公訴時効

刑事ドラマなどでよく、犯人(と思しき人間)が「あと○年逃げ切れば自由の身だ!」というようなセリフを言うことがあります。
この「○年」というのは、時効のことですね。時効には、一定期間の経過により言い渡された刑の執行が免除される「刑の時効」と「公訴時効」とがありますが、今回は、公訴時効についてお話します。
公訴とは、検察官が裁判所に対して「罪を犯したと疑われる人間=被疑者」を訴えることですから、公訴時効とは検察官が被疑者を裁判所に訴えるまでのタイムリミットということになります。
セリフのとおり、公訴時効が完成すると、裁判所は被疑者について有罪・無罪の判断をすることができなくなるので、犯人からすれば“無罪放免”という気持ちでしょう。これに対して「“犯人”が、責任を問われなくなるのは納得できない」というのが一般的な本音ではないでしょうか。
(厳密には、有罪判決が確定していない以上犯人ではなくあくまでも被疑者です。また、被疑者は免訴となるのであり、無罪となるわけではありません。)

それでは、なぜ公訴時効というものが存在するのでしょう?
これにはいくつかの理由が挙げられます。
ひとつは、時が経過することにより犯罪に対する社会の処罰感情が落ち着き、刑の威嚇力が弱くなるためといわれています。
あるいは、証人の記憶が曖昧になったり、証拠が散逸することから、捜査が困難になってしまうためといわれています。
しかし、これらは理由として適切でしょうか。
必ずしも時の経過とともに処罰感情が落ち着くというわけではありません。被害者の家族であれば、処罰感情はむしろ深く残ることでしょう。それに、公訴時効の期間は刑の軽重を基準に定められていますから、証拠の散逸等を理由とするのでは、この点を説明できません。
このように、公訴時効の本質をどう理解すべきかという問題は、学者の間でも未だに対立のあるところなのです。

一方で、対立を残しつつ、公訴時効の期間は延長される傾向にあります。さらに、今年の刑事訴訟法改正により、殺人罪など一定の重い犯罪については公訴時効が廃止されました。

最後に、刑事ドラマについてひと言。
刑事が「時効数時間前に逮捕して一件落着」のようなエンディングを迎えるものが時々ありますが、今回お話ししたように、公訴時効は検察官が裁判所に訴えるまでのタイムリミットです。
逮捕後、被疑者を取り調べ、身柄を検察庁に送り、検察官が最終的に起訴するかどうかを決定する。
とても数時間でできることではありませんよね・・・。

 

今朝のお供、
BECK(アメリカのミュージシャン)の『MODERN GUILT』。

(佐々木 大輔)