世界的なピアニストであるマウリツィオ・ポリーニが、39年の年月を経て、ついにベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音(全32曲)を完結させ、全集という形で発売しました―同時に、これまで1枚1枚購入してきた愛好家のために、最後の1枚(第16番から第20番を収録)も分売されました―
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は数多(あまた)あれども、これだけの年月をかけ、そして、これだけの完成度を誇る全集は空前絶後でしょう。
ポリーニというピアニストのことはご存知の方も多いと思いますが、改めて紹介しますと、1960年、当時最年少の18歳でショパンコンクールに優勝、名ピアニストである審査委員長のルービンシュタインから、「審査員の誰も彼のように巧く弾けない」と絶賛されました。
すでに名声は手の中にあり、華々しくスター街道を邁進するかと思いきや、「このままでは音楽家として成長しない」と考え、勉強と研鑽のため一度表舞台から姿を消します(再起不能説まで流れたほど)。
10年の時を経て、ストラヴィンスキー等近代作品集と、ショパンのエチュード集のレコードを立て続けに発表し、再び表舞台へ躍り出たのは1970年代になってから。この再デビューは、ショパンコンクール優勝時をはるかに凌ぐ衝撃的なものとなりました。
完璧な技巧に裏付けられ確信に満ちた演奏。大理石にもたとえられる硬質な輝きを放つ音色。
特にショパンのエチュードは、「これ以上何をお望みですか」という音楽評論家吉田秀和氏のキャッチコピーとともに、日本でも大きな反響を呼び、未だに決定盤として揺るぎない地位を築いています。
だいぶ前置きが長くなりましたが、ポリーニがベートーヴェンのソナタで最初にとりあげたのは、後期の作品である第30番と第31番(1975年録音)。
通常であれば、「月光」や「熱情」のような有名どころから録音を開始し、後期の作品はある程度キャリアを積んだところで、満を持してとりあげることが多いものです。ところがポリーニは、いきなり後期の作品を録音したため、この録音は全曲録音を見据えたものではなく、現代音楽も得意とする彼が、ベートーヴェンのソナタの中で、最も現代音楽と親和性の高い作品を選び単発で録音したものであると私は思っていました。
しかしその後、ぽつぽつとソナタの録音が発表されるにつれ、「もしかしたら全曲録音が完成するのでは」という淡い期待を抱いていたことも事実です。
私は、ポリーニの新譜が発売される度、1枚1枚買い揃えてきましたので、今回の全集は敢えて購入する必要はなかったのですが、全集という形で所有したいという強い思いに駆られて購入、スピーカーの前で居住まいを正して全曲を聴き直しました。
録音状態はもちろん、ポリーニの演奏スタイルにも変化がうかがえますが、不思議と不統一感はありません。楽聖と向き合うポリーニの覚悟と厳しさが、そこに一貫として刻印されているからです。
ポリーニのピアニストとしてのキャリアをほぼ俯瞰できるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集。
変わったものと変わらないもの。変えてはならないもの。
彼のピアニストとして、人間としての来し方に思いを馳せながら、今年のブログの締めくくりとします。
今朝のお供
飯野明日香(秋田市出身のピアニスト)の『フランス・ナウ』。
飯野明日香さんは、私がお世話になっている税理士長谷部光重先生、長谷部光哉先生ご兄弟の姪御さんです。この度、本作品で、第52回レコードアカデミー賞(現代曲部門)を受賞されました。おめでとうございます。
(佐々木 大輔)
―いけないケムリと水で その身をけずり落としてまでも―
(星空のビリー・ホリデイ)
読書をしながら何か音楽を聴きたくて、いろいろCDをかけていたところ、最後にかけたビリー・ホリデイ(アメリカのジャズ歌手)が読みかけの小説の雰囲気に妙にはまり、はからずも久しぶりに彼女の歌を聴くことになりました。
彼女の声が持つ圧倒的な存在感は、本質的にはBGMになり得ないものですが、小説の雰囲気がとても軽やかだったため、彼女の歌とぶつかることなく、読み進めることができたのかもしれません。
本を読み終え、今度は彼女の晩年の名盤『Lady in Satin』と『BillieHoliday(ラスト・レコーディング)』を聴きました。
『Lady in Satin』の冒頭、スピーカーから飛び出すしわがれ声には、分かっていても一瞬たじろぎます。衰えは著しく、音程も不安定、技術的に言えば断じて上手い歌ではありません。
後年、若い頃の瑞々しい歌声を失ったのは、麻薬とアルコールに溺れた彼女の自業自得とはいえ、思い通りに歌えない彼女の苦しみと悲しみが伝わってきて、息が苦しくなるほどです。
一方、『Billie Holiday』における彼女は、晩年にしては声もよく出ており、曲が進むにつれ、声に歌う喜びが乗ってきます。バックを務めるミュージシャンも、彼女の希望をかなえたメンバーが揃いました。
彼女の白鳥の歌となった、アルバムの最後を飾る曲「Baby Won’tYou Please Come Home」は、苦悩に満ちた人生の締めくくりとしては意外なほど、明るさに満ちています。
―so long 黄昏を歌に秘めたら―(星空のビリー・ホリデイ)
初めて彼女の歌を聴いたのは、ちょっと背伸びをしたかった中学生の時。大人の世界を覗いたような気分になりましたが、結局、その時は良さを理解できませんでした。
しかし、年齢を重ねるにつれ、少しずつ彼女の魅力(というよりも、彼女の引き受けた孤独とは何たるか)を分かり始めたような・・・
でも、正直なところ、やっぱり分からない。
村上春樹氏は著書の中で、彼女の歌を「癒し」ではなく「赦し」と表現しましたが、その感覚も私には分からない。
それは、まだ、なのか。
それとも、ずっと、なのか。
今朝のお供、
サザンオールスターズの曲「星空のビリー・ホリデイ」。
(佐々木 大輔)
今年は名指揮者カルロス・クライバーの没後10年。私にクラシック音楽の面白さを教えてくれた指揮者です。
20世紀最後のカリスマと呼ばれ、キャンセルは日常茶飯事、初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮者に決定した時は、世界中継の当日にキャンセルされたときのため、テレビ局が中継用に前日の演奏会を録画して万一に備えていたことや(ニューイヤーコンサートは、大晦日にも同じプログラムで開催され、元日の演奏会が世界中に中継されます)、代役として非公式にアバドが控えていたことなどが話題になりました。
そのほか、指揮者カラヤンから、なかなか指揮台に上がらない理由を問われ、「冷蔵庫が空になるまで指揮はしない」とはぐらかしたというエピソードや、極端に狭いレパートリーからは、変わり者で気難しい人のように思われますが、どうやらそのとおりの人であったことは間違いないようです。
彼の残した希少な録音は、全てが名演として有名ですので、私が改めてここに書くまでもありません。
そこで、今回は、彼の若き日のリハーサル映像(オペラ『こうもり』の序曲)を紹介します。
リハーサルに見る彼は、しばしばオーケストラの演奏を止めて指示を出します。音楽を言葉にするというのは困難を極めることと思いますが、ウィットとユーモアに富んだ的確な指示で(法的に看過できないような喩えもありますが)、オーケストラから自分の理想とする音を引き出す彼の手腕は見事。
たいていのオーケストラは、演奏を途中で止められることを嫌い、指揮者の長広舌など聞きたくないというのが本音でしょうが、彼は一切の妥協をせず、文学的な表現でもって自分より年長者の多い団員を説得します。
そしてその効果は、私のような素人耳にもはっきりわかるほど。指示を受けたオーケストラの音は、「これぞクライバー」という音に一変。
彼の(本番での)演奏は、テンペラメントに満ちたものと評されることが多いのですが、その裏で実に緻密なリハーサルを行っていたことは、映像が公開された当時、多くの評論家やファンを驚かせたものでした。
ちなみに、『こうもり』序曲は、彼の得意のレパートリーであり、後年、バイエルンとのものが2種(映像として残された方は、弾力が効いて、間が絶妙)、前述のニューイヤーコンサートでのもの(蝶のように舞い、蜂のように刺すかのような演奏)が正式な録音として発売されていますが、リハーサル時の演奏は、後年の自身の演奏よりも、父エーリッヒ(父親も偉大な指揮者でした)の演奏に似ているように感じます。
今朝のお供、
クライバー指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェンの『運命』。
シリアルナンバー入りのアナログ盤ボックスセットを予約してしまいました。私にとって青春の響き。
(佐々木 大輔)