秋田新幹線「こまち」。開業25周年。
私が高校生の頃は、盛岡駅まで特急「たざわ」で行き、盛岡駅で新幹線「やまびこ」に乗り換えて仙台や東京へ向かったものでした(私も古い人間になってきたものです)。
高校卒業後も仙台からの帰り、乗り継ぎのために友人たちと駅(※)のホームで1時間くらい時間をつぶした思い出も懐かしい。
こまちも「新幹線」なのは相変わらず盛岡~東京区間のみで、秋田~盛岡区間は実質「特急」のまま(しかもスイッチバック付き)ですが、それでも乗り換えなしに東京方面と往復できることはなんとありがたいことでしょう。
最近はコロナの影響で県外に出かける機会もめっきり少なくなりましたが、私は下りのこまちには、乗車駅で買ったお弁当とビール、それから飲みきりサイズの(あのプラスチックのお猪口がついているような)地酒をぶら下げて、ほくほく顔で乗り込みます。
鉄道マニアでもなければそれほど乗り物での移動が好きでもない私は、結局のところ、移動中の大半は読書をして過ごすのですが、どのタイミングでお弁当を食べ始め、お酒を飲み終えるかのバランスには気を使います。そういえば先日、脚本家の内館牧子氏もさきがけ新報のコラムで「どのタイミングで駅弁を食べ始めるか」について書かれていましたね。
私の場合は、仙台駅から乗るなら古川を通過する辺りでお弁当を食べ始め(けっこう早い?)、あとはちびちびとお酒を飲みながら読書。そして大曲駅に着く頃にはお酒も飲み終え、読書に集中して秋田駅に着くのを待つのがベストかな。
ところで、上りのこまちは、県外の方から「秋田県民を表しているかのようだ」と言われます。
曰く、最初のうちはよそ者に対して後ろ向きで打ち解けるまで時間がかかるが(秋田~大曲)、少しずつ心の距離が縮まりいったん打ち解けると(大曲~盛岡)、加速度的に付き合いが深くなる(盛岡~東京)とのこと。
人口減少が続く秋田県。戦後初めて総人口が100万人を割ったのは5年前の4月。令和4年3月1日時点での総人口は93万9193人です。
この春、入学や転勤などで秋田県へ転入される方もたくさんいらっしゃいます。
迎える側の心としては、スイッチバックでスタートするのではなく、最初から前向きでありたいものです。
※ 最初この駅を「盛岡駅」と書いたものの違和感があり、「北上駅」だったような気がして調べてみたところ、やはり「北上駅」でした。平成8年は翌年の「こまち」開業に向けた工事により、特急「たざわ」の代わりに特急「秋田リレー号」(思い出した!本当に懐かしい)が運行されており、乗換駅が盛岡駅から北上駅へと変更になっていたのです。
興に乗ってさらに色々調べたところ、乗り継ぎ待ち時間の最長は29分(15時48分から16時17分)でした。「1時間くらい待った」というのは私の記憶が盛られていたのか、それとも何らかのトラブルで予定より長く待たされたのか。
記憶にあるのは昼下がりのプラットホーム。当時の時刻表を見ると「やまびこ41号」は北上駅に13時55分着。接続する「秋田リレー9号」は14時18分の発車。
とすれば、友達とふざけたりしているうちに乗るはずだった「秋田リレー9号」に乗り遅れ、次の15時20分発「秋田リレー11号」まで1時間待ちぼうけというのが、一番辻褄の合う結論かも?
なんだかまるで西村京太郎にでもなった気分。
今朝のお供、
FOO FIGHTERS(アメリカのロックバンド)『ONE BY ONE』。
(司法書士 佐々木 大輔)
青いイナズマが僕をせめるんです。
佐々木は急に何を言い出すんだと思った皆さん、静電気は平気ですか?
私は年がら年中悩まされております。
特に冬の間は、車から降りるとき、シャッターを開けるとき、ドアノブに触るとき、セーターを脱ぐとき、ベッドで毛布にくるまるとき・・・ほぼ確実にパチパチッ。
時に目に見えるほどの青いイナズマが走ります。
身に着けるものも化学繊維のものはできるだけ避けて綿のものを選ぶようにしたり、危ないなと思うときは何かに触れる前に地面を触って電気を逃がしたり、気をつけてはいるのですがどうもうまくいきません。
どうにかならないものか。
どうにかならないものかと言えば、今年の雪もそう。
道路の除雪もままならないものだから、とてもじゃないけど車では怖くて小路に入ることができません。
幹線道路ですら、うずたかく積み上げられた道路わきの雪が車道にはみ出し、一車線つぶれてしまっています(毎年のことながら、秋田市の除雪方法については一考を求めます)。
なんだか愚痴っぽくなってしまいましたね。
でもいいこともありました。
先日、部屋を整理していたら、カラオケを録音した昔の音源(ICレコーダー)が出てきたのです。
親しくしていただいた方がご栄転されるというので、送別会として開いたカラオケでした。
ICレコーダーのウインドウに表示された日付を見ると、今から15年くらい前のもの。
すっかり中身は忘れているかと思いきや、少し再生してみると当日参加していた懐かしいメンバーの顔がすぐに思い出されます。
私を含め5人で7時間。当時の私は学生でしたが、他のメンバーは社会人。仕事終わりに集まってのカラオケだったでしょうから、朝までコースだったのかな。
いや、今思い出しました。午前3時半終わりでした(なんて中途半端な終了時刻!)。
楽しかったなあ、あの日。
まさか自分があんな曲を歌っていたとは思いませんでした(これはすっかり忘れていました)。
それにしても。
自分で自分の歌声を聴くのは、なんて気持ちが悪いのでしょう。
せっかくいい曲なのに。
どうにかならないものか。
今朝のお供、
ゆず(日本のフォークデュオ)の曲「サヨナラバス」。
あの日、彼が泣いたのは、私がこの曲を歌ったからではありません。
(司法書士 佐々木 大輔)
年が改まるといろいろ新しくなりますね。
笑点に新メンバーが加入したり、御嶽海が大関に昇進したり。
私も新たな一歩を踏み出そうと勇んで顔を上げたのですが、年末から年始にかけて懐かしい再会があったものですから、少し立ち止まり、気持ちの整理をしてから先へ進むことにします。
まず年末には、東北大学法科大学院時代にお世話になった友人が山形から遊びに来てくれましたので、一緒に割烹「大内田」さんで食事をしました。10年ぶりの再会です。
最高のおもてなしをしたかったので、お店は「大内田」さんに決めていました。
お互いの近況報告や大学院時代の懐かしい仲間の話をしながら、美味しいお料理とお酒に舌鼓を打つ。お店のお心遣いもいただきながら思い出話とともに杯を重ね、気が付くとお開きの時間になっていました。
楽しい時間は刹那に過ぎ去りにけり。
温かい気持ちを抱えながらの帰り道、頭に流れてきたのは「遠回りしても 良かったと言える 大人になりたい♪」(吉井和哉の曲「WEEKENDER」)という歌詞でした。
学生時代、少し年上の彼からいろいろと励ましてもらうたび、いつもこの歌を口ずさんでいたように思います。
恥ずかしながら当時もしっかり大人な年齢だった気がしますが。
今改めてこの歌詞をかみ締めています。
年が明けてからも嬉しい再会がありました。
秋田リトルリーグ(小学生の硬式野球)時代にお世話になった三浦捷也理事長(三浦歯科医院の院長:秋田市新屋)との再会、こちらは30年ぶりでした。理事長に「大輔か!」と呼びかけられた瞬間、もう私は小学生の僕でした。
大人になってからは、愛情いっぱいに「大輔」と下の名前で読んでくださる人はなかなかいません。それだけで胸がいっぱいです。
「俺のこと覚えてるか?」と聞かれましたが、忘れるわけがないでしょう。30年経っても全然変わっていません。理事長のスポーツに対する情熱と子供たちに対する愛情がどれほど尊いものなのか(そして残念なことに、それらを持ち合わせていない指導者が世にどれほど多いことか)、大人になってより深く理解することができます。
小さな体にぶかぶかのユニホームを着て、仲間と夢中で白球を追った日々。
三浦理事長のもとで野球ができたことを誇りに思います。
多くの人に支えられてきた人生です。
特別な人生ではありませんし、これまでに何かを残せただろうかと悩むこともあります。
でも、振り向けば私の道ができていました。
それで十分じゃないか、と思います。
さりげなく強ければいい。
これから先も「希望の轍」が続きますように。
今朝のお供、
Gorillaz(イギリスのバンド)の『Plastic Beach』。
(司法書士 佐々木 大輔)