春ですね。
と書き出したものの、今回は春とは全く関係のない話を。
皆さん、好きな数字はありますか?
ラッキーセブンの「7」、末広がりの「8」、団塊の世代ですとミスターこと長嶋茂雄氏の背番号「3」という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
私はというと「13」という数字が好きです。
西洋ではあまり好まれない数字ですが、私にとっては誕生日に関する数字であり、大切な数字です。リトルリーグ時代の背番号も「13」でした。
ロッカーは「13番」が空いていれば迷わず使用します。
ウイスキーも「13年物」を見つけたらコレクションしています。
ウイスキーの熟成年数は10年、12年、15年、18年辺りは有名銘柄であれば定番商品としてラインナップされていますが、13年がそのラインナップに加わることはまずあり得ず(有名どころではワイルドターキーくらいでしょうか。)、存在自体も珍しいものですから。
ところで、「13」という数字で思い出すのは、何で読んだか忘れてしまいましたが、池田彌三郎氏(国文学者)が東北を旅行した時の思い出話です。
夫婦で旅館に泊まり、散歩か何かで出かけようとしたところ、番頭さんから、「じいさんばあさん、いってらっしゃい」の声。戻ると「じいさんばあさん、おかえりなさい」。一度ならず二度ともなるとさすがにカチンときて、「確かに若くはないが、ほかに言い方があるだろう」と番頭さんに物申したところ、「じいさんばあさん」と聞こえたのは夫婦が泊まっていた部屋番号の「13番さん」が訛ってであったとのこと。
お国訛りのほっこりする笑い話。
数字といえば、中学受験(251番)、高校受験(418番)の際の受験番号も覚えています。これらの数字も私にとって大切な数字ですので、お賽銭に使ったりしています。
ほかにも数字といえば、信号待ちの際などには、すれ違う車や前に並ぶ車のナンバーを+-×÷を使って「10」にするという頭の体操をしています。
と言うと、私はまるで数字が得意な人のように思われるかもしれませんが、そんなことは全くなく、円周率は3.14までしか覚えておりませんし、電卓をたたくスピードなど亀でももう少し速いのではないかという不器用さです。
それでも、好きなミュージシャンのことであれば、「何枚目のシングル曲は△△(曲名)」であるとか「○○(アルバム名)の何曲目は△△(曲名)」なんてことは諳んじていたりするもの。
あ、これは数字とは関係ないか。
それよりも、サブスクリプション(定額で音楽を聴き放題のサービス)を利用して1曲単位で音楽を聴くのが主流の若い人たちにとっては、「アルバム」と言っても何のことやらという感じでしょうか。
ちょっと寂しいな・・・。
すみません、最後は数字さえも関係のない話になってしまいました。
今朝のお供、
MEGADETH(アメリカのロックバンド)の『TH1RT3EN』。
(司法書士 佐々木 大輔)
青いイナズマが僕をせめるんです。
佐々木は急に何を言い出すんだと思った皆さん、静電気は平気ですか?
私は年がら年中悩まされております。
特に冬の間は、車から降りるとき、シャッターを開けるとき、ドアノブに触るとき、セーターを脱ぐとき、ベッドで毛布にくるまるとき・・・ほぼ確実にパチパチッ。
時に目に見えるほどの青いイナズマが走ります。
身に着けるものも化学繊維のものはできるだけ避けて綿のものを選ぶようにしたり、危ないなと思うときは何かに触れる前に地面を触って電気を逃がしたり、気をつけてはいるのですがどうもうまくいきません。
どうにかならないものか。
どうにかならないものかと言えば、今年の雪もそう。
道路の除雪もままならないものだから、とてもじゃないけど車では怖くて小路に入ることができません。
幹線道路ですら、うずたかく積み上げられた道路わきの雪が車道にはみ出し、一車線つぶれてしまっています(毎年のことながら、秋田市の除雪方法については一考を求めます)。
なんだか愚痴っぽくなってしまいましたね。
でもいいこともありました。
先日、部屋を整理していたら、カラオケを録音した昔の音源(ICレコーダー)が出てきたのです。
親しくしていただいた方がご栄転されるというので、送別会として開いたカラオケでした。
ICレコーダーのウインドウに表示された日付を見ると、今から15年くらい前のもの。
すっかり中身は忘れているかと思いきや、少し再生してみると当日参加していた懐かしいメンバーの顔がすぐに思い出されます。
私を含め5人で7時間。当時の私は学生でしたが、他のメンバーは社会人。仕事終わりに集まってのカラオケだったでしょうから、朝までコースだったのかな。
いや、今思い出しました。午前3時半終わりでした(なんて中途半端な終了時刻!)。
楽しかったなあ、あの日。
まさか自分があんな曲を歌っていたとは思いませんでした(これはすっかり忘れていました)。
それにしても。
自分で自分の歌声を聴くのは、なんて気持ちが悪いのでしょう。
せっかくいい曲なのに。
どうにかならないものか。
今朝のお供、
ゆず(日本のフォークデュオ)の曲「サヨナラバス」。
あの日、彼が泣いたのは、私がこの曲を歌ったからではありません。
(司法書士 佐々木 大輔)
年が改まるといろいろ新しくなりますね。
笑点に新メンバーが加入したり、御嶽海が大関に昇進したり。
私も新たな一歩を踏み出そうと勇んで顔を上げたのですが、年末から年始にかけて懐かしい再会があったものですから、少し立ち止まり、気持ちの整理をしてから先へ進むことにします。
まず年末には、東北大学法科大学院時代にお世話になった友人が山形から遊びに来てくれましたので、一緒に割烹「大内田」さんで食事をしました。10年ぶりの再会です。
最高のおもてなしをしたかったので、お店は「大内田」さんに決めていました。
お互いの近況報告や大学院時代の懐かしい仲間の話をしながら、美味しいお料理とお酒に舌鼓を打つ。お店のお心遣いもいただきながら思い出話とともに杯を重ね、気が付くとお開きの時間になっていました。
楽しい時間は刹那に過ぎ去りにけり。
温かい気持ちを抱えながらの帰り道、頭に流れてきたのは「遠回りしても 良かったと言える 大人になりたい♪」(吉井和哉の曲「WEEKENDER」)という歌詞でした。
学生時代、少し年上の彼からいろいろと励ましてもらうたび、いつもこの歌を口ずさんでいたように思います。
恥ずかしながら当時もしっかり大人な年齢だった気がしますが。
今改めてこの歌詞をかみ締めています。
年が明けてからも嬉しい再会がありました。
秋田リトルリーグ(小学生の硬式野球)時代にお世話になった三浦捷也理事長(三浦歯科医院の院長:秋田市新屋)との再会、こちらは30年ぶりでした。理事長に「大輔か!」と呼びかけられた瞬間、もう私は小学生の僕でした。
大人になってからは、愛情いっぱいに「大輔」と下の名前で読んでくださる人はなかなかいません。それだけで胸がいっぱいです。
「俺のこと覚えてるか?」と聞かれましたが、忘れるわけがないでしょう。30年経っても全然変わっていません。理事長のスポーツに対する情熱と子供たちに対する愛情がどれほど尊いものなのか(そして残念なことに、それらを持ち合わせていない指導者が世にどれほど多いことか)、大人になってより深く理解することができます。
小さな体にぶかぶかのユニホームを着て、仲間と夢中で白球を追った日々。
三浦理事長のもとで野球ができたことを誇りに思います。
多くの人に支えられてきた人生です。
特別な人生ではありませんし、これまでに何かを残せただろうかと悩むこともあります。
でも、振り向けば私の道ができていました。
それで十分じゃないか、と思います。
さりげなく強ければいい。
これから先も「希望の轍」が続きますように。
今朝のお供、
Gorillaz(イギリスのバンド)の『Plastic Beach』。
(司法書士 佐々木 大輔)