思い出の味

先日、学生時代に通ったカフェのマスターが秋田にいらっしゃるというので久しぶりにお会いすることができました。

仙台にあったマスターのお店は、このご時世には珍しいいわゆる「クラシック喫茶」(死語?)でした。塵ひとつない清潔な空間。壁一面に整然と並べられた膨大な数のCD。ソナスファベール(イタリアのメーカー)の名スピーカーで鳴らされる音楽は、イタリアの青空のように明るく伸びやかで、特に弦楽器と声楽はうっとりするくらいの美しい響き。

私はいつもカウンターの真ん中の席に座り、他のお客さんや音楽の邪魔をしない程度に、マスターとの会話を楽しんでいました。注文を受けてから豆を挽き、1杯ずつ丁寧にハンドドリップで淹れられるコーヒーは、深い落ち着きの中にまろやかな甘味があり、簡単に真似できるものではありません。マスターと同じ豆を使って淹れているお店が仙台にもう1件あったのですが、同じ豆を使っていると言われてもにわかには信じられないくらい味は別物でした。私はマスターの淹れるコーヒーが好きでした。

マスターはコーヒーを淹れ終えると、客に提供する前に必ずひと口試飲して味を確かめます。
そして理想どおりの1杯が入ると、それまでの真剣な顔つきから一転、相好を崩し、「佐々木さん、今日の1杯はうまくできた。さあ、飲んでみて」と弾んだ声とともにコーヒーが差し出されます。そういう日のコーヒーは本当に美味しかった。もちろん、マスターにとっては理想どおりとはいえない日でも十分に美味しかったです。

残念ながらマスターは数年前にお店を閉めてしまい、今は実家のある山形県にお住まいですが、久しぶりにお会いしてもあの頃と変わっていない物静かな紳士でした。お店でもあまり口数の多い方ではなかったのですが、先日は再会を喜んでくれたのか、秋田のお料理と地酒の効果もあったのか、近況ばかりではなく若い頃のことまで饒舌にお話ししてくださいました。

後日、先日の御礼にと畑で育てているというメロンを頂きました。マスターの実直な人柄がうかがえる雑味の無いとっても美味しいメロンでした。
秋田に来ていただいたこと、声をかけていただいたことだけで嬉しかったのですが、その上プレゼントまで頂き感謝に堪えません。
今度は私が山形へ遊びに行きますね。

今朝のお供、
ハイティンク指揮シカゴ交響楽団の演奏によるマーラー作曲交響曲第3番。
私がマスターのお店で最後に聴かせていただいたCDです。

                                   (佐々木 大輔)