カテゴリー「本・文芸」の記事

本といつまでも

皆さんにとって「幸せだなあ」と思うのはどんなときでしょう。
私にとっては、夜、ベッドに入って好きな本を開くその瞬間が、至福の時です。

当ブログでも、村上春樹や太宰治、カズオ・イシグロなど好きな作家をとり上げてきましたが、彼らのようないわゆる「純文学」と呼ばれるジャンルの作品だけではなく、エンターテインメント作品も大好きです。中でもミステリーは特別で、休日の前夜など、明日を気にしなくてもよい夜は、「今夜はこの1冊だけにしよう」と決心しておかなければ、2冊、3冊と読みふけってしまいます。

ミステリー好きの原点は、子供の頃夢中になって読んだ江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズにあります。父の読んでいた同シリーズが、祖父母の家に当時のまま揃えられており、幼い私は祖父母の家に遊びに行くと、いつも書斎に籠って読んだものでした。
乱歩が少年少女向けに書いた同シリーズ、とはいえ、そこは日本を代表する推理小説の大巨匠、子供だましや手抜きは一切ありません。
「ですます調」の柔らかく品の良い文章で書かれているものの、大人になった今読み返しても、夕暮れの描写や夜の闇に包まれた洋館が醸す怪しさには、思わず振り返り背後を気にしてしまうほど。
そういえば、小学校からの帰り道、小説の一場面を思い出し、「あの角を曲がった途端、そこに怪人二十面相がいるのではないか」と、風に草木がざわめく薄暮の中、身を縮めながら家路を急いだこともありました。

その後もコナン・ドイルやアガサ・クリスティなどの名作から、日本の乱歩賞受賞作まで、好きな作品を挙げるときりがありません。
また、中学生の頃は、綾辻行人ら京大推理小説同好会出身者を中心とした「新本格派ブーム」にもはまりました。

そんな懐かしい思い出と、新しく手にしたミステリー数冊によって、この連休はちょっと夜更かしをし過ぎたかな。

 

今朝のお供、
RED HOT CHILI PEPPERS(アメリカのバンド)の『I’m With You』。

(佐々木 大輔)

本屋さん

最近、コーヒーミルを買い換えました。
今まで使っていたものよりコーヒーが美味しく出来るようになって、幸せな安らぎのひとときを過ごしています。以前のブログ(No.23)でも書きましたが、私は、自分で挽いた豆をハンドドリップで淹れるのが好きなのです。

お店で飲むコーヒーも好きで、素敵なカフェを見つけると、思わず吸い込まれるように入ってしまいますが、それ以上に強い吸引力を感じるのは本屋さんです。もはや抗(あらが)えません。
ちょっと空き時間ができると本屋さんを探してキョロキョロしてしまいますし、友人との待ち合わせに本屋さんを利用することもよくあります。本選びに夢中になりすぎて、友人から声をかけづらいとの苦情はありますが・・・気にしません。
本を選ぶとき、あらすじを参考にすることはもちろんですが、美しい装丁に目を奪われ、「ジャケ買い(装丁で本の内容が好みかどうか見当をつけて購入)」することもしばしば。
他にも、手にしたときのしっくり感、本を開いたときの匂い、紙質と文字配列の妙などに惹かれ、ストーリーの予備知識なしに選ぶことも楽しみのひとつです。
海外の書籍など入手しにくいものは、インターネットで購入しますが、それ以外はなるべく街の本屋さんで買うことにしています。とにかく、本屋さんという空間が好きで好きでたまらないのです。
大学生の頃は、毎日近所の本屋さんに通い、年間300冊ほどの本を読んでいました。部屋に本棚が2つ3つと増えていき、部屋自体が本屋さんのようになっていったことを喜んだものです。

ところが最近は電子書籍が隆盛で、先日もアメリカで大手の書店が破産法申請をしたとのニュースを見ました。
正直に言うと、私も利便性という点においては、電子書籍に魅力を感じています。
また、紙を使わないので環境に優しいことは事実でしょう。場所もとらない。さらには電子書籍ならではの試みとして、小説を映像や音楽と融合させることも行われているようです(私は必要性を感じませんが)。

当事務所には、最新刊を中心として3000冊以上の法律専門書が本棚に並んでいます。
一冊一冊、スタッフの勉強の跡が残った書籍です。
この3000冊の他に、所長が学生時代に使い込んだ法律専門書も数多くあります。
もしもこれらの書籍が、すべて電子書籍になったら?
空っぽの本棚にiPadやキンドルがぽつんとひとつ。用は足せても・・・何だか味気ないですよね。

私は、ハンドドリップで淹れたコーヒーを片手に、紙の手触りを楽しみながらページをめくり、新しい知識の世界へといざなわれるのです。

 

今朝のお供、
桑田佳祐の『MUSICMAN』。
あなたがビートルズによって「胸が張り裂けた」ように、私は小学生の頃、あなたの音楽で胸が張り裂けたのです。

 

(佐々木 大輔)

『ノルウェイの森』

発売は1987年9月。赤(上巻)と緑(下巻)の表紙。帯には「100パーセントの恋愛小説」のキャッチコピー。
恋愛と絶妙な装丁との組み合わせの効果もあってか、クリスマス商戦にも乗り、売れに売れました。
その現象は一時のブームで終わることなく、20年以上経った現在も新たな読者を獲得し、『ノルウェイの森』は村上春樹の代表作として揺るぎない地位を確立しています。

「恋愛小説」、たしかにその通りのストーリーです。
とはいえ、作者自身は「恋愛小説」というより「リアリズム小説」と説明しており、村上作品の特徴である“現実の裂け目”(と私が勝手に呼んでいる)のない作品ということが、初心者にも読みやすく人気を博している理由なのかもしれません。

しかし私には、この作品を読みやすさ故の単純な小説と言い切ることはできません。
本作に至るまでの村上作品の主人公は、失うことを恐れて自ら決定してこなかったという共通点があります。決定するということは失うことと背中合わせの行為です。一方を選ぶとき、選ばなかった一方を得ることはできません。それを避けるがため、村上作品の主人公は自ら決定することなく、向こうからやってくる現実をただ受け入れることでやり過ごしてきたのです。
ところが、この作品の最後で主人公は、失うことを認めたうえである重大な決定をします。これは村上作品の大きな変化を告げる一作でもあるのです。

今週末、映画『ノルウェイの森』が公開されます。
村上作品が映像化されることはほとんどありません。
作者自身も、当時のインタビューでは本作について、「(映画化は)無理ですよ。だれにもできない。僕が一番うまく頭の中でつくったから」と発言していました。
恋愛小説の体を採り、なめらかな運びで「決定と再生」を描いたこの作品を、はたしてトラン・アン・ユン監督はどのような切り口で見せてくれるのでしょうか。

 

今朝のお供、
The Beatlesの『RUBBER SOUL』。
今回の映画化に伴って、サウンドトラックとしてビートルズの原盤使用が許可されたことも大きなニュースになっていましたね。

 

(佐々木 大輔)