてきましたが、第8番が残り、全曲演奏は実現しませんでした。
数年前にはベルリン・フィルとの特別演奏会で、今までほとんど指揮してこなかった交響曲『大地の歌』を演奏していたことから、『大地の歌』を含むマーラー・チクルスが、ルツェルンとのコンビで完成するのではと大いに期待していたのですが・・・残念です。

アバドは、知的で清廉な演奏により、音楽そのものの素晴らしさを教えてくれた真の芸術家でした。
ご冥福をお祈りします。

 

今朝のお供、
モーツァルトのピアノ協奏曲第12番(K.414)を、ルドルフ・ゼルキンのピアノ、アバドの指揮によるロンドン交響楽団の演奏で。
老巨匠ゼルキンのピアノを、親子ほど年齢差のあるアバドが優しくサポートする本演奏は、陽だまりの縁側で、ゼルキンが朴訥と語る思い出話を、アバドが微笑みながら聞いているという趣の温かい演奏です。 アバドは伴奏の名人でもありました。

(佐々木 大輔)

耳へのご褒美

今回は、最近聴いて感銘を受けた1枚のCDを紹介します。
レーピンのヴァイオリン演奏によるヤナーチェク、グリーグ、そして有名なフランクのソナタを収めた1枚です。

ロシア人のレーピンは、ベルギーで開催された1989年エリザベート王妃国際音楽コンクールの優勝者(第2位は諏訪内晶子)。
諏訪内氏の著書『ヴァイオリンと翔る』によると、この時のレーピンは、ソ連の威信をかけ、国から「優勝を義務付けられて」西側のコンクールに送りこまれた出場者だったとのことで、本国から派遣された通訳、教師、ピアニスト、さらには秘密警察なども同行していたそうです(一説には彼の亡命を阻止する目的もあったとか)。
そして、コンクール会場へ向かう道中も、本国が用意した専属運転手付きリムジンの後部座席で、大きな体をかがめながら必死の形相でヴァイオリン(これも本国から貸与された故オイストラフ愛用の名器!)を練習していたレーピンの姿は、諏訪内氏に忘れられないほどの衝撃を与えました。
ちなみに、諏訪内氏がジュリアード音楽院でヴァイオリンを学ぶとともに、コロンビア大学で政治思想史を専攻した理由のひとつは、レーピンに見たソ連という国のあり方にあったとのことです。

閑話休題。
このCDに聴くことができるレーピンの演奏は、国の威信と国民の期待を一身に背負わされた少年が、そのプレッシャーにつぶされることなく演奏家として鍛錬を重ね、不惑にして揺るぎない大家への道を歩み始めたことを確信させる名演でした。

もうひとつ音楽の話題を。
先月、イヤタカ・ヴァレリアーノで、コース料理を楽しみながら、メゾ・ソプラノ歌手唐澤まゆ子さんとピアニスト飯野明日香さんのデュオ・リサイタルを聴くことができました。飯野さんは、私がシーガルクラブでお世話になっている税理士長谷部光重先生の姪御さんです。
フランス作品を中心とした、まるでヨーロッパを巡る旅行のような素晴らしいプログラムの中、唐澤さんは、ケルビーノのアリア(『フィガロの結婚』)では恋い焦がれる思春期の少年を、カルメンのアリアでは情熱的で妖艶な女性を演じて会場を魅了した後、小林秀雄作曲の「落葉松」をしっとりと歌い、格別に美しい余韻を残しました。

飯野さんのピアノを聴くのは2年振りで、前回、リストの作品を中心としたプログラムを聴いた折、彼女のたおやかでありながら凜とした演奏から、「飯野さんの弾くベートーヴェンとウェーベルンの作品を聴いてみたい」と思わされたものですが、今回念願のベートーヴェンを聴くことができたことは望外の喜びでした。

 

今朝のお供、
エミネム(アメリカのミュージシャン)の『The Marshall Mathers LP2』。
私が思う彼の最高傑作『The Marshall Mathers LP』の続編としてリリースされた最新作!

(佐々木 大輔)

『椿姫』に寄せて

今年はオペラ作曲家ヴェルディ生誕200年記念の年。
私にオペラの魅力を教えてくれたのが、ヴェルディの『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』でした。

原題のトラヴィアータとは「道を踏み外した女」という意味のイタリア語。高級娼婦の過去を持つヴィオレッタは、アルフレードからの告白を受け、彼の純粋な愛に戸惑いつつも一緒に暮らし始めます。
しかしある日、彼女は彼の父親に、娼婦という過去が娘(アルフレードの妹)の縁談に差し支えるから息子と別れてほしいと懇願され、悲しみの中、愛する彼のために身を引く決意をします。
父の懇願を知らないアルフレードは、裏切られたと激怒しますが、数か月後、全ての事情を知り、許しを請うため彼女のもとへ駆けつけます。ところが再会した彼女は、肺の持病が進行し、死を待つばかりの状態。再び一緒に暮らすことを誓い合い、再会を喜ぶのも束の間、彼女は「いつか素敵な女性が現れてあなたに恋をしたら渡して欲しい」と自分の肖像を彼に託し、息を引き取ります。

カルロス・クライバーという指揮者の熱狂的なファンであった私は、彼の録音を全て聴きたくて・・・といっても、彼が公式に録音したオーケストラ曲のCDは十指に満たず、他に(当時は興味のなかった)オペラ録音が数種あるだけ。「オペラかぁ・・・」と気が乗らないまま、クライバーの演奏を聴きたいがために仕方なく?手にしたのが、ヴェルディの『椿姫』でした。
ところが、クライバーの希少な録音だからと毎日聴き続けているうち、次第にクライバーを聴くという当初の目的は薄れ、すっかり『椿姫』にはまってしまいました。

そうなると今度は『椿姫』の舞台を観たくなるのが自然の流れというもので、次に入手したのがショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場の映像です。
主役のヴィオレッタを歌うのは、ショルティが抜擢した若き日のゲオルギュー。その薄幸をまとう美しさは役のイメージどおり。この舞台の大成功で、一躍世界的なプリマドンナへと飛躍したのも納得です。ショルティの指揮も82歳(収録当時)とは思えないほど覇気に満ちており、ときにもう少し繊細に・・・と望みたくなる部分もあるほど。

このふたつの演奏により、すっかり『椿姫』そしてオペラを聴く楽しみを知ってしまった私。その後、少しずつ好むオペラのレパートリーが広がり、今では『椿姫』に接する機会も少なくなりましたが、先日久しぶりにショルティ指揮のDVDを観賞。たちまち夢中だった10代の頃がよみがえり、たしかにこれが私の青春に彩りを添えてくれたのだと再確認。あの頃、心の隅々まで染み込ませた旋律は、今も同じ輝きに満ちていました。

 

今朝のお供、
BON JOVI(アメリカのバンド)の『These Days』。
こちらも無条件で10代の頃の思い出がよみがえります。

(佐々木 大輔)