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窃盗罪1―不法領得の意思

「詐欺罪」に続き、刑法の回は、今回から数回にわたって刑法第235条の「窃盗罪」についてお話しさせていただきます。

窃盗罪が成立するためには、No.58でお話をした故意の他に、「不法領得の意思」が必要となります。
不法領得の意思とは、権利者を排除して所有者として振る舞う意思である「振舞う意思」と、物の経済的用法ないしは本来の用法に従って利用処分する意思である「利用処分意思」のことをいいます。
なぜ窃盗罪が成立するためにこの不法領得の意思が必要かというと、不可罰である使用窃盗や、毀棄・隠匿罪と窃盗罪を区別する機能があるからなのです。
振舞う意思は、軽微な一時使用を窃盗罪などの領得罪(その物の経済的価値を取得する意思をもって財産を侵害する犯罪)から除外する機能をもち、利用処分意思は、領得罪と毀棄・隠匿罪とを区別する機能をもっています。

とはいえ、これだけでは何のことか分かりにくいですよね。具体例を通してみていきましょう。
まず、振舞う意思から。
判例は、返還意思がある場合は不法領得の意思が認められないとして、不可罰としてきました。
例えば、自転車を一時使用の目的で奪った場合、すぐに返すつもりであれば不法領得の意思は認められません。一方、返す意思はなく、途中で乗り捨てるつもりであれば、不法領得の意思が認められます。
しかし、「自動車」を夜間に無断で使用し、これを翌朝までに元の位置に戻しておくことを何日も繰り返した事例に対して、「相当長時間にわたって乗りまわしているのだから、たとえ返還意思があっても不正領得(不法領得)の意思が認められる」として、窃盗罪が成立するとした判例があります。また、「元の位置に戻しておくつもりで」約4時間余り他人の自動車を無断で乗りまわした場合にも不法領得の意思を認めたものがあります。

次に、利用処分意思について。
リーディング・ケースとして、校長を困らせる意図で学校の金庫から教育勅語を持ち出して校舎の天井裏に隠したという事例に対して、利用処分意思は認められず窃盗罪にはならないと判示したものが有名です。「単に物を壊したり隠したりする意思があるだけでは、利用処分意思があるとはいえない」というのがその理由で、判例は、その後も一貫してこの立場を採っています。

なお、不法領得の意思の内容について、「振舞う意思」、または「利用処分意思」のいずれかであるとする見解が有力に主張されていますが、私は、一時使用や毀棄・隠匿罪との区別を明確にするためには、いずれか一方のみでは十分ではないという立場に立っています。

 

今朝のお供、
Derek and the Dominos(アメリカのバンド)の『いとしのレイラ』。

(佐々木 大輔)

更新料について

7月15日、賃貸住宅の契約更新時に支払う「更新料」の効力について、最高裁判所の判断が示されました。身近な問題として以前から注目されていた裁判でしたので、皆さんにとっても関心の高い裁判だったのではないでしょうか。

判決の結論は、更新料が「高額すぎなければ有効」。
更新料の性質について、「一般には家賃の補充や前払い、賃貸契約を円満に継続するための対価などの複合的な性質がある」と判断しました。
また、「家主と借り手との間には、更新料に対する情報量の格差がある」との原告側の主張に対しては、「契約書に具体的に記され、家主と借り手が明確に合意している場合に、両者の間で情報や交渉力に大きな格差はない」と指摘しました。
しかし、「高額すぎなければ」という結論に対する具体的な基準は示されませんでした。

たしかに最近は、インターネット回線や地上デジタル放送への対応、エアコンの完備が求められ、さらに不景気の影響もあり賃料を安く抑えなければなかなか借り手がつかないなど、貸主の負担が大きいという現実もあります。
今回の判決が更新料を有効と認めたことで、貸主の経済的負担が多少は軽減されることと思います。
一方で消費者の保護に鑑みれば、更新料を名目として家賃以外の一時金を上乗せし、不当に高額な金額を借主に負担させることがあってはなりません。貸主には、今後更新料についてはもちろんのこと、各地域特有の規約についても契約の際にしっかりと説明をする必要が生じます。
「更新料が気に入らないならば契約時にノーと言うべき」という貸主側の主張を通すためには、むしろ貸主は説明責任を重く課されたものと今回の判決を受け止めなければなりません。
更新料を明記した契約書にサインを交わしただけでは説明責任を果たしたとは言えず、明確な合意の基礎を欠く、というのが私見です。

 

今朝のお供、
サザンオールスターズの『世に万葉の花が咲くなり』。
なでしこジャパンのW杯世界一、おめでとうございます!
撫子は『万葉集』の時代から和歌に詠まれてきた花。日本古来の可憐な花が、今を盛りと美しく咲きました。

(佐々木 大輔)

刑法における故意

犯罪事実が生じることを認識し、予見している心理状態を「故意」といいます。
刑法は、「故意がなければ犯罪とはならない」ことを定めています。
条文を見てみましょう。刑法38条1項は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と規定しています。
犯人は、自分の行為によって、犯罪となる事実が発生することを知っていなければなりません。
これは刑法の大原則なのです。
ただし、例外として(故意はなくても)過失があるときに処罰される場合があります。刑法は38条1項ただし書で、「法律に特別の規定がある場合」には、過失犯の例外を認めています。
同じように人を死亡させた場合でも、故意がある場合は殺人罪(刑法199条)で、上限は死刑、下限は懲役5年ですが、過失の場合は過失致死罪(刑法210条)で、50万円以下の罰金となります。
このように過失犯の法定刑はかなり軽くなるため、故意があるかどうかは大きな問題となります。

故意は行為の時点で認められなければいけません。しかし、犯罪となる事実が生じるのは、行為の時点からみると未来のことであり、行為者にとって犯罪となる事実が生じるかどうかを予見することは難しいことでもあります。
例えば、至近距離からピストルを発射する際、きっと銃弾が命中して相手は死亡するだろうと思っている場合には、殺人罪の故意を認めることができるでしょう。
しかし、『ウイリアム・テル』で我が子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射ようとしているテルには、殺人罪の故意を認めてもよいのでしょうか。この時テルは、矢が我が子に命中するかもしれないということを認識し、またそのことをある程度の可能性をもってあり得ることと予見しています。
このように、結果をはっきりと予見しているわけではないが、あり得ないわけでもないと認識している状態を「未必の故意」(みひつのこい)と学問上呼んできました。犯罪のニュースを報じる新聞記事などでも目にすることのある難しい言葉です。

この未必の故意が問題となった判例として有名なのが、盗品有償譲受け罪(他人が盗んだ物を買い取る罪。刑法256条2項)についての判例です。
最高裁判所は、「必ずしも買った物が盗品であることを知っていなくても、盗品であるかもしれないと思いながら敢えてこれを買い取る意思(未必の故意)があれば足りると考えるべきである」として、未必の故意を確定的な故意と同様、「故意」と認めています。
つまり、ある犯罪事実が生じることを「あり得る」として認識・予見し、それを容認・認容した場合には、故意(未必の故意)があると考えるのです。

この先には、「未必の故意」と「認識ある過失」の区別という複雑な議論がありますが、それはまたの機会に。

 

(佐々木 大輔)

申し訳ありませんが、6月中のブログは、都合により休ませていただきます。
次回のブログは、7月11日を予定しております。