アーカイブ:2010年11月

公訴時効

刑事ドラマなどでよく、犯人(と思しき人間)が「あと○年逃げ切れば自由の身だ!」というようなセリフを言うことがあります。
この「○年」というのは、時効のことですね。時効には、一定期間の経過により言い渡された刑の執行が免除される「刑の時効」と「公訴時効」とがありますが、今回は、公訴時効についてお話します。
公訴とは、検察官が裁判所に対して「罪を犯したと疑われる人間=被疑者」を訴えることですから、公訴時効とは検察官が被疑者を裁判所に訴えるまでのタイムリミットということになります。
セリフのとおり、公訴時効が完成すると、裁判所は被疑者について有罪・無罪の判断をすることができなくなるので、犯人からすれば“無罪放免”という気持ちでしょう。これに対して「“犯人”が、責任を問われなくなるのは納得できない」というのが一般的な本音ではないでしょうか。
(厳密には、有罪判決が確定していない以上犯人ではなくあくまでも被疑者です。また、被疑者は免訴となるのであり、無罪となるわけではありません。)

それでは、なぜ公訴時効というものが存在するのでしょう?
これにはいくつかの理由が挙げられます。
ひとつは、時が経過することにより犯罪に対する社会の処罰感情が落ち着き、刑の威嚇力が弱くなるためといわれています。
あるいは、証人の記憶が曖昧になったり、証拠が散逸することから、捜査が困難になってしまうためといわれています。
しかし、これらは理由として適切でしょうか。
必ずしも時の経過とともに処罰感情が落ち着くというわけではありません。被害者の家族であれば、処罰感情はむしろ深く残ることでしょう。それに、公訴時効の期間は刑の軽重を基準に定められていますから、証拠の散逸等を理由とするのでは、この点を説明できません。
このように、公訴時効の本質をどう理解すべきかという問題は、学者の間でも未だに対立のあるところなのです。

一方で、対立を残しつつ、公訴時効の期間は延長される傾向にあります。さらに、今年の刑事訴訟法改正により、殺人罪など一定の重い犯罪については公訴時効が廃止されました。

最後に、刑事ドラマについてひと言。
刑事が「時効数時間前に逮捕して一件落着」のようなエンディングを迎えるものが時々ありますが、今回お話ししたように、公訴時効は検察官が裁判所に訴えるまでのタイムリミットです。
逮捕後、被疑者を取り調べ、身柄を検察庁に送り、検察官が最終的に起訴するかどうかを決定する。
とても数時間でできることではありませんよね・・・。

 

今朝のお供、
BECK(アメリカのミュージシャン)の『MODERN GUILT』。

(佐々木 大輔)

ブラームスはお好き?

こんにちは。田口司法事務所です。

本日のブログタイトルは、サガンの小説から拝借しました。
「ブラームスはお好き?」と聞かれるまでもなく、私は大好きです!
特に冬の足音が近づくこの時期は、無性に聴きたくなります。

昨日はアマデウス四重奏団によるブラームスの弦楽四重奏曲を、レコードで聴くことにしました。
まずはレコードの盤面を丁寧に拭き、静電気を取り除いたら、心をこめて静かに針を落とします(この表現、死語!?)。
CDどころか、親指一本でクリクリっと操作できるデジタルオーディオプレイヤーが全盛の現代において、レコードというのはなんとも手間のかかる代物です。
しかし、レコードにしかない懐かしい味わいや音の温もりを感じることができるのも事実。両親が集めていたものを含め、私は今でもレコードを大切に保管しています。

アマデウス四重奏団の演奏は、4つの楽器によるものとは思われないほど重厚な響きを楽しめますが、それにしても、やっぱり渋い。
このような演奏には、深煎りのマンデリンコーヒーがよく合うのではないでしょうか。

心もオーディオも温まったところで、次は交響曲第3番。
ラックの前に立ってどの演奏で聴こうかと悩み、ふと窓の外を見ると、空は高く澄み切った青空。そこで取り出したのは、アバド指揮ドレスデン国立管弦楽団のレコードです。颯爽としたテンポによる演奏は、寒さで思わず丸くなりがちな背中もシャキッとさせてくれます。

ちなみに、交響曲第3番の第3楽章は、小説『ブラームスはお好き』を原作とした映画『さよならをもう一度』の中で使用され、一般にも知られる曲となりました。

 

今朝のお供、
サカナクション(日本のバンド)の曲「アルクアラウンド」と、RADWINPS(日本のバンド)の曲「有心論」をリピートで。
若くてユニークな才能に、いつまでも敏感でありたいものです。

 

(佐々木 大輔)

業界用語?

こんにちは。田口司法事務所です。

事務所に相談にいらっしゃるみなさん、私たちが業務で使う言葉に違和感を覚えることはありませんか。

たとえば、私たちは「遺言」のことを「いごん」と言ったりします。
「ゆいごん」というのが一般的ですよね。
それから「物」(もの)と「者」(もの)を区別するために、「物」を「ぶつ」と呼んだりもします。こちらはなんだかぶっそうな響きもしますが。

しかし、何といっても一番不思議なのは、「善意」と「悪意」の使い方ではないでしょうか。
日常的には、「善意」といえば「何か良いことをしようという好意的な気持ち」、「悪意」といえば「人に憎しみを抱き、害を与えようとする気持ち」のことをいうでしょう。
ところが法律用語では、「善意」とは「知らないこと」、「悪意」とは「知っていること」を意味します。
私も法律の勉強を始めたころ、なかなか馴染めませんでした。

もちろん、必要のない限りこのような誤解を招きやすい言葉は使わないように私たちも心がけています。
もしも私たちの説明で分かりづらいことがありましたら、遠慮せずにおっしゃってください。

 

今朝のお供、
U2の曲「Walk On」。

 

(佐々木 大輔)