アーカイブ:2025年3月

声は電波に乗って

今年で放送開始100年。

100年前の大正14年3月22日、ラジオ放送が開始されました。第一声は「聞こえますか?こちらは東京放送局」だったそう。

私は割と早くからラジオに親しんでおり(といっても、祖父母の家からの帰りに父親の車で聴く野球のナイター中継がほとんどでしたが)、中学生になるとラジオから流れてくる洋楽に心を躍らせるようになりました。
今のようにインターネットが発達しておらず、好きな曲をいつでも聴くことができる時代ではありませんでしたし、情報収集もなかなか大変でした。
そんな時代にラジオは貴重な情報源であり(他は月刊誌くらい)、土曜の午後に放送されていた「ポップス・ベスト10」と日曜の深夜に放送していた「全国ポピュラーベストテン」という番組で、私は当時の洋楽のヒット曲とたくさん出合いました。
加えて「ヘヴィメタルシンジケート」というハードロック/ヘヴィメタル(HR/HM)専門番組によって、HR/HMの世界に引きずり込まれました。

高校生になるとオールナイトニッポンなどの深夜番組の虜に。
ラジオの魅力は何といってもパーソナリティと1対1で話しているかのような親密性にあります。
話の中身はとてもじゃないけどテレビなどでは流せない過激な?ものだったりして(近年はコンプライアンスの関係で発言もかなり穏やかになっております)。
これらの発言も、結局のところリスナーとパーソナリティとの間に築かれた信頼関係のもとに成り立っているものです。
学生時代、一人暮らしの部屋でさみしさを埋めてくれたのもラジオでした。

その後、改めて日常的にラジオを聴くようになったのは東日本大震災の頃から。
震災直後は停電になったため、情報収集は電池式のラジオでした。
電気が復旧した後も、いつ緊急地震速報が鳴るか分かりませんので、寝る時もラジオをつけっぱなしで過ごしていました。

ラジオ放送開始当時、特に求められたのは、いち早く災害等の被害状況を伝え、救援活動につなげることでした。それは現在も変わりありません。
と同時に、正確な情報を伝えるラジオ放送が求められたそもそものきっかけは、関東大震災の際に流布されたデマにより引き起こされた悲劇を、繰り返さないためであることを忘れてはなりません。
SNS(X(旧ツイッター)など)が発達し、誰もが情報や主張を気軽に発信できる今、改めてその意義を考える必要があります。

情報発信者として、自らの発言に責任と覚悟を持てますか。

その“正義”、あなたは自分に向けることができますか。


今朝のお供、

Carpenters(アメリカのデュオ)の曲「Yesterday Once More」。

若かった頃ラジオを聴いていたんだ お気に入りの曲がかかるのを待ちながら
全ての曲や思い出が 今でも輝いている
まるで昨日のことのように

                              (司法書士 佐々木 大輔)