アーカイブ:2015年12月

辞書を読む

先日、寄席に行ってきたという友人の影響で、私も立川志の輔氏の現代落語『バールのようなもの』を楽しみました。

主人公が、ニュースなどでよく耳にする「バールのようなもの」とはどんなものなのかを知りたくて、物識りの隠居へ相談に行くところから噺は始まります。
隠居に、「のような」という言葉を名詞の後ろに付けて「○○のような」と言えば、それは○○とは似て非なるものである―何かを食べて「肉のような味がする」と言えば、その食べ物は「肉」ではないというように―と教わった主人公が、奥さんに浮気の言い訳をする際、浮気相手のことを「妾ではなく“妾のようなもの”だ」と言ったところ、「それは妾以外の何ものでもない。馬鹿な言い訳をするもんじゃない」とかえって奥さんを怒らせてしまい、「バールのようなもの」で殴られるというオチの噺です。

果たして「のような」とは隠居の説明どおりの意味なのか気になった私は、さっそく辞書を引いて「よう(な)」の意味を調べてみると、いくつかの定義と用例が並んでいる中に、
―(接尾語的に)…らしく見えるもの。…といったもの。
「刀剣―の凶器」―(『広辞苑』)
とあります。
なるほど。これが隠居の言っていた意味でしょう。
さすがに用例として「バールのようなもの」とは載っていませんが、それにしても辞書というのは物識りですねえ。別に上の隠居と掛けて擬人化するわけではありませんが、辞書も結局は人が作ったものです。

数年前、辞書製作の裏側を舞台とした三浦しをん氏の小説『舟を編む』(第9回本屋大賞受賞)が話題となりました。小説ですから多少なりともデフォルメされているものかと思いきや、『三省堂国語辞典』の編纂者である飯間浩明氏の著書『辞書を編む』を読むと、実際の辞書は、小説の登場人物を凌ぐほどの猛者たちによって作られていることが分かります。
用例集めは昼夜を問わず、テレビ番組は録画して確認することを原則とし、新聞は言わずもがな、ファッション雑誌に出てくる造語、女子高生の会話まで、気になる言葉はすべてメモを取り、その使われ方、使用頻度を調査したうえで、採用する言葉、その語釈を決定するのだそうです。

誰もが知っている言葉でありながら説明の難しい言葉を、いかに分かりやすく説明(語釈)するか。それぞれの辞書が最も腐心する部分です。
たとえば「右」という言葉について、多くの辞書では、「南を向いた時、西にあたる方」(『広辞苑』)のように、方角を用いた説明がなされている中、『岩波国語辞典(初版)』の「この辞書を開いて読む時、偶数ページのある側」という説明は、画期的な名語釈として語り継がれているそうです。しかしこの名語釈も、電子辞書の時代には通じなくなるおそれがあります。

言葉の専門家をもってしても、分かりやすくものごとを伝えることは一生の課題なのかもしれません。時代にあわせて伝え方を変える必要も出てくるでしょう。
仕事はもちろん当ブログでも、分かりやすく簡潔に伝えることができるよう、私もすべからく努力していく所存です。
「辞書のようなもの」ではなく、「辞書」を目指して。

 

今朝のお供、
アデル(イギリスのミュージシャン)の『25』。

(佐々木 大輔)