ソロモンの偽証

お正月休みを利用して、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』を読みました。「小説新潮」の2002年10月号から2011年11月号まで長期にわたり連載されていた小説の単行本です。
内容は、ある中学校で生徒が亡くなった事件の真相を解明するため、同級生達が有志で学校内裁判を行うというもの。
連載開始時期が「裁判員制度」の始まる前ということもあり、生徒達が行う裁判は、アメリカの陪審制度を参考にした方式で行われますが、来るべき裁判員制度を見据えた内容だったともいえます。

圧倒されるのは、人物、特に中学生の心情描写です。
私の昔を思い返すと、中学生とは、多感でありながらもそれらを説明するだけの経験や言葉を持ち合わせていない時期にあります。
今なら私も、当時の模糊とした自分の感情を振り返り、それらに何らかの言葉を与えることもできますが・・・。
きっと宮部氏はこの作品を書くにあたり、登場人物の生徒達(架空)にインタビューをして、聞き取った内容を整理し、それらに的確な言葉を与えるという作業を行っていったのではないでしょうか。

もちろん、登場人物は作者の創作した架空の人物です。それは分かっていても、やはり私は、作者がそれぞれの登場人物に根気強く語りかけ、引き出した彼ら彼女らの生々しく偽りのない(しかし、混沌とした)感情に秩序や形を与え、それらを記録していった結果がこの作品のように考えます。

これだけの大量の「資料」を捌き、文章を構築するという一流ジャーナリストとしての腕と、そもそも「資料」自体作者の創造であるという文学者としての知性。これは宮部氏の『模倣犯』を読んだ時も感じた才能です。
そればかりではなく、この作者が真の意味で素晴らしいのは、大人が分かったように「それはこういうことなんだよ。いずれ君も大人になればわかるよ」と上から目線で語らないという姿勢です。
過ちを犯した子、責任を感じて苦しむ子、無関心を装う子・・・、全員に対して作者の眼差しは常に温かく、優しく、平等で、そしてだからこそ厳しい。

正直に言えば、ストーリーとしては無理や不自然な部分もあります。
それでも私がこの作品を傑作であると断言できるのは、物語としてのリアリティや仕掛けよりも、作者の真摯な眼差しを感じるからなのです。

 

今朝のお供、
ブルーノ・マーズ(アメリカのミュージシャン)の『Unorthodox Jukebox』。

(佐々木 大輔)