先日、今話題の映画『国宝』を観てきました。 任侠の家に生まれて歌舞伎役者に引き取られた主人公喜久雄と、歌舞伎の名門に生まれた俊介。 ふたりが芸の道に人生を捧げた50年にわたる壮大な物語。 作家吉田修一氏が3年間歌舞伎の黒衣をまとい、楽屋に入った経験を血肉化し、書き上げた小説が原作であり、すでに原作は芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞を受賞しております(いずれも2019年)。
李相日監督が吉田作品を映画化するのは『悪人』、『怒り』に続き3作目。 前2作も見ごたえのある映画でしたが、本作はそれらを凌駕する素晴らしい映画でした。 物語半ば、本来であれば俊介が代役を務めるはずの舞台で、喜久雄が代役を務めることとなる場面があります。 そこで重圧に震える喜久雄が俊介に対して発する「俊坊の血が欲しい」という悲痛な言葉。 芸は評価されるが「血」がない喜久雄と、芸ではかなわないが「血」がある俊介。 伝統芸能の世界において絶対的な意味を持つ血脈のもと、翻弄されながらも必死にあがき闘うふたりの葛藤が強く印象に残りました。
原作は上下巻の大作。3時間を要する映画でも描き切れなかった場面がたくさんあります。 私は原作を先に読んでから映画を観ましたが、映画を観てから原作を読んでも十分楽しめると思います。 むしろ、映画の世界をより深く理解することができると思いますので(映画では出番の少なかった登場人物の胸の内などが掘り下げて描かれています)、映画をご覧になって興味をもたれた方は原作も手にされることをお勧めします。 私は歌舞伎の舞台を観たくなりました。
原作者の吉田修一さんのことは昔からファンで、彼の小説はほとんど読んでいます。 吉田修一さんは文学界新人賞を受賞した『最後の息子』でデビューし、その後『パークライフ』で芥川賞を受賞した純文学作家でありますが、『パレード』では山本周五郎賞を受賞するなど、純文学、大衆文学の垣根を超えて活躍されている作家です。
ちなみに、私の吉田修一作品TOP5は、『パレード』、『悪人』、『横道世之介』、『怒り』そして今回の『国宝』です(順不同)。
ところで、先日、芥川賞と直木賞の発表がありましたが、両賞とも27年ぶりに該当作なしという残念な結果でした。 とはいえ、文学賞は芥川賞や直木賞が全てではなく他にもたくさんありますし、もっと言えば文学賞受賞作でなくても優れた作品はたくさんあります。 映画も文学も音楽も、他者の評価に委ねることなく楽しむのが一番です。 なんて、話題の映画に感動しながら言ったところで説得力がありませんけど。
今朝のお供、
オジー・オズボーン(イギリスのミュージシャン)の『BLIZZARD OF OZZ』。
R.I.P.オジー。
(司法書士 佐々木 大輔)
先日、映画『セッション』(デジタルリマスター版)を映画館で観ました。 『セッション』は2014年(日本では2015年)に公開され、アカデミー賞3部門を受賞した名作です。 今回、公開10年を経て、デジタルリマスター版が上映されました。
オリジナルの『セッション』は、私が2年前の今頃、アマゾンプライムビデオで最初に観た映画でした。 当時はスマートフォンの小さな画面で観たものですから、思い出の作品(しかもデジタルリマスター版)をスクリーンで観られるなんてこれ幸いと、すぐに映画館へ向かいました。
――主人公のニーマンは、バディ・リッチのように偉大なドラマーになるという野望をもって名門音楽院に入学する。 伝説の鬼教師として知られるフレッチャー教授のバンドにスカウトされて喜ぶが、彼を待ち受けていたのは体罰も日常茶飯事の常軌を逸した過酷なレッスンだった。わずかなミスも許さない完璧主義者のフレッチャーは、学生を身体的、精神的にも追い詰めていくが、それに食らいつこうとするニーマンの執念もすさまじい。 ラスト9分19秒、両者の狂気はついに頂点に達する――
これを単に時代にそぐわないパワハラ、アカハラ映画と切り捨てていいものか。 フレッチャーはニーマンに対し、「自分の使命は偉大なミュージシャンを育てること。学生にはジャズ界の伝説になってほしいと願っている。チャーリー・パーカーが伝説になれたのは、ジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられたから(悔しさをバネにして一流になった)」と語ります。 そして「最も危険な言葉はGood job!(上出来だ)という言葉だ」とも。
フレッチャーは才能ある者が立ち向かってくるのを期待したのでしょう。 ニーマンはフレッチャーの意を汲み、未来のチャーリー・パーカーになる勝負に出たのかもしれません(もちろん、なれる保証など何もないけれど)。 一方、このような指導により有能な者が潰される例も多々あること。 これはどんな世界でも起こる問題です。
映画のクライマックス、フレッチャーとニーマンの師弟間における復讐vs復讐の様相を呈し、ラスト9分19秒へと至るのですが、この特別な時間によってふたりは分かり合えたのか、反目したままなのか、それとも一体化したのか。
映画としては素晴らしい作品です。 ただ、この映画に私の好きな「音楽」はありません。 世の中ではこのような方法で音楽と呼ばれるものが作られているのも事実です。 しかしこのようにして生み出されたものを、私は好みません。
今朝のお供、
吉井和哉(日本のミュージシャン)の曲「FLOWER」。
(司法書士 佐々木 大輔)
音楽 , 映画
No. 248
2024/08/30
最近、なかなかブログを書くことができなかったので、ここ数か月のお話をいくつかまとめて。
【演奏会】 亀井聖矢さんのピアノリサイタルに行ってきました。成長著しい若手(22歳)ピアニストです。 普段はかび臭い レコードで5~60年前の古い録音を聴いている私にとって、現代の若い演奏家を聴くのはとても新鮮なこと。 1曲目に演奏されたバッハ作曲のイタリア協奏曲では、チェンバロの音色を意識した音作りがとても好ましく、思わず笑みがこぼれます。 ショパン作曲のポロネーズ第6番「英雄」も、「有名な曲を観客受けを考えて派手に弾きました」という感じではなく、ポロネーズはポーランドの舞踏音楽であるという原点に忠実な演奏でした。 プログラムのラストに置かれたのはプロコフィエフ作曲のピアノ・ソナタ第7番。 私は長らくこの曲を、冷酷なまでにインテンポで演奏されるポリーニの録音で聴いてきましたので、亀井さんのテンポや表情に思い切りよくメリハリを利かせた演奏に驚きました。 この曲が作曲されたのは1942年で、ポリーニの録音は1971年。ポリーニが録音した当時はまだ作曲されて30年も経っておらず、その演奏は現代音楽としての色が濃いように聴こえます。一方、亀井さんの演奏を聴くと、この曲が2024年においては、すっかり“クラシック”として様々な解釈がなされる存在となっていることがわかりました。 また、プログラムの中心に据えられたショパンの演奏を聴いて、来年のショパン国際ピアノコンクール出場への布石かなとも思ったりして。 亀井さんの勉強の跡がしっかり伝わってきましたし、コンクールに出場したならどのような評価を受けるのか楽しみです。
【映画】 映画館で映画を観ました。 まず1本は『オッペンハイマー』です。 『ダークナイト トリロジー』や『インセプション』などで有名なクリストファー・ノーラン監督が描く原爆。 3時間の長丁場でしたが、弛緩する瞬間はありませんでした。作品としての完成度は圧巻です。 ノーラン監督といえば、時間軸を巧みに操る手法が有名で、それは本作品でも健在でしたが、できれば本作品では技巧的な演出は控えて、ストレートに描いてくれた方が私にはわかりやすかったかな。3時間、強い集中力を要する作品でした。 話は逸れますが、時間軸を操る作品として、学生時代に観た『メメント』という映画が印象に残っていて、後年、この作品がノーラン監督の初期作品であったことを知ってびっくり。 クエンティン・タランティーノ監督の映画『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』、作家伊坂幸太郎さんの小説諸作品でも時間軸を操る手法は取られていて、最後に「この場面とあの場面が繋がるのか!」と気づいたとき、一気に脳が活性化する興奮は病みつきになります(アハ体験?)。
もう1本は『ターミネーター2』のリバイバル上映。 アルヴェシアターで2週間限定上映されるとのこと、タイミングが合い観に行ってきました。テレビやDVDではもう何度も繰り返し観た作品ですが、映画館で観たことはありません。 どの場面も、流れる音楽とともにしっかり記憶されていましたが、外界から一切遮断された空間で集中して鑑賞すると、刺さり方も全然違います。ターミネーターとの別れの場面では、わかっていても目頭が熱くなり・・・ 音も映像もスクリーンで観る映画の醍醐味を存分に満喫。過去の名作をもっと映画館で観られたらなあ。 え、当日ですか?(誰も質問していない?)もちろんGUNS N’ ROSESのTシャツを着て行きましたよ、CIVIL WARデザインのTシャツを(※)。 当然じゃないですか。 私の青春ですから。
※ 『ターミネーター2』のテーマ曲として使用されたのがGUNS N’ ROSES(アメリカのバンド)の曲「YOU COULD BE MINE」。この曲がCD発売されたときのカップリング曲が「CIVIL WAR」。ちなみに、当初はSKID ROW(アメリカのバンド)の「MONKEY BUSINESS」という曲がテーマ曲に内定していたものの、直前でひっくり返ったとか。
今朝のお供、
Oasis(イギリスのバンド)の曲「Live Forever」。
祝15年ぶりの再結成!
(司法書士 佐々木 大輔)