少し前のことになりますが、レコードプレーヤーのカートリッジ(ざっくり言うと針のことです)を少しグレードアップしたものに交換しました。低音域はどっしりと腰が据わり、高音域にはきらめきが増し、中音域には厚みが出ました。さらに変わったのは余韻が深くなったことです。さすがに生演奏のようにとは言いませんが、演奏の終わりに「音」ではなく「音楽」を聴いたという充実感がしっかりと残ります。
そこで手持ちのレコードをとっかえひっかえ再生してみると、今まであまり魅力を感じなかった演奏が全く違った一面を見せ始めたのです。たとえば某ピアニストによるベートーヴェンの演奏。一音一音に演奏家の神経が行き届き、見事に音がコントロールされているさまが手に取るようにわかるのです。あまり好んで聴いてこなかったレコードでしたが、思わず2度3度と針を落としてしまいました。
私はいわゆるオーディオマニアではありませんので、ウン百万円もするようなオーディオ装置を所有しているわけではありません。機械工学的な理論もさっぱりです。
あくまでも音楽を楽しく聴くことを目的として組んだオーディオ装置ですが、それでも今回のカートリッジ交換で感じたのは、物事の本質を知るためにはある程度の投資が必要であるということです。ここをなおざりにすると本質を見誤ってしまう恐れもあります。
これは何もオーディオに限ったことではありませんね。
そして投資とは、単にお金を使えばいいというわけではありません。本質を見極める力は、どれだけの時間や手間をかけて本物や良質なものに触れてきたかということも大きくかかわります。与えられた情報を鵜呑みにしているだけでは育ちません。
オーディオの世界というのは繊細なもので、高価なものを組み合わせたからと言って必ずしも良い結果が得られるものではありません。価格が倍になれば音質も倍に良くなるものでもありません。明確な目的(どんな音で音楽を聴きたいのか)をもって、自分の耳で選択するものです(ここは真剣に)。
ブランドに惑わされず(これがなかなか難しい)、自分の耳を信じる。
他人の耳で聞くわけではありませんから、世評の参照もほどほどに。
たかが趣味、されど趣味。
趣味だからこそ、熱く真面目に真剣に。
AEROSMITH(アメリカのバンド)の『Permanent Vacation』。
(佐々木 大輔)
本来ならば8月29日に開催されるはずであった大曲の花火(全国花火競技大会)。6月の段階で今大会の延期が決定されました。
ところが、当日、30分ほどではありましたが、サプライズで花火が打ち上がりました。
新型コロナウイルスの影響により、密を避けるため、事前の予告はなし。ただし、NHKの中継カメラは入っていたので、その模様はBS放送で生中継され、私もテレビの前で鑑賞することができました。
午後8時にスターマインで華やかに開始されると、全国28社の花火会社が、コロナ収束の願いを込めて入魂の10号玉を披露。いつもは10号玉(課題玉と自由玉の2種類)と創造花火で競われる競技大会ですが、今回は競技ではなく割物も1発のみ。
それでも最後は例年どおり、津雲優が歌う「いざないの街~秋田県民歌」に乗せて、フィナーレの尺玉がゆったりと打ち上がりました。
新型コロナウイルスの影響で、春先から現在に至るまで、大型イベントはほぼすべて中止。
私の大好きな音楽分野でも演奏会やライブコンサート、音楽フェスティバルなど観客を入れての開催が未だに難しい状況です。
そのような中、日本でも、サザンオールスターズが6月に行った有料の無観客ネット配信ライブコンサートで先鞭をつけたことにより、少しずつ他のミュージシャンも有料のネット配信ライブコンサートを行うようになってきました。それも単に先駆者の手段を模倣するのではなく、サカナクション(日本のバンド)のように、彼らにしかできない、むしろ配信や無観客といった状況を逆手に取ったような演出に驚かされたものもあります。
もちろんネット配信ライブコンサートは、あくまでも代替手段であって、観客を入れてのライブコンサートに勝るものではありませんが、今回の大曲の花火も含め、工夫次第では今できる最大限のことも可能になります。
どんな時代にも困難な場面は訪れるもの。そこで後ろを向くのではなく、状況にあわせて柔軟に対応していくことができるか。
求められるのは適応力です。
自戒を込めて。
今朝のお供、
DEEP PURPLE(イギリスのバンド)の『Deep Purple in Rock』。
(佐々木 大輔)
新型コロナウイルスにより、未曾有の事態が続いております。
全国的に緊急事態宣言は解除されましたが、宣言解除によって新型コロナウイルスが(終息はもとより)収束したわけではありません。引き続き警戒を怠らず、気を引き締めて行動していきましょう。
私にとってステイホームは、今まで当たり前と思っていたことを改めて見直す機会にもなりました。忙しいとどうしても利便性を追求してしまいますが、できるだけ丁寧に生活することを心掛け、普段ならメールで済ませてしまうことも、拙いなりに一言、万年筆で手紙を書いたり、今までやりたくてもなかなかできなかった生活を送っております。
5月になると毎年思い出すのが、「美しい五月に」で始まるシューマンの歌曲集『詩人の恋』。
ここは例年どおりを心掛け、今年も針を落としました。
手持ちのレコードは入手した順にディースカウ盤、ヴンダーリヒ盤、ヘフリガー盤の3枚。いつもより丁寧にほこりを払い、盤面を磨き、心を込めて再生。瑞々しく息吹いた一音一音を、こんなにゆっくりかみしめるように聴いたのは本当に久しぶり。干天の慈雨のごとく心の奥底まで潤いました。
音楽の話はまた次回に。
ほかにも、運転中に見た雪残る鳥海山の美しさに感動したり、繰り返し観てきた映画やドラマでも今までは聞き逃していたセリフに耳を奪われたり、慌ただしい日常の中でつい忘れがちになっていた人とのつながりの尊さを実感したり、挙げるときりがありませんが、困難な中で気づいた幸せを手の中からこぼすことなく大切に握りしめて、丁寧な生活を続けていきたいと思います。
現在(いま)がどんなにやるせなくても 明日(あす)は今日より素晴らしい
―桑田佳祐「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」
今朝のお供、
ブルース・スプリングスティーン(アメリカのミュージシャン)の『The Rising』。
音楽によって救われる心があると信じて、私は音楽を聴き続ける。
(佐々木 大輔)