アーカイブ:2013年9月

考えさせられた

先日読んだ平野啓一郎著『ドーン』という小説は、久しぶりに読み応えのある作品でした。

ご存知の方も多いかと思いますが、平野氏は大学在学中にデビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞。大学生の同賞受賞は、石原慎太郎(『太陽の季節』)、大江健三郎(『飼育』)、村上龍(『限りなく透明に近いブルー』)に続く4人目でした。その才能から三島由紀夫の再来と謳われた一方、擬古文で書かれた難解な文体により敬遠する人が多かったのも事実です。
恥ずかしながら私も、2作目の『一月物語』までは読んだものの、その後、平野氏の作品を手に取ることはありませんでした。

今回取り上げる『ドーン』は、平易な文章で書かれています。
舞台は近未来。主人公は、2033年に人類で初めて火星に降り立った宇宙船ドーンのクルー。3年後の2036年、無事地球へ帰還して世界的な英雄になりますが、ドーンの中で起こったある事件が原因で、アメリカ大統領選挙を巡る陰謀に巻き込まれていきます。

平野氏といえば、小難しい純文学ど真ん中の作家というイメージでしたが、本作はSFエンターテインメント小説としても楽しめます。
とはいえ、単なる娯楽で終わらないのは純文学作家の矜持なのか、ここで平野氏は、「分人主義(dividualism)」という概念を持ち出し、「私とは何か」というテーマに戦いを挑みます。
「分人主義」とは平野氏の造語で、個人(individual)とは分割不可能(divideできないもの)であるという概念に対し、個人とは分割可能な分人(dividual)の集合体であるという考え方です。

―対人関係や居場所ごとに、自動的に現れる異なった自分(分人)が存在するが、これは一個の主体が様々な仮面を使い分ける「キャラを演じること」とは区別される。「キャラ」は、一個の主体が場面に応じて操作的に使い分けるものであり、「分人」は向かい合う相手と協同的に個別に生じるものである―
平野氏はこのように考えます。

従来の意味での「本当の自分」に固執すれば、一個の主体ですべての相手や場面に対応しなければならなくなり、キャラを演じることにつながります。その結果として、人によっては、内面と外面のギャップに苦しむことになってしまいます。
「私」とは、一個の「本当の自分」ではなく、それぞれが独立した自分である各分人によって構成され、それらの自分を駆け巡りながら思考する存在だと考えれば、キャラを演じることから解放され、様々な顔を持つ自分のことも肯定することができるのではないでしょうか。

このようなテーマを、的確な表現で物語に落とし込んだ平野氏には、「文筆家、かくあるべし」との凄みを感じました。

 

今朝のお供、
サザンオールスターズの曲「Ya Ya(あの時代を忘れない)」。
秋の風に乗って、夕暮れ迫る宮城の空に鳴り響いた5年振りの音。

(佐々木 大輔)

『椿姫』に寄せて

今年はオペラ作曲家ヴェルディ生誕200年記念の年。
私にオペラの魅力を教えてくれたのが、ヴェルディの『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』でした。

原題のトラヴィアータとは「道を踏み外した女」という意味のイタリア語。高級娼婦の過去を持つヴィオレッタは、アルフレードからの告白を受け、彼の純粋な愛に戸惑いつつも一緒に暮らし始めます。
しかしある日、彼女は彼の父親に、娼婦という過去が娘(アルフレードの妹)の縁談に差し支えるから息子と別れてほしいと懇願され、悲しみの中、愛する彼のために身を引く決意をします。
父の懇願を知らないアルフレードは、裏切られたと激怒しますが、数か月後、全ての事情を知り、許しを請うため彼女のもとへ駆けつけます。ところが再会した彼女は、肺の持病が進行し、死を待つばかりの状態。再び一緒に暮らすことを誓い合い、再会を喜ぶのも束の間、彼女は「いつか素敵な女性が現れてあなたに恋をしたら渡して欲しい」と自分の肖像を彼に託し、息を引き取ります。

カルロス・クライバーという指揮者の熱狂的なファンであった私は、彼の録音を全て聴きたくて・・・といっても、彼が公式に録音したオーケストラ曲のCDは十指に満たず、他に(当時は興味のなかった)オペラ録音が数種あるだけ。「オペラかぁ・・・」と気が乗らないまま、クライバーの演奏を聴きたいがために仕方なく?手にしたのが、ヴェルディの『椿姫』でした。
ところが、クライバーの希少な録音だからと毎日聴き続けているうち、次第にクライバーを聴くという当初の目的は薄れ、すっかり『椿姫』にはまってしまいました。

そうなると今度は『椿姫』の舞台を観たくなるのが自然の流れというもので、次に入手したのがショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場の映像です。
主役のヴィオレッタを歌うのは、ショルティが抜擢した若き日のゲオルギュー。その薄幸をまとう美しさは役のイメージどおり。この舞台の大成功で、一躍世界的なプリマドンナへと飛躍したのも納得です。ショルティの指揮も82歳(収録当時)とは思えないほど覇気に満ちており、ときにもう少し繊細に・・・と望みたくなる部分もあるほど。

このふたつの演奏により、すっかり『椿姫』そしてオペラを聴く楽しみを知ってしまった私。その後、少しずつ好むオペラのレパートリーが広がり、今では『椿姫』に接する機会も少なくなりましたが、先日久しぶりにショルティ指揮のDVDを観賞。たちまち夢中だった10代の頃がよみがえり、たしかにこれが私の青春に彩りを添えてくれたのだと再確認。あの頃、心の隅々まで染み込ませた旋律は、今も同じ輝きに満ちていました。

 

今朝のお供、
BON JOVI(アメリカのバンド)の『These Days』。
こちらも無条件で10代の頃の思い出がよみがえります。

(佐々木 大輔)