今回は、最近聴いて感銘を受けた1枚のCDを紹介します。
レーピンのヴァイオリン演奏によるヤナーチェク、グリーグ、そして有名なフランクのソナタを収めた1枚です。
ロシア人のレーピンは、ベルギーで開催された1989年エリザベート王妃国際音楽コンクールの優勝者(第2位は諏訪内晶子)。
諏訪内氏の著書『ヴァイオリンと翔る』によると、この時のレーピンは、ソ連の威信をかけ、国から「優勝を義務付けられて」西側のコンクールに送りこまれた出場者だったとのことで、本国から派遣された通訳、教師、ピアニスト、さらには秘密警察なども同行していたそうです(一説には彼の亡命を阻止する目的もあったとか)。
そして、コンクール会場へ向かう道中も、本国が用意した専属運転手付きリムジンの後部座席で、大きな体をかがめながら必死の形相でヴァイオリン(これも本国から貸与された故オイストラフ愛用の名器!)を練習していたレーピンの姿は、諏訪内氏に忘れられないほどの衝撃を与えました。
ちなみに、諏訪内氏がジュリアード音楽院でヴァイオリンを学ぶとともに、コロンビア大学で政治思想史を専攻した理由のひとつは、レーピンに見たソ連という国のあり方にあったとのことです。
閑話休題。
このCDに聴くことができるレーピンの演奏は、国の威信と国民の期待を一身に背負わされた少年が、そのプレッシャーにつぶされることなく演奏家として鍛錬を重ね、不惑にして揺るぎない大家への道を歩み始めたことを確信させる名演でした。
もうひとつ音楽の話題を。
先月、イヤタカ・ヴァレリアーノで、コース料理を楽しみながら、メゾ・ソプラノ歌手唐澤まゆ子さんとピアニスト飯野明日香さんのデュオ・リサイタルを聴くことができました。飯野さんは、私がシーガルクラブでお世話になっている税理士長谷部光重先生の姪御さんです。
フランス作品を中心とした、まるでヨーロッパを巡る旅行のような素晴らしいプログラムの中、唐澤さんは、ケルビーノのアリア(『フィガロの結婚』)では恋い焦がれる思春期の少年を、カルメンのアリアでは情熱的で妖艶な女性を演じて会場を魅了した後、小林秀雄作曲の「落葉松」をしっとりと歌い、格別に美しい余韻を残しました。
飯野さんのピアノを聴くのは2年振りで、前回、リストの作品を中心としたプログラムを聴いた折、彼女のたおやかでありながら凜とした演奏から、「飯野さんの弾くベートーヴェンとウェーベルンの作品を聴いてみたい」と思わされたものですが、今回念願のベートーヴェンを聴くことができたことは望外の喜びでした。
今朝のお供、
エミネム(アメリカのミュージシャン)の『The Marshall Mathers LP2』。
私が思う彼の最高傑作『The Marshall Mathers LP』の続編としてリリースされた最新作!
(佐々木 大輔)
今年はオペラ作曲家ヴェルディ生誕200年記念の年。
私にオペラの魅力を教えてくれたのが、ヴェルディの『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』でした。
原題のトラヴィアータとは「道を踏み外した女」という意味のイタリア語。高級娼婦の過去を持つヴィオレッタは、アルフレードからの告白を受け、彼の純粋な愛に戸惑いつつも一緒に暮らし始めます。
しかしある日、彼女は彼の父親に、娼婦という過去が娘(アルフレードの妹)の縁談に差し支えるから息子と別れてほしいと懇願され、悲しみの中、愛する彼のために身を引く決意をします。
父の懇願を知らないアルフレードは、裏切られたと激怒しますが、数か月後、全ての事情を知り、許しを請うため彼女のもとへ駆けつけます。ところが再会した彼女は、肺の持病が進行し、死を待つばかりの状態。再び一緒に暮らすことを誓い合い、再会を喜ぶのも束の間、彼女は「いつか素敵な女性が現れてあなたに恋をしたら渡して欲しい」と自分の肖像を彼に託し、息を引き取ります。
カルロス・クライバーという指揮者の熱狂的なファンであった私は、彼の録音を全て聴きたくて・・・といっても、彼が公式に録音したオーケストラ曲のCDは十指に満たず、他に(当時は興味のなかった)オペラ録音が数種あるだけ。「オペラかぁ・・・」と気が乗らないまま、クライバーの演奏を聴きたいがために仕方なく?手にしたのが、ヴェルディの『椿姫』でした。
ところが、クライバーの希少な録音だからと毎日聴き続けているうち、次第にクライバーを聴くという当初の目的は薄れ、すっかり『椿姫』にはまってしまいました。
そうなると今度は『椿姫』の舞台を観たくなるのが自然の流れというもので、次に入手したのがショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場の映像です。
主役のヴィオレッタを歌うのは、ショルティが抜擢した若き日のゲオルギュー。その薄幸をまとう美しさは役のイメージどおり。この舞台の大成功で、一躍世界的なプリマドンナへと飛躍したのも納得です。ショルティの指揮も82歳(収録当時)とは思えないほど覇気に満ちており、ときにもう少し繊細に・・・と望みたくなる部分もあるほど。
このふたつの演奏により、すっかり『椿姫』そしてオペラを聴く楽しみを知ってしまった私。その後、少しずつ好むオペラのレパートリーが広がり、今では『椿姫』に接する機会も少なくなりましたが、先日久しぶりにショルティ指揮のDVDを観賞。たちまち夢中だった10代の頃がよみがえり、たしかにこれが私の青春に彩りを添えてくれたのだと再確認。あの頃、心の隅々まで染み込ませた旋律は、今も同じ輝きに満ちていました。
今朝のお供、
BON JOVI(アメリカのバンド)の『These Days』。
こちらも無条件で10代の頃の思い出がよみがえります。
(佐々木 大輔)
先日、ベルリン・フィル(BPO)の首席指揮者であるサイモン・ラトルが、2018年をもって、そのポストを退くことを発表しました。2018年はまだ5年も先のこと、とも思いますが、BPOの首席指揮者といえば、クラシック音楽界における最高峰のポスト。その後継者を選ぶための期間としては、必要にして十分ともいえます。
2018年、ラトルは64歳。指揮者としていよいよ成熟に向かう年齢ですが、彼は同郷であるビートルズの曲「When I’m Sixty-Four」の歌詞を引用し、「64歳になっても、僕を必要としてくれるかい?」と自らに問いかけ、今回の決断に至ったそうです。
ラトルは、若い頃からその才能を認められた存在で、20代から多くの一流オーケストラに招かれキャリアを積んできました。BPO、ウィーン・フィルの指揮台にもそれぞれ34歳、38歳でデビューしています(どちらもプログラムはマーラーの交響曲)。
1980年から98年まではバーミンガム市交響楽団の首席指揮者を務め、その間、当時あまり知名度の高くなかった同オーケストラを、名実ともに世界的なオーケストラに育て上げました。
94年には、30代の若さでナイトの称号(サー)が与えられています。
BPOの首席指揮者として白羽の矢が立ち、2002年に就任した時は47歳。これは奇しくも同ポストを34年間務めたカラヤン(カラヤンの場合は終身首席指揮者兼芸術総監督)の就任時と同じ年齢だったため、「ラトルの時代」「長期政権か」とも騒がれました。
ラトルの4期16年というのが長期なのかどうかは分かりませんが、残り5年、さらに素晴らしい演奏を聴かせてくれることを楽しみにしています。
退任後はフリーな立場で活動するのか、あるいは別のオーケストラの首席指揮者や音楽監督になるのか。
いずれにしても私としては、近年スケジュールの都合で共演の機会が少なかったウィーン・フィルとの共演回数の増加、若い頃に衝突して以来、関係が修復されているとはいえないコンセルトヘボウ管弦楽団やクリーヴランド管弦楽団との再演を期待しています。
今朝のお供、
FUN.(アメリカのバンド)の『SOME NIGHTS』。
収録曲「WE ARE YOUNG」により今年のグラミー賞で主要2部門(最優秀楽曲賞と最優秀新人賞)を受賞。
一度聴いたらメロディが頭から離れません。
(佐々木 大輔)