絵本のはなし
年が明けてから、あまり明るいとはいえないニュースが続き、また、人々の過剰な反応にも息苦しさを感じておりましたが、そんな中、大人の間で絵本が再び注目されているという記事にふと目を奪われました。
私は、絵本のことを思うと懐かしさがこみ上げ、不思議と穏やかな気持ちになります。
私が大人になった今も読書好きである原点には、幼い頃、両親から読み聞かせてもらった絵本の体験があります。
楽しい絵本、美しい絵本、そして怖い絵本。
なかでも特に思い出に残っているのは、せなけいこ著『ねないこ だれだ』です。親が子を寝かしつけるためのいわゆる教育絵本というものでしょうか。
夜の9時。
「とけいが なります ボン ボン ボン…」
「こんな じかんに おきてるのは だれだ?」
「ふくろうに みみずく」
「それとも どろぼう」
「いえ いえ よなかは おばけの じかん」。
挿絵は切り絵で、ふくろうや泥棒が何とも言えない不気味さを醸しています。
パジャマ姿でぬいぐるみを持って夜更かしをしている男の子、最後はおばけに連れられて(男の子もおばけのシルエットになって)、夜空に飛んで行ってしまいます。
とても怖い絵本でした。にもかかわらず、怖いもの見たさもあったのか、毎日のように「読んで、読んで」とせがんだと聞いています。
絵本の余白には、幼い私が書いた字とも絵ともつかない書き込みがたくさんあります。いたずら書きのようですが、よく見ると「これはふくろうを描きたかったんだろうな」と思わせるような書き込みがあったり、ストーリーを追いかけるように線が引いてあったり、改めて手に取ってみても、本当にお気に入りの絵本だったんだなあということが分かります。
江國香織はその著書『絵本を抱えて 部屋のすみへ』の中で、子供の頃に部屋の隅で遊んでいると、もっと真ん中で遊びなさいと言われたことを引き合いに、「でも部屋というものは、まんなかとすみでは時間の流れ方も空間の質も全然ちがうわけで、絵本のなかのそれとは、あきらかに部屋のすみの方が近いのでした」と書いています。
私の場合、少し大きくなって自分で絵本を読むようになってからは、部屋のどこで絵本を広げて読んでいたのか覚えていませんが、幼い頃は、寝る前に布団の中で読んでもらうのが好きでした。
その影響が残っているのでしょう、今も読書をするのに一番落ち着く場所は、カフェでもバーでもソファでもなく、ベッドの中です。
今朝のお供、
デヴィッド・ボウイ(イギリスのミュージシャン)の『★(ブラックスター)』。
ボウイは最期まで変わらなかった。「マンネリ」という意味ではなく、常に進化を続ける姿勢を貫いたという意味で。
たくさんの色気と華と毒をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
(佐々木 大輔)