カテゴリー「美術」の記事

最近のこと

【その1】

圧巻の八冠。

棋士の藤井聡太さんが、将棋界の8つのタイトル(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖・叡王)を全て制覇しました。

全冠制覇は1995年の羽生善治さん(当時は叡王が無く全七冠)以来の快挙、今後藤井さんが八冠をどれだけ維持できるかに期待が高まります。

ちなみに羽生さんはその後棋聖のタイトルを失い、七冠を維持したのは約半年間でした。

タイトル戦は1年中絶え間なく行われますが、タイトルホルダーは勝ち上がってきた挑戦者を迎え撃つ立場ですので、挑戦者の立場であるときよりも公式戦の対局数は減ることになります。

そのため実戦感覚を維持するのはかえって大変になるとも言われています。

なんてわかったようなことを言っていますが、私は前にも当ブログに書いたとおり、将棋を指すことなく観る一方のいわゆる「観る将」(最近はこの言葉も浸透してきたのかな)。

棋譜を読めればもっと将棋の深みとロマンを感じられるのにと少し残念な思いもありますが、今からそのレベルに達するのは難しいので、その代わり棋士たちの生む人間ドラマに胸を熱くしております。

最近は将棋を題材とした小説もよく読みます。

そういえば高校時代にも友人から借りて授業中に『月下の棋士』という漫画を読んだなあ。

私、意外と昔から将棋にまつわる人間ドラマが好きだったのかも。

【その2】

美術展『旅する画家』を秋田県立美術館に観に行きました。

世界各地を旅した藤田嗣治と、同じく生涯に旅を重ねた斎藤真一という2人の画家の作品が、「旅」をテーマに展示されています。

ヨーロッパ留学中の斎藤は、フランスにいる藤田を訪ねた際、藤田から東北地方を旅行することを勧められました。

帰国した斎藤は、さっそく東北地方を旅するのですが、その道中、津軽の宿屋で聞いた盲目の女性旅芸人・瞽女(ごぜ)の存在に強く惹かれ、今度は越後へと向かいます。

そして、越後瞽女の足跡を辿りながら、瞽女の人生に思いを馳せて描いた作品群を『越後瞽女日記』としてまとめました。

今回の美術展では越後瞽女日記からの作品が28点展示されています。

郷愁とひたむきな力強さが宿っている作品群の中で、とりわけ強く印象に残ったのが「陽の雪野」。

しばらく作品の前を離れることができませんでした。

【その3】

先日、東北大学の同窓会に出席したところ、中学・高校時代の同級生と再会しました。

30年振りくらいでしょうか。

よく見るとあの頃の面影がちゃんと残っており、驚くことに体型もしっかりキープされていました。

大学の同窓会ではありましたが、2人で話していると中高時代の思い出が溢れてきて止まりません。

最近、部屋の片づけをしていたら中学の卒業文集が出てきて、すっかり気持ちが中学時代にタイムスリップしていたので、余計にノスタルジックな気持ちになったという事情もありますが。

ちなみに、その卒業文集には“他己紹介”のコーナーがあるのですが、私について書かれた紹介文を読んでみたらなんと、他人が認識する私は当時も今も全く変わっていないことが判明(要は、好きなことを話し始めたら止まらなくなるとのこと)。

三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。


今朝のお供、

YOSHII LOVINSON(日本のミュージシャン)の曲「トブヨウニ」。

徐々にで、そう徐々にでいいから。

                              (司法書士 佐々木 大輔)

モネと光

秋田市にも少しずつ春が近づいてきたようです。春の陽気に誘われるように、先日モネの絵画を見たくなり、手持ちの画集をいろいろひっくり返し、モネの作品を探しました。

クロード・モネ。私が説明するまでもありませんが、印象派を代表する画家です。
「印象派」という言葉自体が生まれたのも、のちに「印象派」と呼ばれることとなる画家たちが開いた「第1回印象派展」―この時点では「印象派」という言葉はまだなく、「画家彫刻家版画家協会展」という展覧会だったそうですが―をたまたま見たある評論家が、出品されたモネの『印象―日の出』を引き合いに、「印象のままに描いた落書き」として展覧会自体を酷評したことがきっかけと言われています。
この酷評がかえって周囲の耳目を集め、「印象派」という言葉が広く知られるようになりました。しかし当の評論家も、この嘲りを含んだ悪名が、その後これほどまでに重要な意味を持つ存在になるとは想像もしていなかったでしょうけれど。

一方で、モネらもこの酷評を逆手に取り、自分たちは「印象こそを大切にして描いているのだ」として、自ら積極的に「印象派」を名乗ったといういきさつもあります。

それにしても、モネほど光を追い求め、作品に投影した画家はいないのではないでしょうか。
モネが戸外にイーゼルを立て、自然に身を置き風景を描いていたことはあまねく知られた事実ではありますが―持ち運び可能なチューブ入り絵の具の発明が後押しした側面もあるでしょう―、これは画期的なことで、当時は風景画も記憶やスケッチを頼りにアトリエで描かれるのが当たり前でした。

あふれるような光と自然に対する賛美を描いた作品を見ると、よく評されるように、実際にモネの制作現場に立ち会っているような気持ちに満たされます。
太陽の光の下で描かれたモネの作品は、長い冬を超え、暖かな日差しに焦がれる秋田の春に、喜びを重ねてくれます。

 

今朝のお供、
エド・シーラン(イギリスのミュージシャン)の『÷(divide)』。
流行の音であろうと、何であれ、良いものは良いのです。

(佐々木 大輔)

アンリ・ルソーがくれた夢

先ごろ読んだ小説の影響で、すっかりアンリ・ルソーに夢中になってしまいました。

ルソーの画家デビューは49歳と遅く、それ以前は税関に勤務しながら絵を描いていました。そのため、いわゆるアカデミックな教育を受けておらず、遠近法などの絵画技術を身に着けていなかったようです。
技術的に稚拙と言われる彼の作品は、当時の評論家から酷評され、無審査で応募者全員の作品が展示された展覧会では、新聞等での酷評を知った人々が作品の前に群れをなし、銘々お腹を抱えて大笑い、中には呼吸困難に陥った人もいたそうです。
しかし、晩年には、ルソーを評価する評論家や画家仲間も現れ、特にピカソに影響を与えたというエピソードは、間接的にルソーの評価を高める契機となりました。
とはいえ、未だ「日曜画家」「(画家ではなく)税関吏ルソー」などと揶揄されることも多く、その評価が定まっているとはいえません。

先に挙げた小説には、ルソー(と彼に関わった人々)のエピソードがふんだんに盛り込まれていて、ルソーを好きな方にはお馴染みの話でも、浅学な私にとっては初耳の話も多く、人間ルソーを知るきっかけとなりました。

ルソーの作品といえば、私にとって、『蛇使いの女』、『詩人に霊感を与えるミューズ』、『夢』など、ジャングルを描いた絵のイメージが強く、これらの作品を、「あの葉陰には見たこともないような気味の悪い生き物が潜んでいるのではないか」、「そんなじめじめとした茂みの中に、裸で体を横たえることに抵抗はないのだろうか」などとつまらぬ想像や心配をしながら、どこか怖いものみたさで鑑賞しているところがありました。
改めて作品を見てみると、ルソーは大好きな自然を克明に描くため、多種多様な緑色(作品によっては21種類も使用しているとのこと!)を使い分けており、その執念にも似た凄みが作品から伝わってきます。
もっとも、神秘的でグロテスクな作品という印象は変わらないけれど。

―情熱がある。画家の情熱のすべてが―
(原田マハ著『楽園のカンヴァス』)
登場人物が発したこの言葉のとおり、小説を読んでいる間、ルソーが絵にかけた情熱、その作品を心から愛する人々の情熱にほだされて、ルソーと時代を共にしたような、夢を見ているように幸せな時間を過ごすことができました。
夢から覚めた今は、時間ができると、手持ちの画集やインターネットからルソーの絵を探し出し、“夢をみた”余韻に浸っています。

 

今朝のお供、
Blur(イギリスのバンド)の『The Magic Whip』。

(佐々木 大輔)