アーカイブ:2020年6月

ベートーヴェン

自室のCD・レコード棚を眺めると、ベートーヴェンの交響曲全集(全9曲)が15組。これを多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれかと思いますが、何組買ってもどのセットを買っても収録されている交響曲は同じ9曲であり、10曲にもならなければ8曲でもありません(そもそも8曲収録では全集と呼ばれません)。
それではなぜ同じ曲のCDやレコードを何枚も買ってしまうのか。

答えの前にちょっと寄り道をお許しください。
私が幼い頃、わが家ではいつも音楽がかかっていましたが、その多くはベートーヴェンでした。
幼い頃からクラシック音楽を聴いて育った私は、中・高校生になると変に背伸びをして、『運命』交響曲や『田園』交響曲といった有名どころはもう卒業とばかりに、あまり有名ではない曲を聴いて「周りとは違う」アピールをしていたように思います。ところが、そのようなマニアックな曲というのはとっつきにくく(だからなかなか人気曲にならないのですが)、ある程度の経験がないと良さどころか聴き方すら分からないという難物なんですね。有名曲には戻りたくないけれどマニアックな曲には跳ね返されて前に進めない。私は袋小路にはまってしまいました。
さて、クラシック音楽とどのようにお付き合いすればよいものか・・・
結局、当時所属していたオーケストラが演奏会で演奏する曲の予習としてCDを購入し、受動的に聞いているだけの日々。

そうこうしているうちにオーケストラを卒業し、聴く専門となってしまった10代の終わり、またしてもクラシック音楽とのお付き合い問題が再燃することに。その時たまたま手にしたのが、某評論家による指南書でした。
まずは知っている曲の評論を読もうと、最初に開いたのがベートーヴェンの交響曲第5番『運命』のページ。推薦されていたのはフルトヴェングラー指揮とカルロス・クライバー指揮のCDでした(これらは万人が認める20世紀の名演奏です)。
フルトヴェングラーの方は1947年5月、ベルリン・フィルの指揮台に復帰した記念コンサートのライヴ録音。音は古く録音もモノラルですが、「苦悩から歓喜へ」という「運命のドラマ」そのままに熱狂的な演奏で、すぐに大好きになりました。
一方のクライバー。ともすれば通俗的に堕しがちな「運命のドラマ」はここにはなく、ひたすら純粋にベートーヴェンが作曲した「5番目の交響曲」が演奏されています。金管の強奏、リズムの弾みを聴くたびに、ベートーヴェンはかくも爽快で瑞々しい音楽を書いたのかと、「運命のドラマ」に覆い隠されて見えなくなっていた音楽そのものの鮮度に驚きます。

ちなみに、交響曲第5番を『運命』と呼ぶのは日本くらいで、世界的にはこのニックネームは使われておりません。輸入盤のCDジャケットを見ても「Symphony No.5」などと印字されているのみで、『運命』に当たる単語は記載されておりません。

このように、同じ『運命』でも演奏家が違うとこんなにも違って聞こえるんだなあと思ったのがきっかけとなり、私とクラシック音楽との新しいお付き合いが始まりました。
すなわち「好きな曲ができたらいろいろな演奏で聴く」。
このような聴き方をすることによって曲に対する理解は深まり、多くの演奏家の特徴を知ることもできます。
また、有名曲は卒業したなどと恥ずかしいことは言わずに、どんな曲にもまっさらな気持ちで向き合ってみようと心を新たにするきっかけにもなりました。

幼い頃、音楽を聴く「耳」を育ててくれたベートーヴェン。そして、今に至る音楽との付き合い方を教えてくれたベートーヴェン。
今年は‘恩師’ベートーヴェンの生誕250周年。
今の私は晩年の作品に強く惹かれます。10代の頃に馴染めなかった作品です。
当時はきっとベートーヴェンに見透かされていたのでしょう。そんなに背伸びをしたって駄目だよ、と。
今は少しだけベートーヴェンも私のことを受け入れてくれたと思いたいな。

今朝のお供、
サザンオールスターズの『ステレオ太陽族』。
デビュー記念日に有料配信された無観客ライヴ。「朝方ムーンライト」が聴けて嬉しかった。

                                   (佐々木 大輔)